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きみの鳥はうたえる 佐藤泰志

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表題の『きみの鳥はうたえる』と『草の響き』の2編収録。

知っている人は知っているまぁまぁ有名作みたいだが、私はこの作品もこの作者も知らない。

作者は芥川賞の候補になるほどの文字書きでありながら精神を患い自死したらしい。


いままたこの作品が読まれているのは2018年に表題の『きみの鳥はうたえる』が映画化され、

2021年の今、『草の響き』が映画化されているらしい。

1982年に書籍化だから、愛されている作品なのだろう。


キラキラしていない青春譚だな。純文学としての自己疑問や事故疑念を

読みながら感じる作品だった。

世の中に迎合していけない人間は魅力的で非常に愚かで愛しい。

苦しさを感じることは生きている事の肯定なのではないか。

2編ともに落ち込んだ時に見上げる青空のような不条理さが、情けなさがふんだんに読みながら感じた。

表題の『きみの鳥はうたえる』では男同士の親友、しかし、依存を感じる関係。依存しているのは精神強者の方でその苦しさや、また自分の肯定感を高めるためにその友人が好きなのだ。

私には語彙が足りなくて表現しきれないが、人は生きていくうえで

人の苦しさを心配する権利があるのだ。なんていうか、生きる意味は自分自身には無く、他者にゆだねるのだ。

そしてヒロインがまたいい。ろくでもない3人なのだが体は嫌になるほど健康で生活はクソったれででも心配する他人がいるから輝いて魅力的に映るのだ。

それが主要人物3人ともに、角度を変えながら魅力的に描いている。

乾燥した土地がひび割れ、ギシギシを音を立てる事を心配するような沈黙。

わかるなぁ。

『素直な気持ちのいい空気のような男』と主人公は表現したが

ちがう。あれは自分にそう言い聞かせて生きる意味をそこに集約したかったのだ。

生きる事の責任の放棄とも感じた。

解説では私とは全然違う解釈をしていたがそれも面白い。


そして『草の響き』だ。

こちらは物語と言うか人の病床の記録を物語にしているって感じ。

精神を病んだ主人公が走るだけの小説である。

いやーこれがね、すごい。楽しくないけど面白い。

さらっと読めなくてじっくり2回読んだ。

その中で沁みてしまった一文が

【餓死を選ぶのが彼には無意味でも彼らには意味があるのだろうと思ったものだ。】

生物の根幹を考える。個として集団として生きる条件は変わってくるからね。

これはもう読んでほしいとしか言えない。


芥川賞や純文学はどっちかと言うと苦手だが、本作は読めてよかった。

出会えてよかった。

決して読みやすくはないが苦しんで筆を進ませたのだろう、文章が重さを持っている。

2編とも生きる事や死ぬ事を考えさせる作りになっているのかなとも思った。


人はいつ死ぬと思う?

人に忘れられた時さ


とそんな言葉を思い出した読後だった。

しかし本当に生きるとは何なのだろうか。


突き詰めてはいけない。生きる意味なんてないのだから。

でも葛藤し苦しみ悩みでも努力などしたくない。


ただ両編に共通して言えるのは友人がいてよかったね。っておもう。

必要な一人がちゃんといる。

友達は希望よね


君の名は希望だよ。



純文学の良し悪しはおれには分からないけど筆者は必死に生きていたんだろうな。

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