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【短編小説】初恋のきみに花束を(3)終

 十三時、米原駅に到着した。少し眩暈がするのは、夢をみていたせいか。

 駅の改札を出ると、「蒲沢生花店」と書かれたワゴン車に乗った璋が待っていた。

「おう、瑠那! こっちこっち。はよ乗りいよ」

 八年振りだというのに、くったくのない笑顔も「ゼロ距離感」も変わっていない。璋に向かって大きく手を振ると、小走りで車に乗り込んだ。

 道中は、どこまでも青空を映した美しい水田の景色が続いている。車窓からその景色を黙って眺めていると、私には何も聞かず、璋は近況を話し始めた。

 彼は今年になって親戚が営む生花店を継いだのだが、生花以外にも村で採れる笹や南天、椿の葉などを料理の「あしらい」として卸し始めたり、檜の葉をスワッグ用に販売したりと手を広げ、中々好調なのだという。

「相変わらず人たらしなのね」と言うと、「へへ」と鼻先をこすって彼は珍しく照れた。


 真っすぐな田んぼ道から山に入り、曲がりくねった峠道を進むと、米原駅から一時間半ほどしたところで、端中に辿り着いた。

 すると突然、璋は「これ持って降りて。俺はこれから一件『あしらい』の納品があるんや」と言って、私を車から放り出した。

 半ば強引に押し付けられたのは、濃紫色の菖蒲、白色のカラー、薄紫色のシラーの花が一本ずつという、花束というにはまとまりのないものだ。

「これどうするの⁉ 和海はもう来てるの?」
「まあまあ。先に教室行っとけ」
 璋は車の扉をぴしゃりと閉めると、さっさと車を走らせて行ってしまった。

 人気のない校舎に入ってみると、土と埃の混ざった懐かしい匂いがして、階段を上るたびに足元で軋む音がした。ふた月ほど前に廃校になったとはいえ、廊下には手描きのポスターや書道作品がところどころに貼られており、生徒たちの気配がまだ色濃く残っている。

 二階にある「三年一組」の教室の前に立つと、よく知る声が聴こえてきそうで一度深呼吸をしてから扉を開けた。

 すると、そこには寂しそうな目でこちらを見ている青年がいた。
 透明な緑がかった瞳を私に向けている。

「玖蘭……?」
 名前を呼ぶと、青年は頷いた。

 幽霊か、それとも幻を見ているのか。そんなことを頭で考えるよりも先に、胸の奥から大きな怒りが涙と共に込み上げてきた。

「ばか! 何で今頃現れるのよ! ずっと、ずっと待ってたのに!」

 急に沸騰したように怒り出した私に驚いているのか、玖蘭は黙ったまま私を見つめている。こんな姿を見せたいわけではないのに、胸にたまっていたものが溢れ続けてしまう。

「私、ずっと心配してた! 嫌われたと思ってずっと泣いてた! 家に行っても誰もいないし、夏休み明けたら急にいなくなってるし、ほんと何なのよ! ここに居づらくなって、私、一人で東京に戻ったんだから! 全部玖蘭のせいだよ!」

 八年も経ったのだから、もっと他に言えることがあるはずだ。
 それなのに、涙でぐしゃぐしゃになった顔からは子供じみた文句ばかりが勝手に飛び出してしまう。
 まだ少女だったあの頃のように、「ばか」と繰り返すことしかできなかった。

「嫌ってなんかないよ、嫌うわけないじゃないか」
 ようやく私を宥(なだ)めるように彼は口を開く。

「うそ! じゃあ、なんで来なかったの?」

「あの日の夜、週刊誌の奴がやって来て、僕のことを嗅ぎ回ってた。僕は……、母さんを村に置いていけなかった。すぐにタクシーで東京の事務所に向かった後、母さんを説得してから一人で父さんのいる海外に行くことにした。僕は約束を破った嘘つきだけど、でも、瑠那を嫌いになったわけじゃない。瑠那のことが好きだったけど、あの時の僕は自分のためだけに母さんを裏切ることができなかった」
「本当にごめん」と玖蘭は繰り返した。

 あの日、この村から逃げ出したかったのは私の方だ。
 あの時の玖蘭が本当に村から出て行きたかったのか、それとも、ただのホームシックだったのか、私はそんなことを気にかけてはいなかった。
 それなのに、勝手にキスをして、「駆け落ち」などと大袈裟にして彼を巻き込んだ。
 こんなにも自分勝手な人間だから、私は嫌われたのだと思っていた。私が強く望んだから、大切な人が離れていったと絶望した。

 けれど、彼の「嫌いになったわけじゃない」というたった一言で、心が洗われていくのを感じた。その言葉は、長年消えることのなかった私の呪いを解くのに十分だった。

「……こっちに来て」
 私の涙が止まり、呼吸が落ち着いてくると、玖蘭がこちらに手を差し伸べる。

 教室に入り、黒板の前で対峙した彼は以前より背が伸びて、前髪に隠れた瞳の奥がよく見えた。

「玖蘭も花を持ってるの? 私もさっき、璋から渡されたんだけど」
 彼も花を一輪持っていることに気付いて尋ねる。

「璋がみんなの誕生花を用意してくれたんだ。瑠那は『花言葉』好きだったでしょう」
「ああ、そうだ。あの頃よく本を読んで……」

 璋から受け取った花を確認しながら花言葉を思い出してみる。たしか、菖蒲は「優しい心」、カラーは「華麗な美」、シラーは「寂しさ」だ。

「璋のやつ、私にシラーを選んだな」
「『変わらない愛』って花言葉だよね」

 私は思わず顔を上げる。シラーには、そんな花言葉があったのか。

「はい、僕のもプレゼント」
 玖蘭は持っていた白いカーネーションを私に手渡す。

「瑠那、白いカーネーションの花言葉は知ってる?」
「純粋な愛?」
「『私の愛は生きています』って意味もあるんだって」
「え?」
「これでやっと全員揃った」

 玖蘭は私の戸惑いを知ってか知らずか、私の手の中に集まった四本の花を愛おしそうに眺めて、眩しすぎる笑顔を向けた。


「あのー、もう仲直りは済んだ?」
 声に驚いて振り返ると、両手にお菓子やジュースの入った袋をぶら下げた璋と和海が扉の影から覗いていた。
 その方角を鋭く睨むと、二人は恐る恐るこちらに近づいてくる。

 しかし、再び私の目に涙が溢れてくると、璋も和海も、そして玖蘭も私の元に駆け寄ってきて、一斉に抱き合った。
 そして、同じ時間、同じ分だけみんなで泣いた。

──私たちはようやく、ひとつになった。

(了)


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