アーティ・ファーティとレタス王子
あれは秋のことだったと思う。
恋人と別れた僕は、サークルの仲間に連れられて二丁目のアーティ・ファーティに行った。よく知らない洋楽に合わせて、よく知らない人たちが踊る、よく知らないクラブだ(クラブに行くなんてことは、僕の生涯できっと二度しかない。その一度目を消費した)。
そしてその日、僕は一目惚れをした。
クラブの作法を、僕はよく知らない。
コップ片手にノっている人もいるし、隅のほうで談笑している人もいる。サークルの仲間は後者だ。
とりあえず頼んだビールで、とりあえずサークル生とおしゃべりをして、とりあえず帰る。きっとそんな夜になるんだろうと思った。
僕たちの入った数分あとに、三人グループが入ってきた。そしてその中の「ある一人」に目が釘付けになった。
ちょっぴり根暗っぽい視線の運びかた。
たどたどしい足の動き。
整った、かわいらしい顔。
そんな彼を見て、僕は思わず息を吸った。これは一目惚れかもしれない、と。
僕も彼も、入店したときのグループの輪で話し続けた。
けれど、僕は会話にまったく集中できなかった。ずっと彼のほうをチラと見ていたから。
彼のぎこちない笑みとか、
聞き手に回りがちなところとか、
コップの持ちかたとか、そういうものに夢中だった。
彼の着ているシャツは、白地にレタスの絵が散りばめられている変なデザインだった
レタス王子。勝手にそう命名した。
彼がコップを持ってカウンターに行くのを見計らい、僕も席を立った。
「ジンジャーエールで」と言う彼の声。
「はーい」
「モスコミュールで」
「はーい」
カウンターで僕とレタス王子が並んだ。
いや待て、なんて言えばいいのだ。
面白いデザインのシャツですね、と言ったらバカにしていると思われるだろうか。
かわいいですね、めっちゃタイプです、と正攻法で行ったほうがいいだろうか。でもそれってもはや正攻法というか奇襲なのでは?
月が綺麗ですね、と変化球で攻めるか? いや、でも今日は新月だし、ここは室内だ。
様々な思案が去来する。
「はい、ジンジャーエール」
レタス王子はコップを受け取ると、そのまま元の場所に戻ってしまった。
結局、とりあえず頼んだモスコミュールでとりあえずサークル生とおしゃべりをして、とりあえず帰ったのだった。
二度目のクラブ行は、検討中だ。
※この文章は、「秋」「王子」「レタス」の三題噺として書かれたものです。
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