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メタルギア苦手な僕が「デス・ストランディング」を197時間遊んだレビュー

ぼくのフェイバリット小島作品「ポリスノーツ」は、コールドスリープされた刑事が主人公だった。
映画好き、軍事オタクのイメージが強いけど、小島秀夫はずっとSFの人だった。

「デススト」の主人公サムは、かつてアメリカと呼ばれていた荒野で荷物を運ぶ仕事をしている。
落ちている荷物の前で△を押すと、背中の届かない位置まで「カサッ!」とゲーム的な軽さで拾う。
崩壊したガレキや山道を左右にバランス取りながら、ザッ、ザッ。歩いていき、納品するときは、拾うときにあんなに軽やかだった荷物を
「ズシイ…ッ」
映画的な見せ方で、CGの荷物の重みが伝わる。車に乗るときは背中に積んでる荷物が「ないこと」になるし、バイクで転倒したら積み木崩しの大惨事になる。
ひとつの荷物が「ゲーム」と「映画」の質感を行ったり来たりする。道路の荒れかたや、立ちふさがる岩壁は映画さながらの圧だし、戦闘はゲーム的。配達ミッションが平坦にならないように、さりげなく、しっかり凹凸がついている。

特定の場所で出現する「BT」は、ゾンビというよりは地縛霊。彼らがどういう存在で、どう対処すべきかわからない。
そこで、主人公サムの体液が彼らに効果があるようだから、排泄物を投げつける実験から始まる。
「実験」だ。「すばやく照準あわせてヘッドショット」じゃない。「戦闘」ですらない。

敵らしき存在に排泄物を投げつける、ゴリラのような対応しかできない人類。彼らが、じょじょに武器や交通手段を進化させていく。
人類の進化を早回しで見るようにサムの行動は多彩になり、血液を武器にするリスキーなスタイルが固まったところでボス戦がやってくる。

そして獲得する「人類初の快挙」のトロフィー。
そうか!人類で初めてなのか!
ゴリラ同様に汚物を投げつけていた人類が、得体のしれない奴らにかろうじて追いついたことを祝福するトロフィー。それが「人類初の快挙!」

思えば「メタルギア」シリーズには、毎回置いてけぼりにされてきた。
敵組織はロシアのナントカが母体でこういう動機で活動している・・・みたいな話が頭に入らなくて、ゲームはなんとか進められるけど、心から楽しめない。

それが「デス・ストランディング」では、わからない言葉が次々出てくるのすら魅惑的だった。
わからないのは、自分が国際情勢にうといからじゃない。前作をやってないからじゃない。登場人物もみんな、よくわからないことだらけなんだから。わからなくていい。わからないことや初めて見るイメージにわくわくして、想像と恐怖を広げていい。

メタルギアは僕から見て「ミリタリー」だから、わからないことが重荷になる。デスストで苦痛に感じないのは、SFだからと、登場人物が持っている情報が少なくて、プレイヤーと立場が近いから。

プレイヤーと登場人物が一緒になって、地図の空白を埋めるゲームなのだ。開拓のゲーム。敵と呼べるものがあるなら、それは「無知」。
無知を攻略するゲーム。道を作るゲーム。未知を拓くゲーム。
なにもない場所をとぼとぼ歩いて、シェルターぐらしをしていた住民の許可をもらうと、回線がつながって、実は先に来ていた他プレイヤーの足跡が見える。
不便は一気に反転して、オンラインで繋がったみんなと、雨に負けないインフラをつくる。

民族の分断とか働き方改革とか、今っぽいワードへの答えを香らせつつ、ネットワークもSNSも肉体労働も全部悪くないぞ、とにかく人間は偉大だぞ、ってゲームが肯定してくれる。
孤独に労働してるだけなのにポジティブ。映画「オデッセイ」の火星農業みたいだ。


2019年は、懐かしハードの復刻やリメイク作が盛り上がった。
初代プレイステーションは、新しい娯楽を見せてくれる、新しい感性の若者が遊ぶものだったのに、今や何億もかけたA級オープンワールドのゲームはどれも似かよっていて、新しいことに挑戦したスリリングなゲームはモバイルの個人製作だったりする。

そこに、プレイステーションで小島秀夫が新規タイトルを作り上げて世界的に評価されていることがアツい。
ジャンルすらわからない大作をみんなで話題にして、賛否両論でわいわい言い合える機会そのものが、情報にあふれた今では超貴重な体験だった。
2019年の個人的ゲームオブザイヤーはデスストランディング! 総プレイ時間197時間。まだトロフィー集めきれてない!

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読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。