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人生の振り返りなど

ここ数日調子が悪いので、自分の生い立ちを振りかえってnoteを書いてみようと思う。

小学校

そういえば学校に行きたくないイヤイヤ期があった気がする。小学2年生くらいだろうか。家から離れるのが寂しかった。でも多分2年生だけだった。

3年生からリコーダーを吹くようになって、すっかりハマった。栗コーダーカルテット(ピタゴラスイッチの曲とかを演奏してるグループ)の曲を耳コピしたりして遊んでた。6年生くらいまでずっとそんな感じだった。この経験は、中学校で吹奏楽部への入部のきっかけにもなった。

低学年の頃は、けっこう貧血で倒れたこともあったし、朝頭痛に悩まされることもあった(結局学校に行ったら治るのだが)。精神的にも肉体的にも弱い方だったのかもしれない。

6年生の時は児童会長をやった。昼休みはほとんどなかったが、色々企画を考え、挑戦する面白さを味わえたと思う。

何かと弱いところはありながらも、色々なことに興味を示し、活発に挑戦していたように思う。それによって、周りの人からの評価も高かったと思う。

中学校

吹奏楽部に入った。第一希望はトランペットだったが、第二希望のパーカッションに配属。1年生の時はほんとに何もできなかったが、3年生の時はそれなりに技術も身につき、同期の打楽器は私だけだったが、なんとかパートを引っ張ることができたと思う。コンクールで3年連続で地区代表に選ばれたのも、思い出の一つである。

3年生辺りからは勉強に目覚め始めた。それまで20位くらいだった定期テストの学年順位は一桁になった。とはいっても、地方の公立中学校の中での話である。

受験の直前、多分11月くらい、そのままいけば余裕で受かるところを目指していたが、周りが勉強に励んでいる中、自分だけ余裕綽々で受かるところを目指していて、本当にこれでいいのかという気になって、志望校を上げた。本番当日に自己最高得点を記録してなんとか合格できたのは、運もあったかもしれない。

相変わらず、自分の興味に従って色々挑戦し、成果を上げ、周りからの信頼もそれなりに得ていたと思う。

高校

1年生の時は数学と物理にハマった。まだ学校でやってもいない物理を自分で勉強し始めた。色々な高校が集まる科学系のイベントに参加し、ポスター発表などのスキルも身についた。本当に楽しかった。吹奏楽コンクールではまた地区代表に選ばれ、順風満帆だった。

2年生の時から、状況が次第に変わっていった。当時付き合っていた子と別れ、学校祭の準備で色々とギスギスし、コンクールでは初めての地区落ち。その後秋ごろから始まった次年度の定期演奏会の準備も思うように進まなかったし、模試の偏差値も下がる一方だった。親にもそのことはいろいろ言われ、自分の努力が足りないと思った。そんな中で、だんだん精神を病んでいった。

2年生の冬頃には自殺念慮もあり、多分鬱になっていたと思う。原因不明の蕁麻疹が出始めたのもこの頃だ。成績も芳しくなく、他のことでも何も成果が出せない自分が不甲斐なかったし、自分の居場所がないような、どこか孤独な感じがした。

結局、小中学校が楽しかったのは、興味のあることに挑戦したからではなく、それによって周りから承認を得られたからなのだろうか。なんてことを考えた。

そんなときにコロナがやってきた。学校が休みになったことで、色々あった悩みの種は一気に消え、精神的には回復したかのように見えた。しかし、家で思うように勉強できず悩み、友達に会えない寂しさを抱える一方で、親は勉強しろしか言わない。自宅は決して居心地のいい場所ではなかった。

5月ごろから学校が徐々に再開し、友達と会う喜びをかみしめることができた。また、同じパートの後輩もでき、先輩として慕ってくれて、少しの間しか一緒に活動しなかったものの、嬉しかった。

秋ごろから、また精神を病み始めた。成績が伸びず、親との摩擦も多くなった。志望校を変えるように何回も迫られた。ただ、死にたいとは思わなかった。いつでも逃げ込める相談室があって、親と喧嘩した時は、いつも決まってそこに逃げ込んだ。家にも塾でも自分の居場所を見出せなかった私は、ようやく自分の居場所を見つけられた気がした。

結局、志望校を変え、そこには受かった。自分の意思で変えたのか、親に変えろと言われたからなのか、よくわからない。気づいたら今の大学にいた。

自分の実力で何かをつかみ取ることは素晴らしいことだが、同時に、自分の力ではどうにもならないこと、いわば運命のようなものはあり、人間一人の力なんて、それに比べればちっぽけなものだと悟った。この事実は、高校で一番の学びと言っても過言ではないかもしれない。

大学

最初は、新鮮さを感じながら意欲的に学んでいたと思う。しかし、5月ごろから徐々に気力が下がり始め、6月には鬱になった。この時は大学の保健センターでそう診断された。後期から休学しようかとも思ったが、結局それには至らなかった。

うつ病との付き合いが続く中、大学の吹奏楽団の学生指揮者に立候補した。かなり強引な判断だったと思うが、そのおかげで最終的に自分の音楽観もだいぶ変わって、よい経験ができたので、後悔はしていない。

学業面ではなかなか思うようにいかないことが多かったが、その時の自分なりに、ベストは尽くしていたのではないかと思う。入試の点数はほとんどビリで、1年前期の成績は酷いものだったが、2,3年生では、GPAは平均くらいにまで回復した。それだけでもなんとかなった方だと思う。

大学3年生の時、吹奏楽コンクールで地区代表に選出された。嬉しかった。中高の吹奏楽部のように、専門知識を持った顧問の先生がいるわけでもない。確実に、自分たちの力でつかみ取った成果だった。しかし同時に、それを実現し得る偶然が重なった年でもあった。

現在

今は、大学院入試に向けて勉強している。抗うつ薬の投薬はもう終わったが、5月ごろから気分障害らしきものが現れ、たまに気分が落ち込んで何もできないことがある。勉強しなければいけない時期なのは間違いなが、それでも、自分の力でどうにもならないことはあるし、そういう時は、無理に勉強しないことにしている。

自分は、自分の力ではどうにもならないものに動かされていると思うし、人は誰しも、多かれ少なかれ、そういう力に動かされていると思う。生まれ育った環境は変えられないし、病気は、自分の努力や気合で治るものではない。

しかし、自分を取り巻く環境は時々刻々と変化するものである。調子が悪くて思うように頭が働かなくとも、それがずっと続くわけではない。突然チャンスが巡ってくることもある。なので、常に本気を出すのではなく、「ここぞ!」という頑張りどころを見逃さず、そこで後悔のないように力を出し切るのが大事なのだと思う。

いままでに努力して何かしらの成果を出せたのは、それ相応の環境があり、「流れに乗る」ことができたからだと思う。何も成果が出せなかったのは、自分の努力の結果でもあるが、自分のコンディション的にも、周りの環境的にも、そういう「流れ」がなかったからなのかもしれない。環境のせいにし過ぎることも、自分のせいにし過ぎることも、どちらも健全ではないと思う。

それでも、休む時には多少の罪悪感というか、後ろめたさみたいなものがある。多分、自分は主に小学校中学校の経験を通して、チャレンジする面白さとともに、周りから承認を得ることに味を占めてしまったのだと思う。そういう風に生きたくはないと思いつつも、どこかで、成果を挙げて周りから認められたいと、未だに思っているのかもしれない。そんな自分とも付き合っていくしかないのだろうか。

果たして私はこれからどうやって生きていくのだろうか。不安でもあり、楽しみでもある。

編集後記
やっぱり、小中学校は記憶が薄いので、記述量が少ない。もっと記録をたどれば、色々あるかもしれない。文章に書き起こすと、頭の中身が整理される。また調子が上がらないときが来たら、加筆するか、新しい記事を書こうと思う。

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