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【エッセイ】お酒の飲めない二人は「至福の儀式」に憧れる(#いい時間とお酒)

お酒が好きな人がうらやましい。

「仕事帰りに一杯ひっかけて帰ろうかな」
「金曜日に友達とワインバーに行ってきたの」
「いやー、昨日はつい飲みすぎちゃって」

そんな言葉を聞くと、「それを一口含んだ瞬間には、どんな感動があったのだろう」、「一体それはどんな至福の時間だったのだろう」と、想像だけで喉が鳴る。

私も数年前までは、休日に友達と飲みに出かけたり、デートでワインを味わってみたり、そんなことを普通に楽しいんでいたはずなのだが、いつの間にか小さなグラス半分ほどの量で睡魔に襲われるようになり、すっかりアルコールに弱い体質となってしまった。

最近はお酒を控えることにしているが、それを必ずしも悲観的には捉えていない。
なぜなら、私にはまだ「チョコレート」という最後の(好物の)砦がいてくれるからだ。

けれども、そんな思いはただの「強がり」。単なる心の防衛機制だと思い知る。

考えないようにはしていても、「お酒が飲める人はいいな」と思う瞬間は意外とすぐにやって来て、そんな時にはつい本音を呟いてしまうものだ。

「お鍋にビール、最高だなあ……」

テレビCMを見ながら、ぽろりと口から言葉がこぼれた。

夏にキンキンに冷えたジョッキに注がれて雲の冠を浮かべていた黄金色の液体は、冬になれば曲線の美しいグラスに注がれて、旬の具材が詰めこまれた湯気立ち上る熱々の鍋の隣で麗しい輝きを放っている。

「いいわよねぇ……。お鍋にビール」

私の言葉に反応したのは、隣に座っていた母。

母は、昔は仕事仲間と一緒に随分とお酒をたしなんでいたようだが、歳を重ねてあまり飲めなくなった。
彼女がもっぱら愛飲しているのは、「ドトール」のドリップコーヒーと「健康ドクダミ茶」だ。

お酒をあまり飲めない私たちは、こうやってビールのCMを眺めては、いつも憧れの混じった溜息をついていた。


CMの中で繰り広げられる「お酒とともに美味しそうに食事をする人々の行い」は、まるで「至福の儀式」のようだ。

「儀式」といっても、厳かな気持ちになるものでも、蘊蓄うんちくを傾けるものでもない。

むしろ、その瞬間、その空間から生まれる、そのお酒と料理だからこその味わい、一種の「マリアージュ」を感じることに、この「儀式」の意義があるように思える。

そこにあるのは、きっと一期一会の「未知の美味しさ」だ。

人の脳は一日で覚えたことの七割を忘れてしまうというから、遠い昔に経験した「魅惑のマリアージュ」の記憶を、母と私は今も探し求めているに違いない。


「そうだ、ホットワインは?」

ふと、少し前にパントリーで赤ワインの瓶を見かけたことを思い出し、提案してみた。

「ワイン? そんなもの、まだあったっけ?」
「この間見かけたよ。すごい端っこで」

それは、「いつか飲むかもしれない」と買っていたものの、棚の最下段で忘れ去られ、静かに眠っていたオーガニック・ワイン。

ホットワインにすれば、アルコールもある程度飛び、私たちでも(家であれば)問題なく楽しめるのではないかと思いついた。

「いいわね、ホットワイン。クリスマスも近いし」

反対されるかと思ったが、母も乗り気だった。

翌日、ホットワインの材料を買いに行き、早速作ってみた。

鍋にたっぷりとワインを流し入れ、スライスしたオレンジを多めに加える。

シナモンスティック、八角(スターアニス)、クローブの実。
三種類のスパイスも忘れずに。

鍋は長めに火にかけて、最後にとろりと蜂蜜をスプーンで溶かし入れたら「自家製ホットワイン」の完成だ。


夕食前に、出来上がったホットワインをカップに注ぐ。

丁度よい大きさの耐熱グラスがなく、私は「マリメッコ」のマグカップ、母は「ドトール」のコーヒー専用にしていた「ロールストランド」のカップを選んだ。

「耐熱グラス、あってもいいね」
「今日のが美味しかったらね」

うん。母は現実的だ。

それぞれテーブルの定位置の席につき、「ふうふう」と息を吹きかけてから一口すする。

「うん。美味しい。美味しいよね」
「うん。いいじゃない」

オレンジの甘味と酸味、ほんの少しだけ皮の苦み。
三種のスパイスはエキゾチックな異国の風を運ぶ。
ワインの渋みも、蜂蜜をいれたおかげでだいぶ飲みやすくなっている。

だいぶ煮込んでアルコールを飛ばしたが、ジュースとは全く違う複雑でいてホッと落ち着く味がした。

その日の夕食は、生姜焼きに白菜と大根の煮物という「ザ・和食」のはずだったが、私たちは冷蔵庫からクリスマス用に買っておいた生ハムやチーズを取り出して、「リッツ」とともに食卓に並べ始める。

「ちょっとだけお酒の気分を味わうだけだもの。味見くらい、いいよね」
「そうよ。ちょっとくらいいいわよ」

「ちょっと」と始めた味見は、いつしか本格的な宴となった──。

「まあ、いいのよ。こんな日もあって」

母は珍しく上機嫌で、二人してほろ酔いになると、「食べてしまった分は早めのクリスマスということで」と合意した。

お酒を楽しむ人々の世界に憧れ、うらやんでいた私たちだったが、蓋を開けてみれば「食べたいもの、飲みたいものをただ好き勝手に口に入れていた」だけで。「魅惑のマリアージュ」のことなど、すっかり忘れていた。

けれど、それでも不思議と何を食べても美味しくて、何だか幸せな気持ちで満たされていた。

もしかすると、私たちの求めた「至福の儀式」は、ただ日常のほんのひと時でも「ほわわ~ん」とできればよかったのかも……? 


ただ、温かい部屋で飲み食いしながら微睡まどろんで。
ただ、ぼーっとしながら思いついたことを呟いて。
ただ、何でもないことに思いきり笑って。

そんな時間を過ごしていると、夜がとても長く感じた。

一分は六十秒、一時間は六十分。

いつもと同じリズムで時計は秒針を刻んでいるはずなのに、いつまで経っても夜の八時は来なかった。

「夜は長かったんだなあ」

そう呟くと、「まだまだ夜はこれからよ」と母は言う。

「今日も泊っていけば?」

私のカップにおかわりを注ぎながら、彼女は笑った。


(おわり)

※ヘッダーイラストは、「すいかねこ」さまの作品をお借りしています。

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