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【覚書】自分のものさし、子どもの可能性

私は、どんくさい。
言っちゃあなんだが、どんくさい。
子どもの頃から体育が苦手だった。
運動も嫌いだ。
昔、運動神経のいい友人が言っていた。
「成功するイメージを持つとできる」と。
「跳び箱にしろ、シュートを決めるにしろ、出来るイメージを
持つとできる」とのこと。
なんや、かっこいいがな。
その人はスポーツ推薦で高校に行くような人だったのだが。
しっかし、私は失敗するイメージしか湧かない。体育で側転をするにしろ、後転(バク転じゃありません、後転です。後ろ回りってやつ?)するにしろ、失敗するイメージしか湧かない。
跳び箱もぶつかっていくことしかできない。
勉強はわりと出来る方だったから、早々に体育は諦めることにした。

先日、フィールドアスレチックなるものにいった。
山の中に、よじ登ったり飛んだり、渡ったりするやつがあるところ。めちゃくちゃ高度なやつは要予約だったので、落ちても水、てなやつ。
息子が遠足でいって楽しかったそうで、
じゃあみんなで行こうということになった。
落ちたら、水。
大した怪我はない。
落ちたら、水。
着替えもちゃんと持ってきた。
落ちたら、水。
着替えりゃいいのよ。

フィールドアスレチック、よくできており、チャレンジしたくない人は、
それを回避できるようになっている。
別ルートで前に進めるようになっているのだ。
30個ぐらいあったのだが、どれもこれも私にはできそうにない。
雲梯だって、ターザンロープだって、クライミングみたいなやつだって、
どれも、落ちて水に濡れてる自分しか想像できない。
回避できるのを幸いに、ほとんどスルーする私なのだが、
私が回避する分にはいい。
けれど、自分が出来ないと、つい子どもにも同じ心配をしてしまうわたし。
息子はもう、既に一回やってるのだから、
出来るもの・できないもの自分で見極めている。
問題は初挑戦の娘。
やろうとする娘に、つい、
「大丈夫?」
と声をかけてしまう。
やめとけ、とは言わないのだが、
「大丈夫?」とつい言ってしまう。
お兄ちゃんは先々行く。
そしたら、焦りもあり、娘は「やめとく」と言う。
しかし、半分ぐらい過ぎた時に、ついにブチ切れた。

「大丈夫?大丈夫?て聞かれたら、わたし、なんにもできんやん!!!」

ほ、ほ、ほ、ほんまやな!!!
ごめん!

親心としてはつい、自分のものさしで測ってしまうもの。
娘が私と全く違って運動神経抜群ならば、
もう自分とは違う生き物として送り出せるのだが、
残念ながら、走り方を見ていると私の遺伝子。
しかし、私のものさしで止めてちゃ何にも経験できない。
ごめん、ほんとごめん。

後半はぐっと堪えて、「大丈夫?」のひとことを言わないようにする。
サポートに徹する。(自分はあくまでもやらないが。)
彼女なりに判断して、やりたいものはやる。やりたくないものはやらない。
結果、濡れずに終わった。
周りを見渡せば、ずぶ濡れになりながらキャッキャっと楽しむ猛者たち。
ああなれたらいいのだが、そうはなれない私たち。ビビり。
濡れてもいい、どんといけ、といえない私。
まあ自分ができないから無理強いするつもりは
最初からないけれども、
あんなふうに濡れても濡れてもキャッキャッと楽しめるのも
いいだろうに。

何事も、自分の経験則で測ってしまう。
ひととおり、子どもよりは通ってきた道がある、とは思う。
思えば、幼い、まだよちよちしている頃から、
その段差を飛べばどうなるか、とか
そこを飛び越えられるかどうか、とか
ついつい自分の物差しで測って
「大丈夫?」と声をかけてしまう私。
自分の子どもで自分のように鈍臭いと思ってしまうから、
ついかけてしまう、「大丈夫?」
なかなか、落ちるのがわかっていて、
「イケイケ」とはいえない私。
でも、自分とは違うこと、きちんと肝に銘じなきゃいけない。
やめる自分と、やってみたいと思う子どもを両立させなきゃいけない。
運動面だけじゃない。
これからもっと色々あるだろう。
勉強面でも進路でも遊びでも、
「やりたい!」と言ったときに、
黙って「うん」と言える、そんな人になりたい。
まあ、危険なことはやはり回避しないといけないけれども。
(やっぱり石橋は叩く派)

ちなみに夫は運動神経はいいのだが、寄る年波には勝てず、
半分ぐらいスルーしていた。
夫の運動神経のいい遺伝子も混ざっているはずだから、
もっと子どもを信じなくては、とも思う。

すべて回った後、何もないところでつまずく私を見て、
夫が、
「そら、なんにもできひんわな」とのたまう。
知ってるよ。


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