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らーめん南閉店

突然のことになりましたが、金澤流麺らーめん南は閉店しました

閉店の詳しい理由は書けませんが、コロナ禍が理由でも経営不振が理由でもありません

前に進むために一度リセットする必要があると考え、店を閉じることになりました

金澤流麺という開店当初に想いと意味を込めた屋号も、らーめん南という辻堂時代から含めると10年以上親しまれてきた屋号も使うつもりはありません

らーめん南はここで幕を閉じます

でも次なる店も僕のらーめん人生の続きですから、らーめん南の第二章【金澤流麺らーめん南】の延長線上にあることは間違いありません

次のスタートはいつになるのか?

数ヶ月後なのか?
それとも何年も先の話なのか?

僕にもまだわかっていません

ですが、必ず復活します

それまでこのnoteは過去からの学びとこれからの展望や目標、その時その時の移ろいゆく感情や感傷などを徒然なるままに書き残しておこうと思います

敗北宣言

ずっとギリギリの経営状態ではありましたが、それでも大雪もコロナ禍もしぶとく乗り越えて、どう転んでも店を潰すことはないだろうという消極的な自信だけはありました

なんとか親と妹に店を手伝ってもらいながら僕一人が生きていくぶんには続けることは可能でした

しかし現実的な側面に視線を落としてみると、例えば『結婚をする』とか『長期休暇を取って旅行に行く』などは不可能でした

とにかく店を開け続けるしかない

走り続けるしかない

その日を生き抜くことでやっと

そんな毎日の中で、徐々に自分のらーめんのクオリティが高まっていくことを実感します

とある仲の良い同業者(ラーメン屋店主。この方はミシュランでビブグルマンの評価をいただいている人気店店主です)にこのようなことを言っていただけました

「いや、南さんのらーめんは最初から美味しかったよ。俺は最初から南さんのらーめんが好きで、最初はよくこんな石川県みたいな保守的な地域でここまで自分を表現できるもんだな、と感心してたんだけど、そこからどんどんと洗練されていってなんかもうラーメンと言い切れなくなってきたよね。ほんと美味しいよ。でも世間一般がコレをわかるかと言えば、それは俺にはわからない」

また、とあるお世話になったいる70代の人間通な紳士にはこのように言っていただけました

「我々はラーメンを食しにきてるのではなく、南君の作品を鑑賞しにきてるのではないか?と思う。あわよくば、南君が時代と寝れますように…」

この2人の言葉が何を意味するかというと、端的に言えば

良いものが売れるとは限らない

に尽きるのではないでしょうか?

そしてずっと相談に乗ってもらっているとある会社の社長にはこのようなことを言っていただけました


「今まで何人も『貧乏だけど好きなこと出来てて楽しい』ってヤツは見てきたけど、なんで南はそんなに苦しそうなんだ?」


実際に苦しい毎日でした

自分がどこへ向かっているのか?

がわからなくなることほど苦しいものはありませんでした

そんな時間をちょうど五年間続けた今年の春(ちょうど店も5周年を迎えた時期でした)こんな感情が湧いてきました

「あかん、もう何も作れない。これ以上どうやってクオリティを上げればいいのか、どうやって新しいものを生み出せばいいのか、もうわからない」

このnoteでも書きましたが、僕は敗北宣言をしました

一度休まないと、もう前には進めない

そう考えたのです


直後のミシュラン発表

その直後にミシュランの発表があり、少しホッとする時間が訪れます

しかし夏の新作を2ヶ月続けて出した後、また曜日固定の限定に戻ろうとした時、その気力は湧いてきませんでした

僕は絞り切った雑巾のままでした

もう限定らーめんはやめることにして、定番のらーめんのみで営業を続けることにしました

その時にふと感じたことがあります

それは

本気で味を追求しようと思ったら、俺はひとつのらーめん、多くてもふたつのらーめんが限度だ

今までアレもコレもと作りたい気持ちに従って作り続けてきましたが、本当にやりたいこととは物珍しいらーめんを作ることではなく、本当に求めてくれている人が感動をしてくれるらーめんを作ることです

その求めてくれる人が少数でも構わないから、とにかく自分の世界観を凝縮させて詰め込んだらーめんを作りたい

それをやるなら、一度今までやってきたことをリセットしたい

僕は決意します

そうだ、もう店を辞めよう

結果、この5年間で学んだものとは?

僕を取り巻くしがらみも全てリセットして、純粋に小さくて強い想いと絆で繋がった人たちに届くらーめんを作りたい

それこそ、曜変天目のように、小さな器に人々が吸い込まれるような魅力を持った一皿を作りたいと願うようになりました

僕がこの5年間で学んだことは、自分の器でした

自分が何に一番夢中になれるのか?

それはものづくりです

何かを手のひらから生み出して、それで誰かに喜んでもらえて、それで生きていく

ただただそれだけだと45年かけてやっとわかりました

無駄なものは全て削ぎ落として、仏像を掘る仏師がひたすら孤独と祈りと己の技術の中から信仰を形として生み出すように、人に届くらーめんをただただ作りたかったのでした

だから一度店を閉めて、自分と向き合い、自分を取り囲む環境と向き合い、しがらみとも向き合い、自分のらーめんとも向き合い、自分の体と心とも向き合い、自分の人生とも向き合い、復活に備えたいと思います

このnoteは更新を続けます

その時々で感情の揺れるままに書く内容も変わるかと思います

でもそれもきっと次のらーめん、次の店に繋がってくるでしょう

ゴールのない旅を始めることにします

どうか時々様子を見に来てください

お待ちしています

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