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ベニクラゲの午睡 19.

五月の海風(柱の傷のたけくらべ)

「はしらーの、きいずは、をととーしーのー・・・」
 青い瞳が僕を見上げながら歌う。
 
「そんなに上を見上げていたら、ちゃんと計れないんだけど。」
 スミレはにこりとして、あごを引く。
 僕は彼女の明るい褐色で柔らかい髪に三角定規をあて、柱に直角にぴたっと合わせる。
 北欧風のデザインのリビングルームにオーク材の見せ柱。そこに細いマジックでヨコ線を引く。背を測られているのは青い目の女の子。その子が歌っているのは童謡の『背くらべ』。なんともチグハグな感じだけど、スミレはご機嫌だ。
 
「だいたい5センチ伸びている。」
「すごい!・・・そうすると今は、151センチ。やっぱりこの制服がぴったり合うはずだわ。」
 
 スミレは、なぜか制服の物持ちがいい。前に着ていた、高校時代の制服、中学時代の制服それぞれに、入学した時と卒業した時の分を保存してある。お母さんが丁寧にしまってくれていたとのこと。
彼女は中高一貫校に通っていたが、高校の制服はセーラー服、中学はブレザーにスカートだ。いずれもスクールカラーのワインレッドを基調としていて、青い目、亜麻色の髪のスミレにはよく似合う。
 
 彼女の体の変化は、4月の頭にエミが自分の家に戻ってからすぐに現れ始めた。僕は新学期が始まった大学で、ガイダンスに参加した帰りにスミレの家に寄った。玄関口に現れた彼女と向き合うと、僕を見上げる彼女の顔が少し近づいたような気がした。今までは彼女がどんどん小さくなっていくのを見ていたので、いやでもこの変化に気づく。
  彼女は何となく手足のあちこちの関節がムズムズするという。
その時念のため、リビングの柱を身長計の代わりに、彼女の背の丈を測っておいたのだ。
 
 今日はちょうど子供の日。計測し始めてから約一ヶ月で5センチの伸びは尋常じゃない。スミレの『若返り現象』は止まったどころか、成長し始めたと言っていいだろう。
 表情も心なしか、あどけなさが薄まり、少しだけ大人っぽく見える。
 彼女がご機嫌で『背くらべ』を口ずさむのも、無理はない。
 
「ところで、何でまた制服を着てるのかな?」
 今日はこれからスミレとドライブに行く。前にもあったけれど、制服姿の女の子と一緒に外出するのは少し抵抗はある。
「だって、制服を着ると、『私は今、何歳くらいなのかな』っていうのがわかりやすいでしょう。まあ、これも物差しみたいなものね。」
「なるほど。確かに君は今、中学に入学した頃のスミレだ。」
 僕はふと思い出した。
「そういえば、iPadに、毎年誕生日に撮った写真を入れてあったよね。あれを出力して壁に貼っておくと、顔の表情などから、今自分は何歳くらいかってわかりやすいんじゃないかな?」
「・・・それは絶対イヤ。」
 あ、ご両親も一緒に写っているからか、無神経なことを言ってごめんと謝った。だが、写真を貼るというアイデアを却下した理由はそれではないらしい。これ以上詮索するのは危険だと思い、この件はおしまいにした。  
多分、この辺の女心は、一生理解できないだろうと確信した。
 
「それじゃあ、準備が出来たら、出かけようか。」
「え、もう準備オッケーだけど。」
「制服は?」
「せっかくだから、このまま出かけるわ。」
「・・・」
 
 大学の受業が始まってから、毎週土日のどっちかは、スミレに会って一緒に出かけるようにしている。もちろんスミレと会いたい、一緒にどこかに行きたい、というのが一番の理由だけど、彼女はヘアサロンを辞めて、いや休み始めてから。僕が連れ出さない限りたいてい家に引きこもっている。あまり体にもメンタルにもいいとは思えない。
ミニの助手席に座って、少し開いた窓から吹き込んでくる五月の風を心地よさそうに浴びている姿を見ていると、やっぱりこれが必要なんだなと思う。
 
「念のため、今度また病院で診てもらうおうか?」
「うーん、もういいんじゃないかな。きっとお医者さんも困るだけだと思うわ。」
「確かにそうだね。」
 
国道134号線沿いにあるマクドナルドに入り、まだ朝マックの時間帯だったので、二人ともソーセージエッグマフィンセットを頼んで外のテラス席で食べる。
隣りにはトイプードルを連れた老夫婦が座っていたが、僕らを食事している様子をニコニコと微笑ましそうに見ていた。制服姿のスミレと出かけることに少し抵抗感があったが、あまり気にしなくてもいいかもなとも思う。順調に行けば、彼女はこれから中学卒業の頃の制服、高校に進学した頃の制服、そして高校を卒業する頃の制服を着るはずだ。
 
 車で少し移動し、海浜公園の駐車場に車を停める。以前、スミレを鎌倉の病院に連れて行った帰りに寄った場所だ。ゴールデンウィークということもあり、駐車場には午前中から多くの車が停まっている。砂浜の公園も家族連れ、若者のグループで賑わっている。海上にもサーフボードに跨がる人影がずらりと並んでいる。
 
 僕は波打ち際に近づき、裸足になって湿った砂の感触を楽しんだ。スミレもローファーとソックスを脱ぎ、僕の真似をする。
「裸足で砂の上を歩いたのはいつ以来かな。気持ちいいね。」
 僕は少し笑うことで、それに答えた。
 そして、小波が砕ける様子やサーファーがひっくり返る瞬間をボーッと眺めていた。
 
 砂浜から公園のゾーンに戻って、先にベンチに腰かけていたスミレの隣りに座る。
「何か、ボーッと景色を眺めてる姿って絵になるね。」
 スミレが悪戯っぽく言う。
「それって褒められてるのかな。」
「うん、一応。・・・でああいう時って何を考えてるの?」
「いや何をって、ただボーッとしているだけだよ。」
「そうかしら、なにか考えているようにも見えるけど。気のせいか。」
 
 彼女は話題を変える。
「エミが自分の家に帰る時、言ってくれたよね?」
「えーっと、何だっけ?」
「スミレにはそれが必要だったって。」
「ああ、いっぱい泣くこと?」
「うん。それ・・・私がどんどん若返っていったのも、それに関係あるんじゃないかって。」
「うん・・・まあ、何の根拠もないけどね。」
 
彼女は水平線を眺める。
「今なら確かにそう思える。私には、いっぱい泣くことが必要だったって。」
 そういって彼女は体を持たせかけてきた。以前、ここでそうしたように。 
そしてつぶやく。
「確かに私は、あの時、何かが変わった。そして若返りは止まった。」
 
 僕の顔を見上げる。
「そういう所、高野君って楽観的にコメントしてくれるよね。」
「そうかもね・・・あまり根拠もなく安心がらせるのは、僕の悪い癖だろうね。」
「ううん、そんなこと無いよ! そんな風に言ってくれることで、ホントに安心できるし、励まされる。」
「でも、ハズレるとショックが大きいんじゃ・・・」
「それでもいい。高野君のそういう言葉を聞きたい。ずっとクヨクヨしているよりも全然マシ。」
「ははは、わかった。」
 僕は彼女の頭を軽く抱く。
 
「何て呼べばいいかしら?」
「?」
「高野君のこと。私ずっと高野君って呼んでたけど、なんかよそよそしい気もしてきた。」
「そうかな、僕は全然構わないけど。」
「うーん・・・」
「エミは何の迷いもなく、速攻でヨウ(陽)って呼んでたけどね。」
「えー、それを真似するのはイヤだわ。」
「じゃあ、今まで通り、高野でいいんじゃない?」
「そうね、そうするわ。」
 今の会話は何だったんだ?
「いつか呼び方を変えなくちゃいけなくかもだしね。」
「?」
 
 よくわからない会話になってきたので、今度は僕から話題を変える。
「でも、若返りが止まっただけじゃなく、成長して元に戻っているようで、ほんとうに良かった。」
「うん、そう思う・・・だけど高野君、何か気になることはない?」
「うーん、特には。」
「もう!・・・今、すごい早さで背が伸びてるでしょ? このままの勢いだと・・・」
「・・・そうか、どんどん成長する。」
「成長するだけならいいけど、全然止まらなくて、どんどん歳をとっちゃうかも知れない。」
「それは、どうだろう。」
「そのうち、高野君の歳を追い越して、もとの自分の年齢(とし)になっても止まんなくて。・・・そして、おばさんなって、おばちゃんになっちゃったら。高野君、どうしてくれるかな?」
 そこまで考えが回っていなかった。
「多分だけど、根拠はないけど。そうならないと思う。」
 スミレは僕をじっと見上げ、次の言葉を待っている。
「安心しなよ。そうならないと確信している・・・もしそうなったとしても、僕がずっと一緒にいる。」
「ありがとう。その言葉を聞きたかったの。」
 
 スミレは僕にハンドタオルを手渡してくれた。自分の足もハンドタオルで砂を払ってソックスを履き、靴を履き、車を停めてある方に歩いていった。

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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