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ベニクラゲの午睡 13.

春爛漫(2つの卒業式)

「さて、どんな感じにしましょうか?」

 居間に置かれている姿見には、椅子に座ったエミが映し出されている。彼女の上半身は薄いブルーのカット用のクロスに包まれていた。背後では、スミレが女の子のいくぶん赤みがかった髪を優しく手で梳(す)いているのが見える。

「どんなって言われても、わかんない・・・いい感じでお願い。」
「それじゃどうしていいか、わからないわ。漠然とでいいから、言葉にしてみて。」
「うーん・・・じゃあ、少しクールで大人っぽく。」
「わかりました。やってみましょう。」

「やってみましょうって、あなた、腕は確かなの?」
「失礼ね。 こう見えてもこの街で評判のヘアサロン、『アルレッキーノ』のチーフ・スタイリストよ。」
 そう言うとスミレは手に持つカット鋏をシャキシャキと鳴らした。

 エミがスミレの家(表向きは、ヘアサロンの大野店長が家主だけど)に居候して、3日経った。エミは自分のせいで、スミレの親を死なせてしまったと思っている。スミレは、エミがそのことを気にして心に傷を負っているのではと心配している。
 二人がうまく一つ屋根の下で暮らしていけるのか心配だったが、まあ、なんとか仲良くやっているようだ。3日ぶりに会ったスミレはさらに若返りが進んでいて、エミと同学年と言っても誰も不思議に思わないだろう。

 今は朝の5時。何でこんな早い時間からエミの髪をいじっているかというと。
 今日は、彼女の通っている小学校の卒業式だ。式なんて出なくてもいいとエミは意地を張っていたが、スミレは力強く説得した。
「あなた、大人になって今日のことを思い出たら一生後悔するわよ。私がその後悔の一因になるなんて絶対お断り。」
 スミレはそう言うと、今日に向けてエミのために準備を始めた。具体的には、彼女のボストンバックから、しわくちゃになった中学校の制服を引っ張り出してアイロンをかけたり、彼女の家から小学校までの経路や時間を調べたり、大野店長に頼んで、エミのご両親に彼女が卒業式に出席することを伝えてもらったり。

 で、僕が何でスミレの家にいるかというと・・・要はエミのお目付役、兼朝食調達係だ。エミが卒業式に出席することにあまり乗り気ではないので、電車に乗るまで脱走しないように見張って欲しいとスミレに頼まれた。

 ドライヤーでふんわりとなったエミの赤毛にワックスを馴染ませ、前髪の分け目をぼかす。鏡に映る初めてのヘアスタイルに彼女もまんざらではなさそうだ。

 エミとスミレは僕が朝食用に準備したクロワッサンとスクランブルエッグにプチトマトとオニオンスープを平らげ、スミレの部屋に上がって制服に着替えた。
 居間に制服姿の二人が戻ってきた。馬子にも衣装? エミは家出娘として初めて出会った時には想像ができないくらいお姉さんっぽい。

 ん・・・ スミレも制服姿?
「何でスミレまでセーラー服に着替えたの?」
「私は、エミの従妹って設定。この子の門出を祝う親戚として、保護者席で参列するのよ。」
「そ、そこまでやるの?」
「だってこの子、卒業式の最中でも逃げだしかねないでしょ。」
 エミは不満そうにフンと鼻を鳴らす。

 僕は懸念を伝える。
「大野さんに頼んで、エミのご両親も来ることになってるんだよね?」
「そこはうまくやるわよ。どうせ私が誰かなんてわからないでしょうし。」
 こうして僕は、お目付役として二人を町田駅まで送り届けた。

 スミレからは、小学校の最寄り駅までついてきて欲しいと頼まれたが、それは辞退させてもらった。今日は僕にとっても大切な用事があるのだ。

 話は一昨日に遡る。その日は大学のカフェスペースで、僕が所属しているサークル『笑かせ屋』を卒業する先輩の『追い出しイベント』の打ち合わせがあった。

「高野陽。お前をトランプ役に命ずる。」
 卒業する部長から命令が直々に下った。
「え、僕なんかが? いいんですか?」
「まあ、テストみたいなもんだな。これでうまくやれたら、トランプ役を続けてもらってもいい。」

 復習しておくと、『笑かせ屋』は、クラウン(道化師みたいなもの)の恰好をしてコントや芸を子供やお年寄りに披露しているるサークルだ。
 『クラウン』の中には、いくつか種類があって、僕のサークルでは、顔を白く塗ったグループの仕切り役『ホワイトフェイス』、大きな赤鼻のボケ・だまされ役の『オーギュスト』そして、間抜けながらも決める時はびしっと決める浮浪者紳士の『トランプ』の3つのタイプに役割分担して演じている。『トランプ』は僕にとっては憧れの配役だ。

「ただし、条件がある。ネタは自分で考え、明日のリハまでに台本と必要な小道具を用意して集合すべし。」
「え! 追い出しイベントって、いつも定番ネタでやってませんでしたっけ?」
「会場となるショッピングモールに勤めているババさん、うちのOBね・・・その人からの要請でな。来場者の中には『笑かせ屋』のコントを何度も観ている人が多いから、新ネタが欲しい、と。」
「それはまた、随分急な・・・いつそんな連絡があったんですか?」
「今朝だ。時間が無くて悪いがよろしく頼む。どうせ3グループでローテーションするから、1グループぐらいスベっても構わない、とのこと。」

 先輩の話をまとめると、クラウンは僕がやってもいいけど、急に新ネタのムチャブリがあって、時間がないので丸投げするぞ、ということだ。

 何をどうしていいものやら・・・しかもエミの卒業式が終わったら、彼女とスミレとで、この卒業追い出しイベントを観に来ることになっている。無様な姿は見せたくない。
 ・・・いや、もっとポジティブに考えよう。彼女達に何を伝えようか。

 春休みのショッピングモール。家族連れから学生、お年寄りまで、いつにも増して人出が多い。中には卒業式の袴姿の大学生グループも混ざっている。
 僕はステージ裏の小部屋で、衣装とメイクの最終チェックをしている。いつもの大きな赤鼻ではなく、白塗りの顔にちょび髭、ややヨレた燕尾服に山高帽を被っている。隣りには、我が『笑かせ屋』で唯一の女性パフォーマーがスタンバっている。彼女は一年生で、今回は『オーギュスト』を演じてもらう。

「時間だ、行くぞ。」
 この春卒業する『ホワイトフェイス』役の先輩が僕たちをステージに誘う。

 軽快なBGMが流れ、小さなステージにスポットライトが当たる。フードコートの座席で飲食をしている人々の注目がその光に集まった。ステージ脇から客席を見渡すと、中程の席に、見覚えがある制服姿の中学生が二人座っている。無事、小学校の卒業式を終えたようだ。

 これから、ホワイトフェイスの先輩=(ホ)、オーギュストの女子=(オ)、トランプの僕=(ト)、3人のコントが始まる。

(ホ)「私たちのためにお集まりのみなさーん、お待ちかねのマジックショウタイムです。え、誰も待ってないって? ここでご飯食べてるだけだって?」
 先輩は軽く笑いをとりながら、これから何が始まるかを伝える。

(ホ)「今日は、世界で一番息のあった、マジシャンとそのアシスタントをお迎えしてます。拍手!」
 その言葉に促され、僕とオーギュストの女子は、ステージに上がる。彼女は軽快な足取りでステージ中央の位置につくと、手を振り愛嬌を振りまく。僕は手品の道具である大箱を載せたテーブルをえっちらおっちらと運ぶ。

(ト)「おい、君はアシスタントなんじゃから、そんな目立ってないで、この道具を運びたまえ。」

 いつもはパントマイム(無音劇)でのパフォーマンスがほとんどだが、今回は台詞を入れている。一緒に演じる二人からは、短時間でこんなに覚えられるわけないとブーブー文句を言われた。

(ホ)「ほら、二人の息はぴったりでしょう?・・・で最初はどんなマジックを披露してくれるのかな?」

(ト)「では、最初はカード当てからまいろうか。助手君、用意したまえ。」
 僕の役回りは、『トランプ』が扮する老マジシャンというところだ。

(オ)「はい師匠、わかりました。」
 オーギュストは卓上の大判のトランプを手にとり、入念にシャッフルする。そしてステージを降り、一番近くのテーブル席に座っている女の子に、好きなカードを引いてもらう。そのカードを受け取り、僕に見えないようにしながら、にこやかに客席側に高く指し示す。

(オ)「では、師匠に何のカードか、当てて貰いましょう。」
(ト)「うむ、これはなかなか難しいな。透視するから、ちょっと時間をくれ。」

(オ)「わかりました。サービスでヒントも出しちゃいましょう。このカードは、ハートじゃない赤いので、髭が生えたヤツです。」
(ト)「これこれ、それじゃ丸わかりじゃないか!」

(オ)「だって、難しいって言うから・・・さ、次に行きましょう。」
(ト)「待て待て、やり直しを・・・」

(オ)「はい! 次は、ステッキを使ったマジックです。」

 オーギュストの女子は、卓上に置いてあるステッキを手に持つと、それをクルクルと回し、脚の下をくぐらせたり、ポンと高く放り上げ、華麗にキャッチした。
 客席から歓声と小さな拍手が起きる。彼女は再びステッキを回し始め、背中を這わせた後、体の真っ正面に縦一文字にステッキを据える。そして『エイッ』と叫んでそれを花束に変えた。大きな拍手が起きた。

(ト)「おいおい、リハーサルでは君はステッキを何度も落とし、我が輩が最後に決める段取りだったじゃないか!」
(オ)「いやいや、お客さんも忙しいし、さっさと決めるとこ決めちゃった方がいいでしょ。」
(ホ)「世の中時短ブームだし、いいんじゃないですか・・・ということで先に進めましょう。」

(ト)「・・・何か納得いかんが。まあいい。ご来場の皆さん、この帽子に注目して欲しい。」
 僕は被っている山高帽を指さした。

(ト)「この通り、何の変哲も無い帽子じゃが・・・」
 僕は帽子を脱いで手に持つ。
 客席から小さなどよめきと笑いが起きる。

(ト)「ほら、この通り、種も仕掛けもありません。」
 客席の笑い声が大きくなる。

(ホ)「頭、頭!」

 僕の頭の上に白い鳩が乗っている。僕は上目でそれを見上げ、叫ぶ。

(ト)「じ、助手君、何で我が輩の頭に鳩が乗っているのじゃ!?」
(オ)「あ、いや、どうせ鳩を出すんなら、早い方がいいと思って。」
(ト)「これじゃ、マジックにならんじゃろうが!・・・だいたい、時短時短って、なんでそんなに時間にこだわっておるんじゃ?」

 ステージの照明が落ち、オーギュストは俯き、悲しそうな表情を見せる。少し間をおいて打ち明ける。

(オ)「この間、師匠にマジックの稽古をつけて貰ったとき、アタシ、何度も失敗を繰り返し、すごく時間をかけてしまいました。」
(ト)「おお、確かにそんなこともあったのう。」
(オ)「だから、その夜、師匠の奥様が家出するのを止められなくて、ついに奥様は行方知れずになってしまったじゃないですか。」
(ト)「おい、こんな公衆の面前でそんな事を暴露してはいかん。」
(オ)「アタシのせいなんです。アタシが全ていけないんです。」
(ト)「断じて君のせいなのではない。すべて私の行いが悪いのだ。」(オ)「アタシもそう思います。」
 トランプの僕はずっこけ、会場から笑いが起きる。

(ト)「・・・まあ、そういうことだから、時間のことは気にするでない。」
(オ)「ありがとうございます。」

(ト)「どうじゃ? あの時、君が手こずっていたマジックにここで挑戦してみては。」
(オ)「え、ムリ! だって結局、あの時だって最後まで出来なかったんだもん。」
(ト)「大丈夫。今日は、ここに集まってくださっておるお客さんが力を貸してくれるじゃろう。」
(オ)「それに花束ネタはさっきやったから被っているのでは?」
(ト)「これこれ、ネタバレは禁止じゃ・・・まあ被っても何でもいいから、やってみようではないか。」
(オ)「ありがとうございます。」

 オーギュストの女子は、客席に向き直り、笑顔で応援を促す。
(オ)「みんなー、応援よろしくねー!」
 客席が拍手で応える。

 助手はテーブルに置いてある大きな箱を開け、中から筒状のものを10本取り出した。表彰状や卒業証書を入れる、ワニ柄のアレだ。筒は全てフタが外されており、中に何も入っていないことを示す。
 彼女は一つ一つフタを閉め、順々にテーブルの上に立てていく。全ての筒を閉め終わると、少しテーブルから離れ、魔法をかけるような手振りで筒に向けて「えい!」と念を送る。

 彼女はテーブルに近寄り、1本の筒のフタを開け、確かめる。中には何も入っていない。
(オ)「やっぱりだめ。私の力じゃ、こんなマジック、絶対成功しない。」
(ト)「こらこら、諦めてはいかん。ここにいるみんなの力を借りるんじゃなかったのかの?」
(オ)「そうでした。忘れてました。」

 彼女は再び客席に向き直る。
(オ)「みんな、お願い、力を貸して。今は卒業シーズンでしょ。だからね。アタシが『卒業』て言ったら『おめでとう』て答えてね!」

 彼女は指揮者のように手を上げる。
(オ)「みんな、用意はいーい?」

(客席)「「「いいよ!」」」

(オ)「卒業!」

(客席)「「「「「「「「おめでとう!」」」」」」」」

 客席から大合唱が響いた。

 オーギュストの女子が筒の1本を確かめる。すると花が一輪、ポンと飛び出てきた。ガーベラだ。客席から歓声があがる。
 僕と助手とで、残りの筒を片っ端から開けて中を確かめる。全ての筒にガーベラが入っていた。

 助手君は筒を抱えて持って、この春の卒業生、『ホワイトフェイス』の先輩にそのうちの1本を手渡した。そして客席に降り、僕たちのパフォーマンスを見守っていた『笑かせ屋』の卒業生達に次々と手渡した。

 僕は筒を2本貰い受け、ステージを降りる。フードコートの中程でジュースを飲みながら見物していた二人の女子中学生に近づいた。

「エミ、卒業おめでとう!」
 ガーベラ入りの筒を1本、彼女に手渡す。

 エミは立ち上がり、それを受け取ると、小さいが感極まった声で『コントとしては、まあまあだね。でも・・・ステキよ。』とお礼を言ってくれた。

 もう一本の筒を、スミレに手渡す。
「な、なんで私にまで?」

「諸説ありだけど、ガーベラの花言葉は、『希望、そして前進。』なんだって。」

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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