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【連載小説】「春夏秋冬 こまどり通信」第一話(全十話)(創作大賞2024・お仕事小説部門応募作品)

あらすじ
「こまどり色鉛筆絵画教室」通称「こまどり教室」を、亡くなった先代の叔母から引き継いだ、新米講師のちどり。
自宅兼教室でもある大正時代の洋館には、それぞれに思いを抱えた人々がやって来る。
内気で口数の少ない、小学一年生の椋くん。
優等生な印象の、大学生の麗さん。
一度教室を辞めたけれど、「どうしても仕上げたい絵がある」という江永さん。
色鉛筆を習いに来たわけではないと話す、スーツ姿の宇久井さん。
色鉛筆画や絵を描くことを通して、それぞれの人生に触れながら、ちどりは叔母・ちーちゃんに抱く思いと向き合っていく。
春夏秋冬、食べ物が思い出を繋いで。
優しさと、愛と、一歩を踏み出す連作短編集。


目次
Ⅰ.春
Ⅱ.夏
Ⅲ.秋
Ⅳ.冬


Ⅰ.春


『こまどり色鉛筆絵画教室 どうぞおはいりください』
 半円を描く空色の木製扉をゆっくり開けて、門の外にかけてある表札プレートを「welcome」と書かれた方に裏返す。
 雨に晒されて消えかけていた表札の小鳥の絵は、二週間前に幼馴染みのカワやんがアクリル絵の具で描き直してくれた。
 つやつやの羽を取り戻しただいだい色の小鳥の隣に、新しい白色の小鳥がもう一羽。カワやんが言うには、これは新米の私を表しているらしい。

「ちどりちゃん、おはよう。今日からいよいよ始めるの?」
 隣に住む目代めじろさんが、二階の窓を開けて話しかけてきた。
「はい。お休みしてもうすぐ半年が経ちますし、教室を再開しようと思って」
 そう答えると、目代さんも目尻に柔らかい皺を寄せて、笑顔を返してくれる。

 この教室の先代である、叔母の「ちーちゃん」が亡くなって三か月。長い冬は終わり、春が来た。
 そろそろ動き出さないと、「あんた、いつまで寝てるつもりなのよぉ」と、彼女は気怠けだるそうに文句を言うに違いない。

 祖母が、正しくはその父母である曾祖父母が遺した、大正時代に建てられた古い洋館。
 これからは、私が「こまどり色鉛筆絵画教室」、通称「こまどり教室」の主。
 今日から、私がこの場所を守っていくのだ。 


 四月は、誰もが新しいことを始めたくなる季節。
 そう目論もくろんで、先月の終わりに色鉛筆画教室の小さな案内広告をご近所に配ってみたけれど、午前中に電話が鳴ったのは「古道具を買い取ります」という怪しげなセールスの電話一度きりだけだった。

 昼食に即席ラーメンを鍋で作り、生卵を一つ割り入れる。
 そういえば、冷蔵庫に海苔もあったっけ。
 と冷蔵庫の奥から湿気しけた海苔を探し当てると、器に盛ったラーメンの上から細かくちぎって、スープが隠れるほど振りかけた。
 最初はこんもりとしていた暗緑色の山も、だんだんとしなびて醤油味の液体の中に沈んでいく。

 ちーちゃんがいた頃は、朝は五枚切りの食パン、昼と夜はご飯が主食と決まっていた。
 冬はうどん、夏は素麺そうめんといった麺料理のこともあるけれど、「白米を食べないと力が出ないのよ」と言って、こまどり教室の活動が本格化する午後は断然「米推し」。

 私が昔、高校の制服のスカートから覗く脚の太さを気にしてダイエットをしていた時も、奨学金を貰うために専門学校の特待生を狙って夜中まで勉強していた時も、いつもちーちゃんは白米を握り、その中に色々な具を入れて食べさせた。
 鮭や昆布、明太子。時には、豚の角煮やしぐれ煮が隠されていて。ほんのりと甘い白米に染みた塩味やあまじょっぱさを知ってしまったら、磯の香りのする海苔で巻かれたふっくらとしたトライアングルの中に何が隠されているのか気になって、平らげずにはいられなくなるのが必然だった。

 リビングの中央にある掘りごたつに足を下ろし、テーブルの上にできあがった即席ラーメンをのせる。海苔にまみれて少し伸びてしまった麺をすすると、麺を食べること自体が久しぶりでむせてしまった。
 家の大きさに対してこじんまりとしたリビングでは、こんな時、ツッコミ役がいないと視線のやり場に困る。

 白い窓枠に囲まれた上げ下げ窓から外を臨むと、ガラスに桜色の花びらが一枚張りついていた。
 私がこの家に来たのは、ちょうど二十年前の春だった。ちーちゃんが小学一年生の私に初めて色鉛筆を握らせてから、いつの間にか多くの時間が過ぎていた。


 遅めの昼食をとってから二時間後、インターホンのチャイムが鳴る。
「こまどり色鉛筆教室」を再開して、最初の生徒さんがやって来たのだ。どきどきと胸の中で太鼓が鳴っている。

「いらっしゃい。お待ちしていました」
 正面玄関の扉を開けると、赤羽さんが立っていた。ロンTに青色のストライプ柄のシャツを羽織り、ジーンズに白色のスニーカーを履いて、快活な印象のショートカットヘアの耳元では天然石のピアスが揺れている。

「ちどりちゃん、こんにちは。今日からまた凛のお教室をよろしくね」
 赤羽さんの右手には、小学一年生になったばかりの娘の凛ちゃんの手が繋がれている。けれど、もう一方の手には、凛ちゃんと同じほどの年頃の見知らぬ男の子がいた。うつむいて顔はよく見えないけれど、誰だろう。

「あ、それでね、この子、むくくんっていうんだけど、急に知り合いから預かることになっちゃって。凛と一緒に、教室に参加させてもらえないかしら」
「え?」
「実は、この子のお母さんが、里帰り出産で入院中なのよ。お父さんの妹さんが泊まりで椋くんの面倒を見ているらしいんだけど、ライターさんっていうのかしら、これから急な取材が入ったとかで、夜まで帰って来られないらしいの。北来きたきさんって言うんだけど、凛を学校に迎えに行ったらすごく困っててね。夜の七時までって約束して、私が預かることにしたのよ。椋くんもね、凛と同じ小学一年生なの」

 私に口を挟ませず、小鳥のように言いたいことをさえずった後、赤羽さんはにっこりと笑顔を向けた。その表情からは「同じ一年生だから、いいでしょ?」という無言のメッセージを感じる。

「えっと……、凛ちゃんと一緒に教室に参加していただくのは構わないのですが、私一人での『こまどり教室』は今日が初日で、十分な準備が……」
「なーに他人行儀なこと言ってるのよ。凛も椋くんも、三十分くらいなら静かに座ってられるから大丈夫。私も買い物を済ませたら、すぐに戻ってくるから」

「え、赤羽さん、いてくれないんですか?」
 先代の時は、凛ちゃんが教室で絵を描いている間、同じ部屋のソファーでいつも寝転がって本を読んでいたじゃない。
 思わず目を見開いて、そう言いかける。

「商店街にお豆腐買いに行くだけだから。ね、お願いよ」
 赤羽さんは、繋いでいた二つの小さな手を、私の両手にバトンタッチする。庭の石畳を早足で歩いていくと、すぐに門の外から「チリン、チリン」と赤羽さんの鳴らす自転車のベルの音がした。

「それじゃあ……、凛ちゃん、椋くん。お家に入ろうか。一緒に絵を描こうね」
 ふう、とひと息吐いてから、二人を迎え入れる。
「わーい! ちづるせんせいのおうちだー!」
 家の勝手を知っている凛ちゃんは、すぐに靴を脱いでぱたぱたと足裏を鳴らしながら廊下を走っていく。椋くんはうつむいたまま小さく頷くと、靴を揃えてから玄関の敷居をまたいだ。

 昔から二軒隣に住んでいる赤羽さんは、ちーちゃんの妹みたいな人だった。ちーちゃんよりも十も年下だけれど、ちーちゃんとの口喧嘩では負けたことがない。
 私はやっぱり「赤羽さん」としか呼べなくて、赤羽さんも前と変わらず「ちどりちゃん」と私を呼ぶ。
 私達を繋ぐ「ちーちゃん」を失くしても、赤羽さんは「こまどり教室」の再開を知らせて一番に予約を入れてくれた。凛ちゃんと椋くんの背中を見ていると、両腕を広げて迎えるちーちゃんの姿が見えた気がした。

 

 色鉛筆画の教室に使っているのは、洋館の応接間にあたる部屋。
 一階の部屋の中で一番日当たりがよく、白い壁には今は使われていない煉瓦造りの暖炉が備わっている。祖母の愛用した、座ると尻を跳ね返すゴブラン織りのソファーはそのままに、部屋の中央には毛足の長い絨毯じゅうたんだけを敷いて、生徒さんに合わせた机と椅子をその都度準備した。

 部屋の奥には小上がりがあり、一面に取り付けられた上げ下げ窓から太陽の光が入り込む。窓を少し開けておくと、レースのカーテンが風に揺れて、光の粒が床の上でゆらゆらと泳いでいた。

 建物が珍しいのか、椋くんは玄関から一歩入ると、きょろきょろと辺りを見回している。「こっちだよ」と手招きすると、椋くんは少し恥ずかしそうにして、応接間まで小走りで来てくれた。

 まずは、凛ちゃんのために用意していた小さな木製の椅子と机を部屋の隅に片付ける。それから、部屋の真ん中に三人で座ることのできる折り畳み式の白い丸テーブルを広げた。座布団を並べて、テーブルを囲むように座れば、私一人でも二人の様子を見ることができるだろう。

 凛ちゃんは「りんは、こっち!」と言って、北欧風のピンク色の生地を繋ぎ合わせて作ったカバーをかけた座布団の上にちょこんと座る。椋くんは、私が「そちらにどうぞ」と言うと、やはり小さく頷いて凛ちゃんの隣に正座した。

 八つ切りサイズの画用紙を二人の前にひらりと置いて、椋くんの前には十六色入りのクレヨンを用意する。すると、椋くんは「わあ」と小さく声を漏らす。   
 まだ小学生になりたてだからと、クレヨンを選んでよかった。
 と、私はほっとした。

「椋くん、はじめまして。私は、ちどりです。椋くんも、今日は好きな色のクレヨンを使って、自由にお絵かきを楽しんでね」
 小さな反応が嬉しくて、つい明るく話しかけてしまうと、声が大きすぎたのか、椋くんはまたうつむいてしまう。さらさらした髪が前後に揺れて、何か考えているようだった。

「ちどりちゃん、きょうは何をかくのー?」
「さあて、今日は何を描こうか。凛ちゃんの好きなものを描いていいよ」
「はあい!」
 凛ちゃんは元気よく返事する。
 先代が亡くなってから暫く教室をお休みしていたけれど、凛ちゃんはおけいこバッグからクレヨンを取り出して、画用紙の利き手側の脇に置くことを心得ていた。先代から教わったことを、今もしっかりと覚えている。

 真っ白な紙の上に、先に黒色で大きな丸を描き始めたのは、凛ちゃんだ。
「りんね、きょうはママをかくんだー。せんせいが、らいげつは『ははの日』っていってたのー」
「そっか、五月には母の日があるね。凛ちゃんは、ママに絵をプレゼントするんだ」
「うん! そうなのー」
 顔の輪郭を描き終えると、凛ちゃんはクレヨンを持ちかえて、小さな手に握ったピンク色で赤羽さんの髪の毛を塗っていく。
 今は明るい茶色をした赤羽さんの髪の毛は、一時ビビットなピンク色をしていた。ちーちゃんがいなくなった後のことだった。

「凛ちゃんは、ママのその髪が好きなの?」
「ピンクのママは、かわいいでしょ? ピンクは、ママをげんきにするの」
「うん。そうだね。ピンクのママは、かわいくて最強だね」
 じわっと涙が浮かびそうになって、つい椋くんの方に視線をそらす。
 椋くんは一本のクレヨンを握りしめ、画用紙を見つめたまま固まっていた。

「椋くん。どうしたの? 何を描いたらいいか、迷っちゃったかな」
「……」
 その時、インターホンが鳴る。今は教室の最中だからと応答せずにいたけれど、その客は門を開けて玄関先までやって来た。

「ちどりー! いるんだろ? おーい」
 よく知る声が何度も呼びかける。どうやら私が出るまで帰る気がないらしい。
「……凛ちゃん、椋くん、ごめんね。ちょっとの間、二人で描いててもらえるかな」
「はあい」
 凛ちゃんは絵を描くことに夢中になって、顔を上げずに返事した。

 廊下を走って玄関に向かうと、勢いよく扉を開ける。
「カワやん! 今、色鉛筆のレッスン中なの!」
「んなの、知ってるよ。赤羽さんから伝言頼まれたんだよ。戻るまでもう少し時間がかかりそうだって」
 玄関の扉に張り付いた六枚のガラスが私の怒りにガタガタと震えても、私より二十センチ背の高いカワやんの身体はびくともしない。「河瀬商店」と書かれた藍染のエプロンを巻いた樫の木みたいな彼は、中学生になった頃には私を置いて、一人でぐんぐん空へと近づいていった。

「そんなの、携帯に電話かメールくれたらいいのに」
「出ないから直接来たんだろ。赤羽さんも、急に自転車が壊れて困ってんだ」
 スラックスのポケットに入れていた携帯電話を、こっそりと確認する。電源を切っていたことをすっかり忘れていた。

「……そっか、ありがと。二人ともここで預かっているから安心してって、赤羽さんに伝えて」
「おう」
「じゃあな」とカワやんが言いかけた、その瞬間。

「きゃーー‼」
 凛ちゃんの叫び声が、洋館のひんやりした廊下に響き渡った。


(つづく)



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