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ベニクラゲの午睡 27.(最終話)

夢の中のエピローグ(ぷるぷるの昇降係)

 家族4人で江ノ島の水族館に行ったその夜。
 寝室に射し込む月明かりを感じて私は目を覚ました。

 まずは、ここが現実の世界なのかを確かめる。
間違いなく、私と夫の部屋。広さは8畳ほど。元々私が子供の時から使っている部屋なので、夫婦と子供の4人で寝るのには狭いが、何となくそのまま寝室として使い続けている。
 私の父と母の寝室は12畳と余裕の広さだが、エミが居候していた時以来使われずに、家具やベッドもそのままになっている。子供達が少し大きくなったら、部屋の中を整理して子供部屋にしよう。多分・・・。二人はあの部屋を使い慣れているだろうし。

 双子用のベッドで眠る、お姫様、王子様の寝顔を確かめる。月明かりに淡く照らされた女の子のほっぺを撫でると、小さな口で微笑み。男の子のほっぺに触ると、少しむずかった。

 そう。ここは現実の世界なんだ。夢みたいに幸せな時間が流れる現実。私ひとりでは掴むことができなかった現実。

 私の傍らで、体をくの字に曲げて、むこうを向いて寝ている夫。さっき、私がどんな夢をみていたかも知らずに・・・ほんと、のんきなんだから。

 彼は、年下だったのに、いつの間にか私より年上になった。
 最近、歳の話は持ち出さなくなった。気を遣っている、というよりも地雷を踏んだ時の私の反応が怖いらしい。

 自分の夫のことを『この人はこういう性格だ』ってあまり考えたことはなかったけど、さっきまで見ていた夢を思い出し、少し驚いた。私、彼のことそんな風に思っていたんだって。

 タオルケットを少しめくらせてもらい、彼の背中に顔をつける。

『うーん・・・』と小さく唸りながら、モソモソと無意識に私の手を探し、握ってくれる。

 ほんとうに、不思議な夢だった。

 夢の中では、私は宇宙飛行士だった。

 陽君、信じられる? ヘアサロンに勤めているはずの私が宇宙を旅してるなんて。
 でも、ちょっと憧れる。そういう生き方、人生もあるんだなあって。

 私は彼の背中に頬をつけたまま、手を握り返して、さっき見た夢を反芻する。

◇ ◇ ◇

カシャーン

パリン。

カタカタ・・・

 この船の、終わりの始まり。
 私は膝を抱え、コックピットのラックを背にしてうずくまる。

 間もなく、国際宇宙ステーションは、軌道をはずれ、徐々に高度を下げていく。
 その過程のどこかで、破壊が進み、炎を上げ、やがて燃え尽きる。私の身も一緒に。

 宇宙ステーションの老朽化は、シミュレーションよりはるかに早く進み、慌てた多国籍共同プロジェクトは急遽、救助船を打ち上げたが、手配できた帰還ロケットに乗ることができるのは、四人。
 ここに残っていた五人はクジ引きで残る人間を決めた。恨みっこなしだ。

 こうなることは、わかっていた。私は子供の頃からクジ運が悪く、じゃんけんも弱い。

 この仕事に就いたときから、覚悟はできていた。
 死は怖くない・・・でも、一人で地球に落ちていくのは、さびしい。

 敢えて、彼のことは考えないようにする。

 考え始めたら、もう・・・

ガシャーン、

ダダダダ。

ゴトン。

傾き、振動・・・船がいつもと違う挙動をしているのがよくわかる。

 せめて、美しい地球の姿を眺めながら、最後を迎えたい。
 私は立ち上がり、大きな展望窓に近寄る。

 漆黒の空間を背景に、故郷が青く眩く光っている。

「地球か。何もかもみな、懐かしい・・・」
 少しの間居候していた家出娘、エミと一緒にネット配信で観たアニメ。
 生涯を終える間際の、宇宙戦艦の艦長の名セリフを口にしてみる。

 不意を突いて涙が流れた。

 コックピットの椅子に座り直し、目を閉じようとしたとき、薄ピンクの光が窓全体を覆った。

 いよいよか、と思った時。

 コックピットのドアのノブがくるりと回転し、分厚い扉が開いた。

 グレーのTシャツに、ライトブルーのデニムパンツ。扉の向こうに見えた人の姿は、この場所では考えられない軽装でラフだった。

「ヨ・・・ヨウ君! な・・・なんで、あなた、ここにいるの?」
「迎えに来たんだ。 さあ、スミレ、一緒に帰ろ?」
「か、帰ろって・・・あなたはどうやってここまで来たの?」
「うーん、なんて言ったらいいか・・・でもそんなに難しくないんだ。」

 そうだ。昔から、この人はいつもそう。ややこしいことを深く考えず、何とはなしにやってしまう。超に超を重ねる楽観主義だ。

「あいつが連れてきてくれたんだ。」
 ヨウ君は窓の外を見やる。薄ピンクの光が覆っているだけだ。

 大きな船がガタンと揺れる。
「スミレ、時間がない。さあ、行こう。」

 彼は私の手をとり、コックピットを出て、ドッキング用のハッチのハンドルを回す。

 さっき、救助船を見送った場所だ。

「ヨウ君!そんな恰好で、危ない!」
 彼はかまわずハンドルを回す。
 やがて扉が開き。

 そこは、真空の宇宙ではなく、さっき見た、薄ピンクの淡い光の空間だった。

 彼は私の体を抱きかかえ、宇宙に飛び出す。

ぷるん。

 不思議な感触だった。冷たくも暖くもない『冷えピタ』。
 彼と私は抱き合いながら、全身その感覚に包まれる。

「ねえ、ヨウ君。これ、なんだかわかっているの?」
「あ? ああ。いつも眺めていたからね。」
「どこで?」
「海岸の砂浜で・・・海と、空を。」

 そうだ。この人、時間があるとミニのコンバーチブルで私を連れ、鎌倉の海辺に行って、海と空をぼーっと眺めていた。

 私も一緒になって景色を眺めたけど、何か変わったものが見えた覚えはない。

 降参する。
「これ、何?」
「見ての通り、クラゲだよ。」
「・・・見てもわからない。」
「そうかな。海を見ていると、こいつの仲間は顔を出して、空に向かって昇っていくんだ。」
「昇っていくって、どこまで行くの?」
「多分、月まで。」
「そうか、『海月』だものね。」
「おー、よく知ってるね!」
「何言ってんの。陽君が教えてくれたんじゃない。しつこく。」
「そうだっけ?」

 私と彼は、そのぷるぷるに包まれ、地上400キロメートルの地点から徐々に高度を下げる。
 宇宙ステーションは私達よりも早く落下し、真っ赤な炎に包まれ、やがて燃え尽きた。

 二人を包んでくれたクラゲは、薄いピンクの炎を上げながらも、ゆっくりと大地に近づいた。

 やがて、相模湾の砂浜にそーっと、着地した。
 そこは以前、病院の診察帰りに彼が連れてきてくれた場所だ。

 蒸発して小さくなったクラゲは、私達を振り返りつつ、砂浜から海へと滑り込んでいった。
 ヨウ君は、別に大したことじゃないみたいに、クラゲに手を振りながら、私の横に立っていた。

 それから、63年後。

 満月、大潮の夜。

 陽君と私は、幸運にも一緒に最後の日を迎えていた。海辺の病院で。
 そう、以前彼が付き添ってくれた、鎌倉の病院だ。

 生命維持管理装置は綺麗にはずされ、一つの大きなベッドの上に、二人並んで寝かせてもらっている。

 院長先生の粋な計らいだ。

 時間をかけ、お互いに懐かしい日々の思い出をゆっくり語り合った。
 語り尽くした頃。
 海辺に面した窓から、その子が現れた。

 ヨウ君が微笑む。

「スミレ、さあ時間だ。一緒に帰ろ?」
「そうね、いっぱい遊んで、楽しかったね。」
 子どもが疲れるまで遊び、家路につくみたいな言葉が自然に出た。

 そして、その子のプルンとした触手が、二人を抱(いだ)く。
 私達は63年前のあの日のように、ぷるぷるの昇降係に誘われる。

 ひとつ違うこと。今度は空に向けて昇っていくこと。

 どこから聞こえてくるのか。
 往年の名歌手が歌うスタンダードナンバーの『スマイル』。
 やさしい調べが、私たちを包む。

 それに合わせて、ぷるぷるの昇降係はゆったりと、優しくスイングし、少しずつ高度を上げる。

 海と。
 街の灯と。
 月明かりと。

 そして、宇宙の命の色を。

 透き通った胴体は全ての光を集め、反射し、虹色に輝き。
 私達の体もその光彩に染まった。

「どこまで昇っていくんだろうね。」
 ヨウ君は相変わらず、ややこしいことは何も考えていないようだ。
 多分、どこに行ってもいいのだろう。

 私は最後のワガママを言う。
「願わくば、お月様まで。だって、海月(クラゲ)だもの。」

「ははは。君は根っからのコスモナウト(宇宙飛行士)だね。」

 虹色のクラゲは、私たちを優しく抱きしめた。


(了)

#創作大賞2024 #恋愛小説部門



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