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ベニクラゲの午睡 3.

晩秋、ヘアサロンにて(イメージチェンジの呪文)

 多摩地区のターミナル駅で電車を降り、Google Mapのナビに従って駅前の繁華街から裏通りに入っていく。予約時間に間に合うかと急ぎ足で歩くと、9月下旬とはいえ、うっすらと額に汗が滲む。僕が一番好きな秋の季節が短くなっていく。

 ここはカフェではないかと思える店構えで、一瞬場所を間違ったかと思ったが、白い壁に筆記体のチャンネル文字で「Arlecchino」と書いてある。下には小さく「アルレッキーノ」とルビがふってある。そこがネットで探したヘアサロンであることを確かめた。名前もイタリアンレストランみたいだなと思った。
 ドア横の窓から、思わずパントマイムの「見えない壁」を演じながら、中を覗き込む。これは、いつもの癖というか、日常の訓練というか。
 レジの傍にいた、茶色い縁の眼鏡をかけたお店の人と目が合った。その人はニッと笑うと、ドアを開けてくれた。
「いらっしゃい。ご予約の高野陽さんですね。」
 白いブラウスに黒いパンツでグレーのエプロンを着けた女性に、にこやかに迎え入れられる。「店長 大野千沙」というネームプレートをつけている。
 店の外観から想像するよりも、広々とした店内だ。椅子や什器も含め、白とライトオークに統一されている。女性ばかり7、8人のスタッフがお客さんの髪をカットしたり、シャンプーしたり、カラー剤を塗ったり、備品を揃えたりしている。あ、どれもヘアサロンなら当たり前の作業か。
 はい、高野ですと答えると、奥の方の座り心地のよさそうなレザー貼りの椅子に案内される。前には、額縁に入れられた大きな鏡が壁に立てかけてある。
「担当がすぐ来るから、ちょっと待っててね。」
 大野店長は気さくに言うと去っていった。少し緊張がほぐれた。

「いらっしゃいませ。担当の霧島といいます。よろしくお願いします。」
 亜麻色というのだろうか。グレーがかった金髪をハーフアップにした女性が、鏡の中で軽くお辞儀をする。
「こ、こちらこそよろしくお願いします。」
「いかがいたしましょうか? 何かご希望はありますか? 」
 僕は正直に伝える。
「実は、ヘアサロンに来るのは初めてなんです。勝手がよくわからなくて。」
「そうですか。ではヘアカタログをご覧になって、イメージにあうスタイルを一緒に選びましょう。」
「はい、そうさせてください。」
 一緒に、というのが嬉しい。
 
 チーフ・スタイリストの霧島すみれ(ネームプレートを盗み見)さんは、何冊かのヘアカタログを持ってきたが、少し考える素振りを見せたかと思うといったん引き返し、iPadを手にして戻ってきた。

「あの、差し支えなければ、でいいんですが、どうして初めてヘアサロンを予約したんですか? 」
「あ、はい。実は入ったサークルの仲間や先輩に、もう少し明るい雰囲気にしろと。まあ、自分でも、大学に入って気分を変えたいなあと思っていたところなんで。あ、でも今の髪型をガラッと変えるのはちょっと・・・。」
「そうですか。少々お待ちください。」
 霧島さんは iPadに検索ワードをいろいろ入れて画面を眺め、思案している。その瞳が透き通ったブルーであることに気がついた。やがて納得がいったのか、画面をこちらに向けて見せた。候補の中から、3番目に示された髪型・髪色を選んだ。僕にとっては、一大決心だ。
「かしこまりました。では、ラフツイストマッシュ、アッシュグレーのブリーチなしで進めさせていただきます。」
「・・・? なんだか呪文みたいですね。」
 霧島さんはちょっと考えて口を開く。
「ご自身を変身させる呪文、ですね。」
「そ、そうでうすね。でも、長くてとても覚えられません。」
 こう返すと、ここにきてようやく霧島さんは微笑んだ。

 ぼくが今まで、ヘアサロンなるお店を敬遠していたのには、ワケがある。いや、お店のジャンルは関係ない。「接客トーク」がどうも苦手なのだ。会話することが苦手というより、会話が続かない。「間」を作ってしまうのがどうも気まずい。
 霧島さんは、髪をカットしたりカラーリングするのに必要なこと以外は、あまり話しかけてこなかった。でも、ぽつりぽつりと問いかけてくる質問に答えることは、少しだけ楽しく感じた。
「サークルは何をやっているんですか?」
「えー、『笑かせ屋』、というのをやっています。」
「ワラカセヤ?」
「はい。簡単にいえば、クラウン・・・道化師みたいな恰好をしてコントや芸を見せています。場所は、幼稚園だったり、高齢者の施設だったり、街頭だったり。」
 鏡の中の霧島さんは、意外そうな顔をしていた。
「意外・・・ですよね。大学に入ったのをきっかけに、人と接することによって、自分も変われたらなあ、と思って始めたのですが・・・なかなか難しいですね。」
「そういえば、小児病棟で道化師の方が、子供たちや親御さんを笑わせているのをテレビで見ことがあります。みんな笑顔で楽しそうでした。あのような活動でしょうか?」
「『ホスピタル・クラウン』ですね。場所が病院なので、病気や子供たちのことをよく知って接する必要があり、今はまだまだ難しいです。いつか、あんな風に役に立てればなとは思っています。」
「素敵なサークルですね。一度見てみたいです。」
「はい、ぜひ! と言いたいところですが、自分は芸も未熟だし、演技も今いちだし。」
 何より、子供でも老人でも、じっと見られていると緊張してしまう。霧島さんに見られていると思ったら、ミスの連発だろう。

「・・・少しマシになったらご招待します。」
「ほんとですか? 楽しみにしています。」
 もちろん社交辞令だろうけど、がんばらねばと思う。

 あと、どうしてこの当店(Arlecchino)選んだのかと聞かれ、今話したことと関係があって・・・ というような他愛ない会話をした。

 3時間ほどかけて「ラフツイストマッシュアッシュグレーブリーチナシ」の呪文が唱えられ、最後に鏡の前に立った僕は確かに変身していた。ヘアスタイルもそうだが、霧島さんとの慎ましやかだけど楽しい会話を通じて、何かが変わったような気がする。

「高野様、お疲れ様でした。今日はこれでおしまいです。」
「お世話になりました。あの、どのくらいの頻度で来ればいいんでしょうか?」
「そうですね、カラーリングもしているので二か月以内くらいが理想ですね。」

 大野店長と霧島さんに見送られ、僕はヘアサロンを後にした。
 その後、あの日が来るまで「理想の二か月以内来店」が守られた。

#創作大賞2024 #恋愛小説部門

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