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僕の小規模な退職 その10

再就職するかフリーランスになるか。
結論も出ずにウダウダ悩む日々。
だいたいフリーランスになる人は悩まずに進むものだろう。
こんなに悩んでいる時点でフリーランスには向いていないのかもしれない。とはいえ会社という組織に属するのも嫌なのだ。
封建制度が色濃く残る企業で滅私奉公のように働く意欲がすでに無い。
もしかしたらそんな企業ばかりではなく
もっと風通しもよくフラットな組織もあるかもしれない。
だがそんなものは入ってみなければわからない。
ましてや中間管理職を経験している中年に対して
マネジメント等を求めてこない企業などないだろう。
しかしこちとらマネジメントなど御免被りたい。
経営者のスピーカーになって管理(という名の統制)をする存在は自分には不向きなのが身に染みている。

若いころは役職にあこがれた。
仕事が評価されればその分役職も上がる。
そんなわけで「役職が上がる」=「スキルが高い」という解釈をしていたが、役職があがれば上がるほど管理職としての側面が大きくなるわけで企業側の本音と建て前といった情報に何度も触れることになる。

「何も知らぬことは最も幸福である」

どこかで聞きかじった言葉だが、実にその通りである。
組織に入れば嫌でも見聞きすることになるであろう経営陣の本音。
そんなものにはこれ以上触れたくはないのだ。
そういえば昔からそういった類のものは嫌いだった。
忘れもしないこんなエピソードがある。

あれは中学1年生のこと。
後期の学級委員を決めるときの話だ。

学級委員はクラスの代表。クラスのリーダー。
選び方も他の委員とは異なる。

他の委員はさほど重要じゃない。
やりたい人間同士、あみだくじやじゃんけんで決められた(ような気がする)
だが学級委員ともなれば異なる。
自らの立候補の他に第三者による推薦枠があるのだ。
最終的にクラスメイトによる投票が行われ学級委員が決まる。
そんな手順で選ばれるわけだが、自分が通っていたのは地方都市の公立中学。
クラスに必ず数名いるであろう成績優秀な生徒が当然のことながら推薦された。
大抵のクラスは立候補者などいない。
そんなものに立候補できる生徒は、のちに生徒会に入り偏差値の高い高校へと進学する一握りの存在だけである。
と思っていたのだが(今も思っている)クラスメイトの一人S君が立候補したのである。

S君は中学入学のタイミングで他県から引っ越してきた生徒。

入学当初からS君はちょっと独特な雰囲気があった。
物事のテンポがちょっとずれていたり、TPOに合わないトーンの声量の時があったり。そんな感じだ。
公立中学といえば学区内の小学校の卒業生で構成される。
入学時から顔見知りが多い。
そんな中で他県からの生徒は珍しく、ただただ珍しさ故に浮いていただけだと思っていた。
だがやはり月日が経つにつれ、そんな変わった雰囲気をからかわれてもいた。

小学校の時にいじめられた経験のある自分としては、からかいに同調は出来なかったが積極的に友達になることも無かった。
だが、同じクラスメイト。何度か話しをしたことはある。

特に興味を惹かれたのはS君は尊敬する人物を聞かれた際に、ストレートに「自分の父親」と答えたことだ。
中学1年当時、尊敬する人物の定番といえば「エジソン」だとか「ヘレンケラー」だとか当たり障りのない歴史上の人物と相場は決まっていた。
そう答えれば親も教師も納得するからだ。

S君の家庭は厳格だったのか(どうかはしらないが)どこか育ちの良さだけは所作に出ていた。
そして「学級委員になりたい」「生徒会長になりたい」と宣言していたのだ。
きっと厳格な父を心から尊敬し憧れ、学級員や生徒会長を経験したかったのだろう。
僕はそんな彼の宣言を何度も聞いていたので次の学級員選挙の際はSくんに投票しようとずっと決めていた。
仮に立候補しなくても推薦しようとすら思っていた。
なぜならそんな熱量のある人間がやるべきだと思ったし、やりたいと声を上げてもしない人間がやるべきでは無いと思ったからだ。

そして選挙当日。
投票は匿名で行われる。
担任がクラスメイト全員にA6サイズほどに切った紙を配る。
生徒はそこに候補者の名前を記入し投票箱に入れる。
教師は投票箱を職員室に持ち帰り投票数を集計。学級員が決まる。
そんな流れだ。

クラスの担任は数学の女性教師だった。
年齢は20代後半から30代半ばだったのだろうか。
学校が恋人だとかクラスが好きだから恋愛しないだとか
聞いてもいないのにそんなようなことをよく言っていた記憶がある。
当時はトレンディドラマの最盛期。
何かのドラマで聞いたようなセリフが彼女の口癖だった。

その担任教師が職員室から戻ってきた。

「投票をふざけている人がいるのでやり直します」

クラスの顔を決める大事な選挙。
そんな大事な行事くらいは真面目に行え。という彼女の教育方針だろう。
それには納得できる。
むしろ僕もこんな投票にふざける人間がいるのか。
とあきれたものだった。

2度目の投票。
僕は再度S君の名前を書いた。

2度の投票の結果。
選ばれたのは推薦候補者の成績優秀君。
S君は選ばれなかった。

「1度注意したにも関わらず再度ふざけて投票した人がいます。」
「筆跡で誰かは特定しています。後で職員室に呼びます。」
担任教師がそう告げ後味の悪い学級員選挙が終わった。

その日の掃除時間。
ふざけて投票って一体どんなこと書いたんだろう。。
なんてことを考えながら床を掃いていた時
「ぞん君(僕)先生が読んでるよ。職員室に来いって」
クラスの女生徒から声をかけられた。

えッ!!(何かしたっけ??)

おそるおそる職員室に入る。
威嚇するような座り方で待ち構える担任の女数学教師。

「なぜ2度もS君の名前を書いて投票したの?」

頭が真っ白になった。

まさかふざけて投票した生徒っていうのは僕のことだったのか。

「前々からS君が学級委員になりたいって言ってたから…」
そう主張したが聞き入れてもらえず
懇々と女数学教師による説教が始まったのだ。
「本当にS君に務まると思う?」
「S君で大丈夫なわけないでしょう?」
無力な僕は黙って怒られるしかなかった。

担任の女数学教師の考えんとする事はこうだ。
学級委員とはクラスの顔。並みの生徒では務まらない。一握りの優秀な生徒で構成されるべきであるし、そうしないと学校の運営などできない。
それを承知の上で人選せよと忠告したにも関わらず何故何度もS君の名前で投票するのだ。

中学生とはいえ子供だった僕は教師の考えに恐怖した。
理不尽さを感じ悲しさと怒りがこみ上げてきたのを覚えている。

「頑張れば夢は叶う」だとか、「やれば出来る」といった綺麗事を普段は生徒達に伝えているはずの教師が、あまりにも冷酷な判断をし一人の生徒の夢を奪った。
しかもそれを直接本人に伝えずに。
生徒達へ同調圧力をかけて奪ったのである。

僕はただやりたいと宣言している人間を応援したかっただけなのだ。
でもこれが教師とはいえ大人の本音なのだろう。

S君は前述した通りちょっと独特の雰囲気があった。
もしかしたら今の時代だと発達障害などと言われるのかもしれない。
(そして空気を読むことが出来なかった僕もそうなのかもしれない。)

その後S君とは同じ高校にも通ったが話す機会は無かった。
その間の6年間。S君が学級委員や生徒会役員になることも無かった。

女数学教師が早めに不適合であることを見極めたというオチなのか、
S君の可能性を早々につぶされたというオチなのか。
見方が分かれるこのエピソードは30年以上経った今でも僕に色濃く刻まれている。

ここから導き出せるのはやはり自分は組織に向いていないということだけだ。

44歳。推定無職。あのドラマ「愛しあってるかい!」だったけ?

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