見出し画像

【記憶の覚書】夏祭り

7月の最終土曜日にいつも、地元では花火大会があった。
その日の夕方には、母方の祖母の家にみんなが集まる。
母は四人姉妹で、集まるいとこたちは10人以上いた。
おじおばも合わせて20人ぐらいが祖母の家に集まる。
おばあちゃんが孫たち一人一人に、二千円ずつお小遣いをくれる。
私たちはそれを手に、縁日へ繰り出す。
早めの夕食をおばあちゃんの家で済ませて、幼い頃はおじちゃんやおばちゃんに手を引かれ、小学生に上がる頃になると子どもたちだけで、花火の上がる河川敷あたりを目指して、片道30分ほどを歩いて行く。
だんだん暗くなる、まだ熱気の残る道をいとこ同士手をつないで歩く。

河川敷に近づくにつれて、チラホラと屋台が軒を連ね始める。
甘い匂い。しょっぱい匂い。
赤い色。青い色。黄色。緑。
お面。りんご飴。かき氷。イカ焼き。綿菓子。たこ焼き。ヨーヨー。金魚掬い。
限られたお金の中から何に使うか、私たちは一生懸命考える。

薄暗かった道はやがてすっかり夜に包まれる。
花火まではまだ時間があるから、縁日を回って時間を過ごす。
どこまでも続くように思える屋台。
私たちの住む町にこんなに人がいたのかと思えるぐらいの人、人、人。
はぐれないように手を繋ぎながら。

やがてドーン、ドーンと花火が上がり始める。
小さな頃は、空き地の少しひらけたところから花火が上がるのを一生懸命背伸びしながら、見上げていた。
夜空に青や赤、黄色の大きな花が咲く。
少し大きくなると、大きな音を聴きながら自分のお目当ての屋台から目が離せなくなる。
屋台の屋根の隙間から時々花火を見ながら。

最後の花火が終わって、みんなが帰路につき始めると私たちもまたおばあちゃんの家へ戻る。
もうクタクタ。
お目当てのものが買えたら、ウキウキしながら。
買えなかったらただヘトヘトになって。
いとこの中で真ん中ぐらいの私たちは誰にもおぶってもらえない。
手を繋いで、頑張っておばあちゃんの家へ帰り着いたら、
お父さんお母さんおじちゃんおばちゃんたちは酔っ払ってベロベロになっている。

地元の花火大会は、中学生に上がる頃には友達と行くようになったり、
高校生になれば彼氏と行ったりするようになった。
でも、思い出すのはなぜか子どもの頃のおばあちゃんの家からの道のり。
友達と過ごす花火大会も楽しかったはずなのに。
彼氏と過ごした花火大会もドキドキしたはずなのに。
今、頭にキラキラと思い浮かべるのは、あの小さな頃の、
花火大会だ。

大人になって、自分の子どもを連れて行った。ジンベエを着て、仮面ライダーのお面を見てはしゃぐ小さな息子。
小さな手をはぐれないようにしっかりと握りしめる。
どこまでも続いていたように見えた縁日は、見渡せばすぐそこに終わりが見える。
縮小したのかもしれないし、ただ私が小さかったのかもしれない。
高校を卒業し、町を離れ、もっと大きなお祭りも、東京の花火大会も行ったことがある。
でも、子どもの頃の花火大会の輝き以上のものをもたらしたことはなかった。
子どもの頃の、小さな背丈に迫る屋台や、大人の腰ぐらいから垣間見る縁日に並ぶ商品の煌びやかさは、それだけ私には特別だった。

去年に続き、また今年も全国各地でお祭りは行われない。
私の子どもたちが行っていた、近所の夏祭りも去年に引き続き行われない。
どこであれ、何であれ、子どもたちにとって特別な時間なのだと思うと、
早く、いろんな日常が戻ればいいなと願うばかりだ。

この記事が参加している募集

よろしければサポートお願いします!サポートいただいたお金は、新刊購入に当てたいと思います。それでまたこちらに感想を書きたいです。よろしくお願いします。