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【読書記録】「笑う萬月」レコードからCD、万年筆からワープロにうつる時代の記憶

花村萬月「笑う萬月」を読みました。この人のエッセイはいくらでも読めるし、読むたびに痛い。
本人は文学について学んでいない。学校もほぼ行ってない。
なのに、バイクだ音楽だと青春を謳歌して、自分の才能とカンの鋭さでエグいぐらいもてて、暴力衝動や薬物中毒も全部作品に昇華させて作家として成功した。

花村作品は、才能というものの残酷さを思い知らされるから痛い。
直接そんなこと書いてないのに、
「お前、人生つまらないの?そうなってる理由がわかんないの?自分と世間を観察して好きな人の心や夢をつかむ方法がわからないの?じゃあそこで一生終えるしかないよねバイバイ」
って言われてる気がする。だけど、傷口にさわっちゃうみたいに、何度も痛い痛い言いながら読んでしまう。

音楽がレコードからCDになり、万年筆からワープロに移行した話が今新鮮。書いてるころは何気ない日々のつもりでも、あとで読み返すとこういうことが面白い。

CDには味わいがねえな、と思っていてもレコードコレクションを久しぶりに見たら手の脂のかたちにカビが生えていた。
そんな「記録」には残らない、ささいな記憶の話が面白い。

ライターや作家が「一日かけて書いた文章が全部消えたー!」って叫んでるシーンが昔はあったなあ。フロッピーに文章を保存するときに限ってトラブルが起こりがち、なんて読むまで忘れていた。

コロナの記憶や、テレビからインスタやユーチューバーの時代になったときの「なにげない記憶」、今書いておくといい。
あとで資料になったら、そのなかに含まれた味はなくなる。

伊集院光が「日本の夏は暑くなった」話とセットで、子供のころ夏でも水温が十分に上がらずプール禁止の日があったことを話している。
今はお風呂ぐらい高温になってプール禁止になるそうだ。

「笑う萬月」をきっかけに、古典というほどでもない昔の本をブックオフで雑に手に取って読みふけるのが習慣になりそう。
ここに書かれていることは、今のメディアで書いたら即アウトだ。
企業の悪口や、過去の暴力的エピソードが、いつのまにか飼いならされて丸くなった感覚に染みわたる。(今の作品はコンプラでつまらん!とか言いたいわけじゃないよ)
世間には話してないことを、作家と、金を払った読者として対等に向き合って明かしてくれたような感覚すらある。

小説なんて楽勝だ、と原稿用紙の正しい使い方も知らないのに書いて大賞獲ったデビュー作。本になってから「ゴッド・ブレス」の間違いだったのに気づいた。

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読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。