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国道170号線沿いのチェーン店に囲まれた 河内長野・塚穴古墳の意外な事実とは?

 1月の引っ越しを前に新しい拠点に来ているときにはできるだけ周辺を散策。と同時に新しく購入する家電とかDIY系のものを求めてホームセンターや家電販売店に立ち寄っています。

 河内長野の中心に走っている国道170号線沿いはそういうお店が目白押しで、またチェーン店が数多くあります。

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 さてそんな散策の途中、全国チェーンの「からやま 河内長野店」で遅いランチを取りました。まあボリュームある唐揚げは食べ応えがバッチリ。アツアツの唐揚げとご飯との相性はたまりません。唐揚げのテイクアウトもできるようです。

店の前にあった小さな古墳

 そして店を出た時に意外なものを見つけました。

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 チェーン店のお店に囲まれた空き地のようなところにこういう山みたいなのがあって、隣には地蔵が祀られています。何らかのパワースポットかと思ってよく見れば、説明の書かれた案内板を発見。

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「塚穴古墳」とありました。ちなみにこの名前の古墳は全国各地にあるらしく、近くでは羽曳野にもあるようです。(落ち着いたらそっちも見に行きます)

以下、説明書きの一部を引用します。

横穴式の石室を持つ古墳です。しかしこの石室は古墳時代に造られたものが、そのまま残っているわけではありません。

 古墳時代にあった古墳であることは間違いないようです。伝説では非常に高貴な人が眠っているといわれ、「高向王の墓」と伝承されています。この方は用明天皇の孫で、聖徳太子の甥にあたる方。

この石室が近世に壊され、再度組み直されたものであることがわかりました。

 羽曳野市にある応神天皇陵とか、河内の地域やその周辺には多く古墳があり、ここもそのなかのひとつなのでしょう。でも壊されたものが再度組み直されたというのは珍しいと思います。

調査により分かった事実と伝承

 さらに書かれているものを読み進めると。

石室内部に堆積していた土砂を取り除くと、床面に穴を掘って埋められている甕が4基見つかりました。

 これは、平成8年に行われた調査で分かったことです。

五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)などの石造物が出土し、土器や陶磁器に混じって、永楽通宝や寛永通宝などの銅銭も出土しました。

 ここがポイントのようです。古墳時代の埋葬物が出てくるのなら一般的ですが、どうやら時代の違うもの。江戸時代のものが出てきたことが分かったそうです。

これらの調査結果から塚原古墳石室は江戸時代に組み直されたあと、内部を墓地として使っていたものと考えられます。

 調査結果により、やはりいったん壊されたものを再度組み直して墓地として戻したとあります。江戸時代になぜそんな面倒なことをわざわざ行っているのかとみると、それを裏付ける伝承があるので、より信ぴょう性が高くなります。

地元の伝承には大阪城築城の際に古墳の石材を運ぼうとしたところ、何らかの事情により元の場所に戻した、というものがあります。

 豊臣秀吉が大阪城を建築する際に、多くの石が必要ということでこの古墳の石を運んだのに、わざわざ元の場所に戻したという事情があるというのです。これを見ると、明らかに出てくるキーワードが「祟り」でしょう。

 一旦は大阪城に持って行った古墳の石。ところがこのあと戻さざるを得ない事情があったという。疫病が流行ったという情報もあります。
 さすがに天下人秀吉といえども「これは使えない」と戻し、そして江戸時代にその祟りが鎮まるように、五輪塔や宝篋印塔、あとお金を奉納したのでしょう。

 有名なチェーンの飲食店やホームセンターなどがある国道バイパス沿いに偶然見つけた古墳。この地域を散策するとこれからもいろんな珍しいものに出会えそうです。

塚穴古墳のアクセス

 ちなみに私は歩いて行ける所でしたが、駅からのアクセスを紹介します。

塚穴古墳地図

公共交通の場合は、南海高野線・近鉄長野線「河内長野駅」下車後南海バス「滝畑ダム」か「高向」行きに乗車します。「下高向」停留所で下車した後上の地図の通りに行けばあります。

車の場合は、国道170号線(外環状線)の河内長野市の「上原町」交差点を目指します。近くにはエディオン河内長野店やホームセンターナフコ河内長野店があるので、それを目指していくほうがわかりやすいでしょう。


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