見出し画像

日本絵画と西欧絵画に見る権力の表現方法

当たり前だが、日本と西欧では文化が大きく違う。それは言葉、建築においてだけでなく、権力の表現方法についても言えることがわかった。特に絵画においてはその違いが顕著だと思われる。
では、日本絵画と西欧絵画における権力の見せ方にどういった違いがあるのだろうか。


自身を絵に登場させて権力を見せつける西欧

ナポレオンの例

西欧絵画では、特に抽象画期以前の作品には人物が多く登場する。
ルーブル美術館に所蔵されている『皇帝ナポレオン1世と皇后ジョセフィーヌの戴冠』。この絵にまつわる小話は多くあるが、「権力の誇示」に焦点を当てて書くとする。

この絵には、1804年12月2日、パリのノートルダム大聖堂でナポレオンが皇后ジョセフィーヌに戴冠する場面が描かれている。
本来なら戴冠を行うは教皇のはずである。だが、絵に描かれているのは、教皇ピウス7世が戴冠しているのではなく、ナポレオン自身が妻ジョセフィーヌに戴冠している姿である。肝心の教皇はナポレオンの後ろに座り、祝福を送っていることがわかる。

ナポレオンがこの絵をジャック=ルイ・ダヴィッドに描かせることによって表したかったのは、自分の権威が教皇以上のものである事、つまり、最も権力を持っているのは自分だということである。

『皇帝ナポレオン1世と皇后ジョセフィーヌの戴冠』 ジャック・ルイ・ダヴィッド 1806〜1807年
皇后ジョセフィーヌに冠を授与するナポレオン1世

マリー・ド・メディシスの例

『ナポレオン1世のジョセフィーヌ戴冠』が描かれる200年前も権威を表した人がいる。イタリア大富豪メディチ家の娘、フランス王ルイ13世の王妃であり摂政のマリー・ド・メディシスだ。彼女は当時建てられたばかりの宮殿の装飾に、自身の権威確立を表す21枚の連作をルーベンス依頼した。その中で彼女の権威がよく表されているのがこの『マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸』である。

『マリーのマルセイユ上陸』ピーテル・パウル・ルーベンス 1621年〜1625年

結婚のためにフィレンツェを発ち、マルセイユへ降り立つマリーを描いた作品である。彼女を迎える青いマント姿の男性に注目してほしい。

マントにはフランス王家の紋章がちりばめられている。
そして絵画上部の空には女神が、下部には海の女神ネレイデスが彼女の到着を祝福している。

描かれた内容は現実ではないが、絵画を通し、彼女の王妃としてのフランス到着が、フランス王家の人にも神々にも祝福されたことが分かるだろう。彼女の権威を(あったかどうかは別として)よく表現した一枚ある。


動物や自然の絵によって権力を表す日本

これまでフランス画を見てきたが、フランス以外にもヨーロッパには同じような絵画が多くある。

城を訪問すると、立派な肖像画や家族写真ならぬ家族絵画が散見できる。もちろん日本にも肖像画は多く残されている。しかし、肖像画以外の目的は感じられない。

2021年、私は京都の二条城を訪れた。そこで明らかになったのは、西欧とは異なる権威の表現方法だった。

※写真撮影不可だったため、画像がなくわかりにくく申し訳ない。二条城のHPでぜひ松や鷹の絵を見ていただきたい。そして、興味があれば実際に足を運んでほしい。

※ちなみに二条城は、1603年、徳川家康により京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として築城されたとのこと。1867年には15代将軍慶喜がここで「大政奉還」を表明している。

権力の大きさを示す虎の絵

二条城の襖や壁、天井には壮大な絵が描かれている。

来殿者が最初に入る部屋は「虎の間」と呼ばれており、虎の絵がパッと目に入る。

二条城のHPによると、獰猛な虎の絵や壮大な空間は徳川家の権力の大きさを実感させたと思われます、とのこと。

繁栄を表す松の絵

将軍への用件や献上物の取次が行われたとされる式台 式台の間の障壁には、松が描かれている。この意味するところは、「永遠に続く繁栄」とのこと。

そして、将軍が上洛の時に武器を収めたといわれる大広間 四の間にでは、猛禽類の鷹や松が描かれている障壁画、「松鷹図」が拝見できる。

鷹は誇り高く有能な様子から、武士を象徴する生き物として見做されていたらし。

更に、この間の松が他の部屋のどの松よ大きく太く描かれている。徳川の権威を表すことを目的に書かれた絵画だろう。


まとめ

上記では西欧と日本の権威表現の違いをそれぞれの絵画に見出してきた。
自分自身を描かせて権威を表現する 西欧、自然や動物を擬人化させることで権力を見せつける日本。はっきりとした表現をする英語やドイツ語、曖昧な表現を好む日本語、という一般的な解釈に加え、絵画でもこの図式が当てはまることを発見した出来事だった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?