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【連載小説】「みつばち奇想曲(カプリース)」第十二話



 七月下旬に差し掛かり、夏休みを迎えた。
 夏休みといっても、普段から遊びや行楽とは無縁のクレール女学院の生徒たちの生活が、特別大きく変わるわけではない。
 夏休み中も各自が選んだ教科の膨大な量の課題があるし、ピアノ、バイオリン、フルートなどの楽器レッスンや、テニス、乗馬などのスポーツ競技の演習など、学院専属の講師たちからレッスンを受ける時間も大幅に増える。そして、十月に行われる「演劇祭」に携わることが決まっている生徒は、その準備に追われることとなる。
 まだ中学二年生だったあの日、初めて会った薫から学院の話を聞いた時には、届けを出しさえすれば、一年の夏休みにすぐにでもパリに行けるのだと思っていた。しかし、入学早々、担任教師から聞かされた話では、どうやらそれが可能となるのは決まった単位数をいち早く取得した場合であり、どんなに早くとも二年生の夏以降になるということだった。
「パパにすぐに会えないのは残念だけど、来年には会いに行こう。それまでにもっと絵画の勉強をして、パパを驚かせよう」
 前向きに気持ちを切り替えられたのも、この学院に入学してから母の機嫌を取る必要もなく、ただ気の合うふたりの友人と毎日、時間を気にせずおしゃべりできることが心地良かったからだ。学院の外へ出ることが出来なくとも、休みの日に図書館にある美術書を読み漁れるだけで、この生活は充実していた。
 しかし、そんな悠長な時間を過ごせたのも五月初旬まで。白雪が突然登校しなくなった五月十日以降、日常は変わり始めた。
 最初は風邪でもひいて学校を休んでいるのかと思っていたが、白雪が欠席して三日目に「白雪はどうしたのか」と友梨と共に担任教師の榊芳美に尋ねてみた。
「松永さんは急なご病気で、暫くご自宅に帰られることになったのよ」
 その日、榊は鼻にかかった高い声でこう返しただけで、その後、ふたりで何度職員室を訪れても(押しかけたと言った方が正しい。)、「あなたたちは外部生でしょ。皆さんよりも礼法の授業も第二外国語の勉強も遅れているのだから、早く教室に戻ってお友達に教えてもらいなさい」と、ぴしゃりと扉を閉められて追い返されるだけだった。
 ある日には、クラスメイトの加納さくらに助けを求めようしたこともあるが、話しかけようとしても「あなたたちとは、もう関係ないわ」と言わんばかりに、こちらを一瞥するとすぐに教室から出て行ってしまう。昼休みに食堂で待ち伏せをしても、結局口をきいてもらえなかった。
 五月十日から二週間が経ち、その原因が檜崎クララにある、彼女たちが何かしたに違いないと、とうとう友梨とふたりでクララのいる「スリジエ」クラスに向かった。しかし、スリジエに押しかけていたちょうど同じ頃、クララは奈那と愛果を引き連れて「イリス」クラスにやって来ていた。彼女らは白雪に押し付けていた「オペラ『椿姫』とフランスの時代背景」というレポート課題を「いつになったら届けに来るのか」と文句を言いに来ていたらしい。入れ違いになりその現場を見ることはできなかったが、友梨の机の中にはその時の様子が書かれたメモが残されていた(おそらく賄賂を渡したもう一人だろうと友梨は言う)。
 担任の榊が言うことなど、はなから信じていない。白雪が姿を消してから二か月の間、さくらからから聞いた「赤い意見箱」のことなどすっかり忘れて、とにかく友梨と共に彼女の痕跡を探し続けた。美化委員であった彼女が何かメッセージを残していないか、白雪の姿を目撃した者はいないか、高等部の校舎をくまなく巡り、調べ続けた。
 特に、十七年前、叔母がこの学校で失踪している友梨は必死だった。秘密裏に持ち込んだルーズソックスやプリクラ、ポッキーやチュッパチャップスなどのお菓子と引き換えに、白雪の情報と誰も話したがらない「学院の秘密」を聞き出そうと積極的に他の生徒に絡んでいた。
 しかし、その情熱は裏目に出て、ある日、外部のものを持ち込んだことが学院側にばれてしまう。夏休みが始まる直前、友梨は校則違反で停学処分を受けた。即刻学院から出ることを求められた友梨は、部屋におおよその荷物を残したまま、少しの身の回りのものだけをまとめて強制的に家へと帰された。
 毎日側にいた友梨がいなくなると、寮の部屋が急に広く感じる。そばかすが魅力の愛嬌のある笑顔、日に透けると栗色に光る柔らかい癖毛の髪、鈴のような笑い声。思い浮かぶすべてがとても愛おしい。彼女のいない夜は静かすぎて、寂しくて、心細くて、眠る前になると自然と涙が浮かんだ。
「美憂、私がいない間も白雪を探して。私も父さんにもう一度、叔母さんのことを聞いてみる。白雪のことで何かヒントがないか、外でも調べてみる。だからお願い、約束だよ」
 部屋を出る前夜、強く手を握り、真剣な目で訴えた友梨の顔を思い出す。
「友梨ができないその分も、ひとりで頑張ろう」
 美憂は涙を拭ってから、そう心に決めた。
 長い夏休みが始まる。高校生になって初めて迎える夏は、「演劇祭」に関わる大きな試練が待っている。それは今の自分には身に余るものであるが、白雪の行方を知るための手がかりを得られる機会になるかもしれない。
 まだ何の確証もないが、夏の間は憧れ続けたあの人の側にいることができる。それだけが、唯一の希望だ。


(つづく)

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