見出し画像

『aloneークリスマスに咲く花ー』 Ⅱ.アラン(2)

 その日、つまり2年前のクリスマスから、アランはエリカのアパートに転がり込み、一緒に生活を始めることとなる。

 同棲をし始めた頃は、アランは昼間に看板制作工場に通い、夜になるとエリカのいる「バー・シャンブル」に酒を飲みに来てピアノ演奏を聴いていた。しかし、オーナーのザイエンは一番安い酒を一杯だけ頼み、何時間も居座る羽振りの悪いアランを嫌い、店からはじき出してしまう。
 夜に店に来ることができなくなったアランと、朝に寝床に就くエリカは、一日の間に殆ど顔を合わせることができず、気持ちもすれ違うことが多くなった。

 そんな生活が3か月ほど続いたころ、突然、アランが看板制作の仕事を辞め、「明日から絵描きとして生きていく」と言い出した。
「やっと僕のミューズを見つけたのに、全然君を描くことができていないじゃないか。これからの僕には、絵を描く時間が必要だ。でも、心配しないで、君はピアノを続けてくれよ。代わりに、僕が昼間に家のことをやるから」
 エリカは、仕事に出かける前に化粧をしているところだったが、アランの突然の言葉に思わず口紅をはみ出しそうになる。

「ちょっと待ってよ。勝手に決めないで。私の稼ぎだけで、二人暮らしていけると思っているの?」
「エリカ、大丈夫だよ。暫くは君を描くことを第一にしたいけど、時々は金持ちの肖像画を描いたりして、僕も稼ぐから。だって、君の店には多いだろう? 娯楽に金を使う役人や商人たちが」
「あの店の客を当てにしてるの? やめてよ、そんなこと。それに、私はただの雇われよ。客と特別なコネクションがあるわけでもないの」
「……ああ、エリカ。怒った顔も魅力的だね」
 アランはエリカを抱き寄せると、彼女の髪を優しく何度も撫でた。

 エリカは身勝手なアランに腹を立てていても、こうして大きな温かい手で撫でられると、子猫のように大人しくなってしまう。まるで、父親に抱きしめられて褒められている気持ちになり、怒っていた心もやがて安心感で満たされてしまうのだ。
 エリカが手放した「孤独」は、取り戻そうとするには大きく遠くに行きすぎた。この温もりと安心は、たとえ理不尽で身勝手な男であったとしても許せてしまうほど、何にも代えがたいものであり、彼女はこれが「愛」だと信じた。


 そして、現在──。
 エリカは仕事を終え、旧市街の端にある古いアパートに帰宅すると、アランは毛羽立った生成り色の毛布に包まりながら、いびきをかいてよく眠っていた。
 エリカは、オルダーマンからのチップで買ったふたり分のパンをテーブルに置き、開店前の市場で手に入れたジャガイモとエシャロットでスープを作り始める。

「僕が昼間に家のことをやるから」と言ってアランが家事をやっていたのは、最初の一週間だけだった。エリカの絵も、仕上げたのは二枚だけだ。最初の一枚目が早くに売れたものだから、次の絵もエリカをモデルにすぐに描き始めたが、二枚目が売れることはなく、アランの絵描きの情熱もそこでぽっきりと折れてしまった。エリカがアランの情熱が戻って来ることを信じて、かれこれ一年半以上が過ぎたが、その兆候は未だ見えずにいた。
 現在は、エリカのピアニストの収入が家計を支え、どうしても足りない分は両親の形見を質に出して何とかやりくりをしている。

「やあ、お帰り。おはよう。今日も綺麗だね」
 食事を準備する音で目を覚ましたアランが、スープに火をかけるエリカの背後から彼女の髪にキスをした。
「おはよう、アラン。よく眠っていたわね。今日の予定は?」
「……今日は画材を買いたいと思ってるんだ。だから、少し助けてもらえるとうれしいんだけど」
 その言葉を聞いたエリカは、鍋を混ぜる手を止めて振り返り、まじまじとアランの顔を見る。
「アラン、また絵を描く気になったの?」
「やっと描きたいものが見つかってね」
「あぁ! 嬉しいわ! やっと、やっと絵を描こうとする情熱が戻ったのね! なんて素晴らしい日なの!」
 エリカは、思わずアランに抱き着いた。

「それでね、エリカ。画材を買うために、まとまったお金が必要なんだ」
「……いくら必要なの? 給料日まではまだ一週間以上あるわ」
「それが、大きなキャンバスと筆一式と最新の絵具も手に入れたくて……。君のピアノを売ったらどうかな。ここじゃ殆ど弾かないし、ピアノは店にあるだろう?」
 突然、背筋に冷たいものが走り、エリカは咄嗟にアランから身体を離す。薄氷がひび割れるような音が、エリカの耳奥で冷たく響いた。

(つづく)

🌟つづきは、こちらから↓

🌟第一話は、こちらから↓↓


いつも応援ありがとうございます🌸 いただいたサポートは、今後の活動に役立てていきます。 現在の目標は、「小説を冊子にしてネット上で小説を読む機会の少ない方々に知ってもらう機会を作る!」ということです。 ☆アイコンイラストは、秋月林檎さんの作品です。