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まさか40代で非定型うつ病を患うなんて3

うつの急性期を迎える

1.休職開始後の出来心

2022年6月3日金曜日。休職開始の朝を迎えた。起きたときにはすでに午前8時を回っていた。起き上がるのは特に問題なかったのだが、相変わらず頭はぼーっと、視界はぼやけ、歩き踏みしめる感覚が無い。朝ご飯をトーストで済ませたが、食欲自体はあまり湧いてこなかった。
この日は次の日に趣味から派生し、とある企業から依頼を受けていたイベント出店を控えており、その準備をしなければと思っていた。このイベント出店は二人掛けカフェテーブル分ぐらいのスペースで行う物販だ。そんなに大量の荷物はない。でも・・・

本当はそんなことしてはいけないのは分かっている

休職直後なんだから休んでいなきゃいけない。

でも、頼まれたらやってしまうこの性格・・・

多分これも原因の一つなんだろうなと思いつつも準備を始めた。以外に準備はサクサク進み、2時間ほどで終了。どうやらまだ体は動くらしい、と思っていたのだがその準備が終わった直後に身体が重くなり、ソファーで倒れるように横になった。
その後は記憶が曖昧だが、どうやら昼食と夕飯は少ないながらも食べ寝たらしい。

そして迎えた2022年6月4日土曜日イベント当日である。
以外にも視界のぼやけがマシになった。そこそこ足も踏みしめる感覚がある。これならイベント出店に問題なさそうだ。そしてイベント先に向かい、出店はそこそこ成功。少々身体、精神的に辛いながらも何とかこなせた。

なんだ、意外と体動くじゃないか。

それが自分の率直な感想だった。もしかして仕事の時だけか?なんて都合のいい身体なんだと自分をあざけ笑った。これならすぐ復職もすぐできるだろうと思い帰宅。その日は夕飯を食べ眠りについた。

2.急転直下で一変

イベントが終わり一息つき始めたころから段々と調子が悪くなり、会社を休んだころと同じぐらいになっていた。
2022年6月8日水曜日。迎えたこの日の朝、起きた時からいつもより調子が悪い。身体のふらつき具合がイベント前よりかなり悪い。視界もぼやけ、目が回る。足元を踏みしめる感覚は全くなく、まるで泥酔した時のような感覚に近かった。そして頭全体には激しい頭痛と何かがのたうち回るような感覚。思考も何かがおかしい。将来への不安や、過去の嫌な記憶のフラッシュバックを頻繁に起こす。

なんだこれは、全く身体が思うように動かない。
とにかく辛い、誰か助けてくれ!

声に出ないがずっと心で思いながら横たわっていた。
後からわかったのだが、これはうつ病の急性期を迎えたのだろう。実は6月7日に予定が入っており、恐らくそこまで緊張感が持続したんだと思う。そして何も予定がなくなった日、一気にうつ病という悪魔が襲い掛かってきた
この急性期というのはうつ病で休職した直後にほとんどの人が味わうものとの事で、休職した時より体調、精神状態がさらに悪化するのだ。症状にもよるのだが1~3か月ぐらいは続くと後で調べて分かった。これに戸惑う人も少なくないと言う。

正直、私は戸惑った。
休んだのになぜ悪化するんだ?イベントの時は大丈夫だったじゃないか?「会社の事はもう置いてきた。仕事もせずちょっとした用事しか出てない。イベントが悪かったのか?」などといろんな思いが交差する。この身体症状のまま、1~2週間過ごすことになった。

さらにロラゼパムが追い打ちをかけた。どうもこの頃は抗不安薬であるこの薬が合わなかったらしく、飲むと余計に気分が落ち込み、不安だらけになって、フラッシュバックが頻発。さらには寝つきがものすごく悪くなった。途中でS心療内科のK医師に電話で相談し、ロラゼパムの服用を辞めた。しかし、フラッシュバックだけは残った。

正直、この6月8日~7月前半ぐらいの事はあまり記憶がない。
食欲も無く、1日2食ぐらいでパン1枚ずつしか食べなかった。ずっと布団で寝ていて、白い天井を見上げただけだったのをうっすら覚えている。無理やり散歩に一度出かけたが、とてもじゃないが100mも歩けず帰宅。できてスマホをたまに触る程度だった。しかし、病院にはかなりゆっくりながらでも、歩いて行けていた時もあったから不思議である。あまり辛いときは送ってもらったり、迎えに来てもらったりはしていた。

3.少しずつではあるが回復傾向・・・だが不穏な空気が

2022年の7月中旬。少しずつではあるものの回復し始めていた。まずは視界が徐々にクリアになって行き、足の踏みしめる感覚が戻り始めた。頭痛、身体の重さは変わらず続いているがカロナールかロキソニンで凌いでいた。この頃は歩くスピードは以前の1/3程度か、もっと遅いぐらい。そのスピードで1日10分程度の散歩はできるようになってきていた。ほんとにわずかであるが初期に比べると徐々にではあるが回復してきたなと実感が湧きだしたころである。どん底はどうやら抜けたようだ。私にとって2022年の6月中旬がどん底だったのだろう。さっぱりその辺りの記憶がない。残っているのはスマホに残してある病院への予約日だけだった。

2022年の7月後半だっただろうか。休職しているD社から1通のメールが入る。無理にとは言わないが、どこかで私に会う予定を作ってほしいとの事だった。
この頃になると踏みしめる感覚と視界のぼやけはかなりマシになっていた。しかし、症状はかなりあった。眩暈、頭痛、身体の重さ、すぐに疲れはててしまう、デジタル音がものすごく苦手になり過敏反応、イライラの増加とまだ多数あるが数えればきりがない。でも何とか歩きはできるし、話をすることもできる。会社に復帰した時に何か言われるのもしゃくだなと思い、2022年8月4日に私の家の最寄り駅近くの喫茶店で会う事にした。

これがさらに辛い思いをすることになるとは知らずに・・・

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