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ベニクラゲの午睡 20.

文月のセミしぐれ(遅い梅雨明けのお留守番)

 僕はこうして毎週スミレの家を訪ね、リビングの柱で彼女の背丈を計っては印をつけ続けている。
 なるべく外出して食事をしたり、映画を見たり、『笑かせ屋』のイベントがある時は観に来てもらったりした。

 梅雨があけ、彼女が高校卒業時のブレザーの制服が着られるようになったころ(冬服なので少し暑そうだったが)、小さな出来事があった。
 スミレから合鍵を渡されていた。自由に使っていいよと言われていたが、鍵をガチャリと開けて風呂上がりの彼女と鉢合わせになるのは避けたかったので、彼女の家に行くときは、LINEで前もって連絡し、ドアのチャイムを鳴らすようにしている。

 大学は試験期間が終わり、夏季休業に入った。
梅雨の名残りの蒸し暑い空気に包まれ、セミの声が元気になり始めた7月の下旬。
 僕は彼女に渡したいものがあったのでLINEにメッセージを入れた。でも、しばらくしても既読がつかない。もう午後も遅いので夜にならないうちにと思って、LINEを気にしつつスミレの家に向かった。

 ピンポーン

 ドアのチャイムを鳴らすが、応答はない。家の中からは何も物音が聞こえない。3回ほど鳴らしてみても状況は変わらないので、仕方なく合鍵を取り出す。
 ガチャリと鳴る鍵の音に少し緊張しながら玄関に入る。
 いつもは一足だけ置いてあるスミレの靴は無かった。
 出かけているのか、と少しほっとしたが、あまり一人では外出したがらないので、心の片隅に不安が残る。笑かせ屋のイベントに来てもらう時も、僕がここに迎えに来た。
 リビングに上がり、エアコンのスイッチを入れる。
 このままここにいてもいいのか、帰った方がいいのか迷う。
 でも、何かがひっかるので、LINEにメッセージを入れ、彼女が帰ってくるまで待つことにした。
 夕暮れが迫り、日当たりがいいリビングも薄暗くなってきた。
 照明のリモコンを探し、スイッチを入れる。部屋の真ん中に暖色系の照明が一つぶら下がっており、壁に何カ所か設置してある間接照明と一緒に灯る。
 壁に架けてあるフォトフレームがその光に照らし出される。
 スミレとご両親との家族旅行の写真。その隣にご両親の結婚式の写真。お母さんはシンプルだが綺麗なシルエットのウエディングドレス姿だ。ヘアサロンで働いているスミレのスナップショットなども飾られている。

 それらをボーと見ながら、僕は大事なことを忘れていることに気がついた。
 今日、7月24日はスミレの誕生日だ。だからささやかながらプレゼントとケーキを持ってこの家を訪ねた。
 壁に架かっている親子の写真は確か、スミレの誕生祝いも兼ねた家族旅行で撮った時のものだ。・・・つまり、今日はスミレの誕生日でもあり、ご両親の命日でもある。彼女は今日という日をどういう気持ちで迎えたのだろうか? 早く気づいてあげるべきだった。
 LINEに入れた、どのメッセージにも既読がつかない。
 僕はソファに腰かけ、ひたすら待ち続けるしかなかった。

ガチャリ。

 外がすっかり暗くなりかけたころ、ドアの解錠音が響いた。
 トントントンと小さな足音をたててスミレがリビングに入ってきた。

「ごめんごめん、バタバタしててLINEに気づいたの、さっきだったの。」
 僕は心から安堵した。
「いや、いいんだ。それよりごめん。今日がどういう日か気が回ってなくて・・・法事とかに出かけていたの?」
「ああ、そのことか。ううん、違うの。うち、両親とも英国国教会のキリスト教だけど、追悼集会もやらないことにしたの。」
「そうなんだ。」
 事故の顛末を考えての判断だろうか。
「でも、お花だけは供えることにしたの。」
 確か、お墓は建てていないと言っていた。
 彼女は、ひまわりを中心として色彩豊かな花束を上げて見せてくれた。
「ちょっと待っててね。」
 そう言って、廊下に出、洗面所あたりでガタゴトと物音を立てている。 
 しばらくすると、花々を賑やかに生けたクリスタルの花瓶を両手で持ち、それをリビングのダッシュボードの上に置いた。
 家族旅行の写真に向き直り、両手を胸の前で合わせる。僕もそれに倣(なら)う。
 時間をかけてお祈りした後、スミレは僕に向き直る。
「きっとね、自分の誕生日に暗い顔してたら、お父さんもお母さんも悲しむと思うんだ。だから、高野君もいつも通りでね。」
「うん、わかった。」
「・・・それから、今日はゴメンね。」
 今度は拝むように僕に向かって手を合わせた。
 
 装飾の少ない薄いブルーのワンピース姿。まだ表情には少しあどけなさが残るが、彼女が『まだ大人だったころ』のハーフアップのヘアスタイルに戻っている。
 スミレはすこしずつ自分の力で『大人の自分』を取り戻している。

「今日はね、お店(アルレッキーノ)に行ってきたの。」
「どうりで髪型が違うと思った。」
「ああ、それもそうなんだけどね・・・大野店長にお願いしてきたの。」
「お願い?」
「うん、お店に戻ってもいいですかって。」
「そうなんだ。・・・で大野さんは何と?」
「スミちゃんがよければぜひ!って。」
「そうか。それは良かった。」
「でもね、しばらく常連さんに質問攻めにあうから、覚悟しときなよって。」
「・・・まあ、そうだね。」
 今のスミレは、だいぶ成長したとはいえ、勤めていた頃に比べるとまだまだ子供の姿だ。
「でね。私の担当だった常連さんがちょうど来ていてね。すごくびっくりしてた。なんか、お化けを見るみたいな表情でじっと私のこと見てて。」
「何か言われた?」
「ははは・・・大野店長の言うとおり質問攻め。どこのエステに行ったのとか、どんな化粧品えばそうなれるのとか。
「・・・そっちですか。」
「うん。でも何とか前みたいに仕事ができそうでよかった。高野君の髪も今度からお店でやってあげるから、予約お願いね。」
 こんなに晴れ晴れとした表情で嬉しそうに話すスミレを見るのは、彼女と出会ってから初めてかも知れない。

 あ、忘れていた。

「えーとこれ、誕生日のプレゼントとケーキ。」
「あ、ちゃんと覚えてくれてたんだ。」
 ご両親のご命日は忘れてしまっていたが・・・

「開けてもいいかな?」
「うん。あ、ケーキは後で食べて。」
「え、一緒に食べようよ。」
 そう言いながら、プレゼントの小箱を丁寧に開ける。

 中から出てきたのは、小さなピンク色の真珠がついたリングをチェーンに通したネックレス。新宿のお店で店員の方に相談しながら、やや予算オーバーで購入した。

 それを手にして彼女の顔は一層輝く。
 そして、ネックレスを僕に手渡す。
「・・・つけてくださいますか?」
「う、うん、もちろん。」

 ネックレスを受け取ると、彼女の首に腕を回し、四苦八苦する。
 僕は今までネックレスをつけたことも、つけてあげたこともないので、時間がかかってしまった。それを可笑しそうに、くすぐったそうに見ているスミレ。

 何とか役割を果たし、彼女と少し離れ、その姿を見つめる。しっかり記憶に焼き付けるように。
 ブルーのワンピース、青い瞳、亜麻色の髪。それにピンクの真珠のネックレスがうまく調和してくれている。
 ジュエリーショップのスタッフさん、グッドチョイス。

「すごく似合ってる。」
「ありがとう、ほんと、うれしい。」
 彼女はそう言って、目を閉じた。

「お誕生日おめでとう。」
 
 僕は、ご両親の写真の手前、少し遠慮して、幼さが少し残るスミレのおでこにキスをした。

 そして、去年の家族写真を背に、スマホのカメラでタイマーをしかけ、二人並んで写真に入り、スミレの誕生日の記録を継続させた。

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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