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子供の頃の話。②

前回のnoteと関連しているかは分からないけれど、
子供の頃の話は続く。

前回、"写真の記憶"について少し触れたが
嬉しかったこと、幸せなことは一人称視点での記憶として
私だけの"自分の記憶"として残っている事が多い。

その中でも1番古い"自分の記憶"は、
大好きなおじいちゃんにおんぶして貰っている事。

大好きな大好きなおじいちゃんの背中に、全体重を預けて
お庭をお散歩してもらっている記憶。
おじいちゃんの背中の大きさと、温かさと、優しさ。
私の背中を支えてくれている手の温かさ、大きさ、優しさ。
おじいちゃんがつけていた整髪料の匂い、耳の形、声の響き。

全部全部鮮明に思い出せる。

めちゃくちゃにおじいちゃんっ子だったのも関係しているのかもしれないけれど、
きっと安心感に包まれて、大好きなおじいちゃんを独り占め出来て
とても幸せな記憶だったからだと思う。

両親が共働きで、同居していた祖父母に育てられたと言っても過言ではない幼少期を過ごした私は
祖母について畑へ行き、
祖父について山や田んぼへ行く毎日を送っていた。(幼稚園に入園するまでは)

両親からの充分な愛情を得られなかった代わりに
祖父母から充分すぎるくらいの愛情を受けてすくすくと育った。

大人になった今でも、私の親は両親ではなく
愛情たっぷりに育ててくれた祖父母だと思っている。

家族旅行(両親と子供たちのみ)に行く、と言われた時も
祖父母と放れたくなくて、私は行かない。と毎回断っていた。
祖父母が一緒に行くなら私も行く、と。

両親からしてみれば、可愛くない子供だったと思う。
実の子であるにも関わらず、自分達に懐かないのだから。

子供である私は私なりに
寂しい思いをしていたと記憶している。

祖父母から惜しみない愛情を貰っていたとしても
実の両親である二人からはあまり愛情を感じられず(きっと愛情のベクトルが違っていただけだ、と大人になった今は分かるのだが)
寂しさを埋めるように、祖父母へベッタリだったのだ。

要するに、私はおじいちゃんっ子、おばあちゃんっ子だ、っていうだけの話。

ではまた次回。

みな🌔

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