二重学籍は行けないことか!? ーー通信制の大学院でも学ぶことにしました
通信制の星槎大学の大学院(修士)でも、学ぶことにしました。と言っても、まだ科目履修生なのですが。
知っている方は知っている話になりますが、「科目履修生」というのは1年の在籍で必要な科目の単位取得を目的とする学生です。すでに大学を卒業し学位を持っている人が、たとえば教員免許など資格取得に必要な単位を取得するためなどに使います。
もちろん他の使い道もある制度なのですが。
そして、「正科生」というのが、基本的には4年、必要な在籍期間学び、必要な単位を取得して学位の取得を目指す学生です。
(名称はどちらも大学によって違うことがあります。)
僕は今すでに、星槎大学の学部での「正科生」でもあります。「学部」というのは、いわゆる4年制の大学です(個人的に4年で卒業するつもりはないのですが)。また、ときどき他の通信制大学の科目履修生で、興味を持った科目を学ぶこともあります。
つまり、二重学籍の状態です(多重学籍か、、、)。
そして、大学院正科生に合格できた暁には、晴れて「正科生」の二重学籍となります!
今回は、何でそんなことしてるの?という話と、通信制大学は自由度高く学びに使える制度なんだ!というtips的なことが書ければな、と思います。
二重学籍はいけないことか
最初にたぶん、二重学籍ってダメなんじゃないの?ということに触れておかないといけないかと思います。
結論から言うと、状況(希望する大学)によります。
「二重○籍」というと、何かイメージがあれですが、二重“学籍“は違法ではありません。法律で禁止さられているわけではいないのです。
ただ、多くの大学において、その大学の規則で禁止されています。通学制(全日制)の大学なら、ほぼ禁止されています。文部科学省も「好ましくない」とコメントしています。
「じゃあ、ダメなんじゃないの?」と思われるかもしれませんが、重要なのは、なぜ好ましくないのかになります。
通学制の場合、カリキュラムとして各科目毎週の講義への出席を前提に組まれています。2つの大学で講義にすべて出席するのは、物理的に無理があります。
一方、通信制の場合、その設置目的から仕事に就いていても学修できるようにカリキュラムが組まれています。この仕事というのには、フルタイムでの勤務も含まれています。つまり、パートタイム勤務や個人事業、フリーランスの人であれば、2つの大学で学修することも無理ではないのです。
通信制大学の場合、やっちゃダメかどうかより、やる意味があるか、そうしたい(学びたい)と思うかどうかの方が重要になります。もっとも、やる意味ないのにやりたい人はいないのは、それはそうではありますが。
ここだけは読んで!
二重学籍で学ぼう、、、というか、あっちの大学の科目も、こっちの大学のも受けてみたいと思ったとき、必ずやらなければならないことがあります。
それは、「問い合わせ」です。
ネットでも情報記事などでも、だいたい「二重学籍は違法ではない」が「学校の規則による」ということは書いてあるのですが、そのこころは「必ず、それぞれの大学の問い合わせ窓口に問い合わせよう」なのです。
情報を求めて検索したどりついた人のための記事なわけですから、結論として「直接、聞いて」っていうのは確に「記事としてどうなの?」と思われるかもしれませんが、問い合わせるのは大切なことです。それは、学ぶ者の姿勢として情報はできるかぎり自分で確認しないと、という意味でも。
僕自身としても、ネットの情報記事にしても、本当に伝えたいのは「"悪い"ことではないから、気後れせず問い合わせて」ということなんだと思います。
やる意味は?
言葉の響きから何かズルいことのように聞こえますが、科目に合格しやすくなるわけでも、権利的なものがたくさん受けれるというわけでもありません。
博士号であれば複数の分野でもつ意味もあるでしょうが、学部の学位(学士。4年制の卒業資格)を2つ持つことにそんなに意味はありません。就職に有利、なんてこともありません。
学費も余計にかかります。
もしかしたら、ネットの情報記事を調べる人も、自分でやりたくて調べるというより、やってる人の話を聞いて「それってズルいことなんじゃないの?」と考えて検索したという人の方が多い、、、のかもしれません。
ここから少し、二重学籍にはなってしまうけど複数の大学で学ぼうという人が、何でそうしているのかを考えてみたいと思います。
ー正科生と科目履修生
一番多いのはこのパターンだと思います。むしろ、“二重学籍“になるとか意識せず気づいたら、という人もいるのではないしょうか。
このパターンでの「何でやるのか」に多いのは、やはり、まず正科生として学んでおり、その学びの中で、その大学では取得できない「特定の単位が必要な資格」に関心が湧いたときじゃないかと思います。
例えば、経済や法律、情報などの実務系の大学に入ったが、その大学では取得できない教員免許や福祉系資格などを取りたいと思いたったときです。
編転入学をするという手もありますが、教育や福祉の道にすすもうと心に決めたとしても、いままでの大学で学んだもの学べるものが無駄になるというわけではありません。
また、教育や福祉資格のほとんどは、特定の単位取得がいる場合でも、教育や福祉を専攻する大学の卒業資格まで必要になっていることはあまりありません。所属大学の卒業資格と、科目履修生として他大学でそろえた単位によって、資格(または受験資格)を取得することはできます。
そして、もう一つの「やる意味」。単純に、すでに所属している大学の他に、学びたいと思う科目や講座があったから、です。
資格取得を目的としていなくても、自身の好奇心を軸に学びを広げていく、そのために制度を利用するというのは“悪いこと“ではありません。自分の入った大学にない科目・講義でも、受けれるなら受けておくべきです。
是が非でもそうすべきというものではありませんが、もし、正科生として所属している大学以外にも学びたい科目や講座が見つかったときは、科目履修生制度の利用を一度検討してみる価値はあると思います。
そのほか、「単位互換制度」が設けられていることもあります。これは、“教育内容の充実“を目的とし、各大学や教育機関が連携して行っているものです。こちらの制度が設けられていれば、通学制であっても問題なく、他大学の科目を受講することができます。
自大学で開講していない科目に関心をもったときは、“是非とも“、大学の事務局に相談してみてください。その大学が、ホームページなどで二重学籍は原則不可としていても、何らかの方法がある可能性は十分にあります。
ー科目履修生と科目履修生
これは学び直しや生涯学習として大学で学ぶという方にあるパターンと言えるでしょうか。僕も、そもそもは、この立場です。
やる意味は、先に書いた2つ目の理由、学びの幅を広げるためです。もし禁止されているなら次の年まで待てば良い話ではありますが、学びたいときが学びどき、といったところでしょうか。
学位を既に持っていたり、学びたいが卒業資格を必要としていないのであれば、より広く分野や科目が選択できた方が、より多角的な視点を持つことができます。
特に“正解“というもののない文系分野では、同じ科目であっても、大学や講師によって得られる学びが違うということもあります。個人的には、講義そのものを比較することから、教えられるのではない自分自身の学びを見つけることだってできると思っています。
この“やる意味“においては、「聴講生」という制度もあります。学費も少し安いのですが、ただ、科目習得試験として「レポートをまとめ評価を受ける」というステップがない場合もあります。講義を聞ければいいという方には、こちらの方がお得なのですが、個人的にはどうせならアウトプットの機会を持っておいた方が良いように思います。
また、もう一つ。このパターンは、学び直しではない若い世代の人にも利用する価値があると思います。ただ、通信制で学ぶ場合にはという話になりますが。
誰しも、特に大学での学びが“初めて“な人であれば、どの分野どの大学が自分にあっているかわからない、ということも多いのではないでしょうか。各大学、ホームページや入学案内などに工夫をこらしてはいますが、実際、やってみないとわからないということもあるでしょう。
そういったとき、1年間は試しに2つほどの大学で科目履修生として学んでみるのも一つの手だと思います。
通学制の人たちと同じように新卒採用の流れにのりたいという思いがあるなら、1年間を無駄にするように感じるかもしれません。しかし、受験で浪人することを考えれば1年や2年はそれほどの問題ではありません。
得た単位自体は、のちに正科生となったとき手続きをすれば、一定の範囲ではあるものの、卒業認定に必要な単位として算入できる大学がほとんどです。大学によっては、他大学の科目履修でとった単位も算入できることもあります。
そして、何より、通信制大学であれば在学中からフルタイムに近い範囲で働くこともできます。言うなれば、通信制学生は、在学中から実務経験も積みやすいといえます。
そのような通信制大学生にとって、卒業後へ向けた就職活動は、どちらかというと新卒採用の流れにのるというよりは、キャリアアップのための転職や正職員への転換を狙う場と考えた方がいいでしょう。(もちろん、キャリアアップに新卒者募集を利用しちゃダメってことはないですが。)
そのとき必要なのは、どれほどの偏差値をかちえたか、順当に勉強をこなしてきたか、ではなく、何を学ぼうとし何を得たかです。
それは、“実際“を体験したうえで選び、学んだ時間からの方が、より多くを語れるものになるのではないでしょうか。
ー正科生と正科生
僕は大学院に入れればこの形になる、と言っておきながら何ではありますが、このパターンは特に“やる意味“はないように思います。
先に、「博士号ならともかく」とも書きましたが、同時並行でとるのは、やっぱり意味ない気がします。肌感覚というより予想だけですが、修士・博士課程レベルのことを複数同時というのは、通信制を利用してもやっぱり無理がある気もします。
僕のことを言えば、実のところ、この形になるのはたまたまです。
学部の正科生となったのも、科目履修を何年も繰り返すより、2年目以降に正科に変更するほうが入学金(登録料)などが減免されたり、結果的に学費が安くなることを教えてもらった、というだけの動機でした。なので、やっていることは実質、科目履修生です。
その後、大学院のほうでやりたいことができた。でも、学部での生涯学習的な学びも続けたい。できれば費用を抑えて。という次第です。
もちろん、学部と院、それぞれの事務局に問い合わせました。実は、最初、院は放送大学大学院を検討していたので、そちらにも確認しています。
そのやりとりの中で、星槎大学側の院で学びたいテーマができ、他大学院での科目履修での単位も無駄にならなさそうだというのを教えてもらいました。
ただ、「変なこと言ってるかな、、、と気後れしそうでも、ダメ元で問い合わせておいた方が良いよ」ということは言える経験をしたかなとは思いますが、「他の人でも正科生と正科生の二重学籍をやる意味があるか?」ということについては、学部であれ院であれ、だいぶ疑問符がつきます。
違法じゃないし、制度上できなくもなさそうだけど、今のところ、積極的に“やる意味“はみつからない。というのが正直なところです。
ー科目履修生と高校生
二重学籍と呼ばれるものとはちょっと違うのですが、もう一つ紹介しておきたいパターンがあります。
通信制大学であれば、ほとんどの大学で、科目履修生になるのに高校卒業資格やそれに準じる資格はいりません。15歳以上であればOKです。また、高校在籍中であっても、在籍している高校の許可があれば、高校を辞める必要もありません。
つまり、高校生と、大学の科目履修生として、両方の学校に在籍し学ぶことができます。
この仕組みは、大学によって特修生制度* や、高大接続の取り組み* の一つとして設けられています。制度の名称が大学によって違いそうなので、問い合わせの際には、自身の状況(高校在学中、もしくは中退を考えているなど)や、どんな風に学びたいかも詳しく伝えるようにしてください。
これらには、学び続けることに何らかの困難がある高校生が、より多くの選択肢を確保するため、また、受験を乗り越えるための勉強だけでなく、その先の学びのイメージを掴みたいという人に、「やる意味がある」と言えるではないでしょうか。
ちなみに、ここで紹介した「特修生制度」については、僕が「通信制大学」というものを知った、きっかけでもあります。また、別の記事で詳しく言葉にできればと思います。
最後に少し自分語りを
Tipsになりそうな話は以上なのですが、少し僕自身の大学院を志望した理由についても残しておきたいと思います。
一つには、少しネガティブな理由です。
僕は、「通信制大学」は“使える“制度だと思っています。就職や将来の投資として!っていうのとは少し違います。
「学びたいという気持ちを満たすこと」は、すべての人に権利のある文化的な生活のためのものだと思っています。よぶんな贅沢でも、他の人より“上に“登ってマウントをとるための手段でもありません。大学で学ぶこと、学問をすることは、ただ生存していくというだけでなく、より「人として生きていく」ために必要な権利だと思っています。
抽象的で、すみません。だけど、通信制大学の制度は、学ぶ人が自身で、その権利を得て守るために、“使える“制度だと思っています。
しかし、僕自身は、学位を通学制の大学で取りました。のんきな学生だったとも思います。そんな僕が、「通信制でも学位は取れる!」などと言って意味があるのか、、、
もちろん、「学ぶこと」は、生活を豊かにしてくれるくらい「面白い」ものだ、というのは心底、いまでも言えます。
でも、せめて何か目標を立てて挑戦しないと、そこにどんな苦労があるのかもわからないんじゃないか。挑戦する人に「一緒に学ぼう」なんていう資格ないんじゃないか。と、思いはじめました。
少なくとも、実際に挑戦し、体験することで見えてくる何かは、きっとあるでしょう。
あと、もう一つ。
一度ちゃんとした論文を書いてみたいと思ったからでした。レポートのために論文的な資料を読んだり、noteで学問をすることや論文を書くということにどんな意味があるのかということを言葉にしているうちに、自分でも書いてみたくなったからです。
よく引用させてもらったりする上野千鶴子さんの「情報生産者になろう」だけでなく、いくつかの、論文とは、学問・研究とは、といったテーマの書籍を図書館で借りてきては読んでいました。
読んでいるうちに、本気で、“情報生産者“になりたくなった、、、ということです。
ちょっと気恥ずかしいですが、僕は、教える側からみた「教育」ではなく、学ぶ側からみた「学び」が、社会においてどんな意味があるのか、社会にどんな影響を与えるのか、を研究してみたいと思っています。
だから、少しだけ頑張ってみたいと思います。
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