【連載小説】「みつばち奇想曲(カプリース)」第五話
「ただ、お母様。まだ先の話ですが、もし合格した場合、美憂さんは三年間、学院内の寮に入ることになります。生徒は夏休みなどの期間や年末年始も学内行事準備やそれぞれの課題を担うため、基本的には自宅へ戻ることができません。たとえ家族であっても、会いに行ったり、電話をしたりということも出来ず、月に一度、手紙でやり取りができるだけだと聞きました。本校の生徒がクレール女学院からお話を頂くことが初めてなので、正直、どんな学生生活になるのか分からないところがあります。余計なお世話かもしれませんが、ここまでお母さまと美憂さんのお二人で支え合って生活されてきましたよね。突然離れ離れになって、美憂さんが寂しい思いをすることになるのではないかと心配しています。高校生といっても、入学する時にはまだ十五歳の女の子ですから」
片桐は、この中学が母の言う「ちゃんとした学校」に当たらないのかということには触れず、同じように娘を育てる母親として、美憂に気遣う視線を向けた。
「そんな、先生。この子は弱音なんて吐かない子なんです。私も、ひとりでしたら気ままに過ごせますから」
自分が側にいなくても、仕事から帰る母を待っていなくとも、母の気持ちが揺らぐことがないのだと直接聞かされる。まるで、母にとってはハンバーガーに挟まれたピクルスみたいに爪でつまみ出し、関係ないどこかへ置いてしまいたい存在のようだ。心の不安定な母の機嫌を取るために自分が我慢してきたことも、そして、諦めてきたことも、何の意味もなかったことを思い知らされる。
「私は、あなたみたいな女の子に自分自身を諦めてほしくないの。子どもだって、やりたいことを叶えるために道を選んでいいはずよ。良かったら、もう一度真剣に進路のことを考えてみて。……あなたの夢は、何?」
あの日の彼女の言葉を、美憂は何度も思い出していた。母が言うような器量よしでも、特別な子でもないと分かっている。母がくれなかった、欲しかった言葉をくれたのは、あの美しい彼女だけだった。
「美憂さんはどう? クレール女学院に興味はあるかしら。あまり情報は多くないけれど、名家のお嬢様方が多いから、好きな勉強をするには申し分ないと思うのだけれど」
「はい、先生。私、きっとその学校を気に入ると思います」
「良い子」の典型みたいな笑みを片桐に返す。
もし、クレール女学院に入学できたら、母や大人たちの都合に合わせて生きることはしなくても良いのだろう。美憂は、自分自身を諦めない代わりに、大人たちに甘えることを諦めることにした。
Ⅱ
「は? クララが頼んだ雑誌の今月号、買ってこられなかったってどういうこと⁉」
「ごめんなさい。先月外出したばかりだから、今月は『外出希望届』を受理してもらなくて……」
「信じらんない。あんた、クララの言うことが聞けないっていうの? 外出希望出したなんて噓なんでしょ」
「違います。本当に、提出したの……」
背中を丸めて俯く松永白雪を責めたてるのは、檜崎クララのとりまき、川瀬奈那と牧田愛果だ。
白雪は、クララの好きなアイドルの載った雑誌を先月も買いに走ったばかりだが、今月も同じ雑誌を手に入れろと命じられた。生徒が学院外に私用で出かけられるのは年に二回ほど。先月外出したばかりの生徒が、今月もと簡単に認められるはずがない。
クレール女学院の寮にはテレビは一台もなく、携帯電話などの電子機器を持ち込むことも禁止されている。人気アイドルの情報や、奈那や愛果の話すような言葉をどこで仕入れてくるのか不思議で仕方がない。
これが世間ではお嬢様学校で知られる私立クレール女学院高等部で交わされている会話だと誰が信じるだろう。挨拶は「ごきげんよう」、お辞儀はきっちり十五度の会釈、三十度の敬礼、四十五度の最敬礼を使い分け、何かを承る時には「かしこまりました」と例え相手が同級生であっても敬語を用いる。幼稚舎からこの学院で過ごしている生徒にとっては、それが「普通」でいわゆるスラング(若者言葉)が日常的に使われることはない。
「──ただし、表向きは」と、白雪は心の中で呟く。
「松永さん、本当に『外出希望届』を出したなら、その証拠を見せて? 私も意地悪したいわけじゃないの。嘘は悪いことよ。松永さんが嘘つきじゃないって証明して」
奈那と愛果の後ろから、クララは長い髪をふわりと揺らして、柔らかな口調で語りかける。しかし、きっちり揃えられた前髪の下にはあるクララの細い目には、獲物を狙う蟷螂のような鋭い視線と暗い怒りが隠されている。羽音を立てながら敵を責め立てる蜂のような奈那と愛果とは違い、クララは言葉を鋭利な刃物のように突き立てる。
「あの、これ……」
「否」と判の押された「外出希望届」を、スカートのポケットから取り出してクララに差し出す。すると、クララは白雪の指先からすかさずその紙を奪い、バラバラに引き裂いた。
(つづく)
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