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ベニクラゲの午睡 2.

盛夏、那須高原での休日(晴天の霹靂)

 ホテルのレストランから続くデッキからの見晴らしは、なかなかのものだ。私と妻の結婚祝いにと、娘のすみれがプレゼントしてくれた景色だ。ホテルの敷地にある広い草原。その真ん中には大きな白樫の木。幹の低いところから太い枝が何本も伸びていて、木登りに持ってこいだ。今も4、5人の子供たちがどこまで登れるか、アタックしている。白樫の背景には、森の緑の地平線、その上には群青色の空が広がっている。

「スミチャン、このうえなく素敵なお心づくしを、ありがとうございます。母親冥利につきる、とはこのことでゴザイマス。」
 カフェモカのカップをテーブルに置いて、妻のオーロラが娘をじっと見つめて礼を言う。  
 イギリス生まれで日本での生活は長く、日本語ペラペラのくせに。初めて日本に観光に来た外国人みたいに語尾が片言っぽいイントネーションなのは、照れ隠しのつもりだろうか。

「ううん、私も運よく夏休みがとれたし、景色がいいところで、のんびりしたかったんだ。
それからママ、わたしもう24なんだから、『スミチャン』はそろそろ勘弁してほしいんだけど。」
 すみれはちょっと頬を膨らませた後、グレープフルーツピーチのストローに口をつけ、手のひらで髪をかき分ける。綺麗になったものだ。その髪の色は、妻のそれよりも、いく分暗い。亜麻色というのか。
「パパはこのホテルに来てから朝昼晩、温泉三昧だものね。肩凝り、治ったでしょ。」
 私がじろじろ見ているのが気になったのか、娘が話を振ってくる。
「ああ、だいぶ肩が軽くなった。でも東京に戻ったらまた・・・」
「あー、今はそんなこと考えないの! せっかく奮発したんだから。」
「申し訳ない。でも本当にいい場所、いい時間をプレゼントしてくれて、ありがとう。」
 この夏、娘は勤めているヘアサロンでチーフとなり、給料も上がったとかで、高原の温泉つきリゾートホテルの旅に招待してくれた。

 陽射しが陰り、風が少し冷たくなってきた。森と青空の境にうっすらと雲が湧き始めた。そろそろ室内に戻ろうかと席を立ちかけたころ、はるか地平線のあたりがチカっと光った。10秒くらい経ってから、くぐもってはいるが、ずーんと大地を震わすように遠雷が響いた。

 これは気をつけた方がいいやつだ。以前、ゴルフ場で肝を冷やしたことを思い出す。その時は、念のためプレイは中断したが、まだ大丈夫だろうと高をくくって、のんびりとと東屋に移動した。そのさなか、わずか20メートル先の東屋の避雷針を閃光が直撃したのだ。

 空が少し暗くなった。
 草原の白樫に目をやると、一人の女の子がまだ木に登ったままではないか。
 私はとっさにデッキを駆け下りながら白樫に向けて大声で叫ぶ。
「早く降りなさい!」
「降りられなくなっちゃった! 」

 これはまずい。木はまずい。走るスピードを上げる。走りながら振り返ると、妻と娘も必死についてきている。追い返そうとしたが、考え直した。あの子を木から降ろすには、人数がいた方がいい。女の子は、白樫の幹が二股に分かれ、その一方のさらに分かれたところに跨り、しがみついている。幸い木の根もとは草が生い茂り、柔らかそうだ。

「飛び降りるんだ! 」
「やだ! こわい、できない。」
 べそをかく女の子をなだめすかして説得にあたるが、恐怖心に支配され、彼女は身動きできない。

 ドーン。
 だいぶ近い所で雷鳴が響いた。

 妻のオーロラが私と並び、手を広げる。それにならって私も手を広げる。二人で「救助マット」になって受け止めよう。妻が今まで聞いたことがないような大声で叫ぶ。
 「安心して! 大丈夫だよ。さあ、ここに飛んで! 」

 女の子は一度ためらったが、ようやく決心して木の幹から手を離した。
 真上から落ちてくる子を二人でキャッチする。顔にスニーカーが直撃したが、どうってことはない。とにかく今は1秒でも早く。
「すみれ、いくぞ! 」
 私と妻とで、その子を振り子のように降って、娘に向かって放り投げる。転がりながら女の子をキャッチした娘は、何をすべきか咄嗟に理解したらしく、その子を近くのこんもりとした草原に力の限り、投げ飛ばした。

 それを見届けた私は、妻の手をとって、木の根元から離れる。
 その瞬間。
 バチッ、と電気がショートするような音とともに、目の前がまばゆく白・・・

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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