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昭和生まれのモノと当時の写真:良いモノは永遠に・・・

昭和生まれのモノは色褪せる事がない。・・・とか思っているのは、やっぱり昭和生まれの者だけなんだろうか?

昭和生まれのモノを紹介する前に、麗しき昭和時代の、なんとなく記憶に残っている話をチョイ書こうと思う。
米屋・魚屋・酒屋が家に配達してくれるのが当然だった時代。
米屋に至っちゃ、配達先の家庭の「米事情」を大体把握しているらしい動きさえうかがえた。
商品提供側と買い手側の「優しい距離感」みたいなものがあったのが昭和。

米屋・魚屋・酒屋など「配達」メインの業種の人は注文したもの以外の「何か」を必ずオマケにくれていたように記憶している。
お歳暮の時期は店名入りのカレンダーと皿のセットや、グラスのセット、カトラリーのセットなどをくれた。だからどの家庭にも使わずしまったままの食器が沢山あった。
母は「悪いわよ~、こんな素敵な物タダで貰うなんて~」とか言いながら、まあ、・・・貰っていだが、米屋魚屋酒屋いわく「これは俺が用意したんじゃなくて、業者が客に配るようにって手配したやつだから遠慮しないで。」らしい。

気前が良い時代だった。今思えば、そういう行為の一つ一つが「消費社会」というものに拍車をかけていたのかもしれない。

実際、そういう消費社会の未来や行く末を危惧していたわたしの祖母は「タダより怖いモノは無い」と言って、そういう米屋なんかが「タダでくれる食器類」は断固として受け取る事は無かった。わたしは祖母の考えを今でも受け継いでいる。(血は繋がっていないけど)

わたしは昔も今も「タダ」が怖い。タダのモノには一切関わらずに生きてきた。ポケットティシュでさえも。
つまり、2020年に始まった例のフェスティバルで「無料だから~」と謳われていたアレも一回もやっていない。わたしは”反対派”でも”賛成派”でもない。”問題外派”だ。・・・・っつって、
話が過激化する前に本題いこうか。

今から紹介する昭和なモノはわたしの母が過去、酒屋のオッサンから「タダで」貰ったグラス。
2024年でも現役バリバリ。たしかにタダより怖いモノは無い・・最強のグラスだ。

昭和に過剰に流通していたグラス

↑これは、昭和生まれの人なら一度は見た事があるはず。相当広範囲で、出回っていたデザイン。神奈川に住んでいるわたしが栃木の親戚の家に行った際にもコレを見たし使ったのを覚えている。
木の幹のような感じに凸凹していて、何とも言えない清涼感がある。

昭和のレモン絞り道具

これは母が若い頃に箱根で買ったとされているモノ。

↑コレを使ってミカンを絞り・・・・・

さぁ~~~~~~、宴の始まりだぜ~~~~~~~!
飲んで飲んで飲みまくってやろうぜ~~~~!無礼講でいってみよ~
・・・・・で、このザマ

昭和5Z年・ジュースで酔いしれる小三くらいのバングリー(左)

↑どうやらこの日は七夕。笹の葉サ~ラサラ~が後ろに見える。
そして背後にはレトロなテレビと扇風機。

昭和定番アンバーガラスのティーカップ&ソーサ―

凄く魅了される色と存在感。

コレで飲むとぐ~~~~~っと一気に昭和に引き戻される。


何故なら・・・・・

何歳だかわかんないけど幼少期バングリー

↑コレを思い出すから。

30歳くらいまでは色々な食器を買ったりもしたけど、どれも今は残っていない。
残っているのは本当に自分が気に入っているモノ。
だから、今後の人生わたしには新しい食器は必要ない。経済爆止め中。

読んでくれて有難う!
また会おうぜ、あばよ!


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