応神天皇陵 ~南河内にあるもう一つの世界遺産~
現在は河内長野の話題が中心になっていますが、一応南河内全体の情報発信を考えております。そこで今回は河内長野ではなく、羽曳野市(はびきのし)にある、応神天皇陵に行ってきたときのことを記します。
応神天皇とは
応神天皇は15代天皇。14代仲哀天皇と神功皇后の子どもとなっています。ただ実在したかどうかが曖昧。また八幡神社の御神体「八幡神」として信仰を集めています。
ちなみに応神天皇の子どもが16代の仁徳天皇。そのほか古事記などでは、仁徳天皇の系統が途中で途絶えたのちに即位した、現在までも続く皇統の祖・26代継体天皇の祖先となっています。
古墳の正式名称は誉田御廟山古墳
本来堀があったとされるところには水がなく、陸続きのようになっています。天皇陵となっていますから、このまま古墳内に入ることは許されません。それでも非常に身近に古墳の存在が感じられました。
応神天皇陵は正式名称を、誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)宮内庁より「応神天皇陵」と治定されていますが、実際の埋葬者は不明。1978年には外濠と外堤が国の史跡に指定されています。
応神天皇陵があるのは古市古墳群
応神天皇(誉田御廟山古墳)の周辺には大小さまざまな古墳があり、それを古市古墳群と呼んでいます。構成は次の通り。
国の史跡:20基
天皇陵:8基
皇后陵:2基
皇族墓:1基
陵墓参考地:1基
陵墓倍塚:15基(大型の古墳の横に同時期に造られた付随する小さな古墳)
仁徳天皇陵の次に大きな応神天皇陵
画像は応神天皇陵の礼拝所に向かう入り口です。宮内庁の管轄を現す看板がありました。
応神天皇陵は仁徳天皇陵の次に大きな古墳で古市古墳群では一番大きいです。5世紀初頭の築造で 墳丘長約425m。実はすぐ東側に先に造られたとされる二ツ塚古墳(ふたつづかこふん)があり、それを避けるように作られていました。
世界遺産の穴場エリア
入り口から中に入るとやがて応神天皇の配所が見えてきました。応神天皇陵のある古市古墳群は、仁徳天皇陵がある百舌鳥古墳群と並んで、2019年に世界遺産に登録されました。とはいえ最大の大きさを持つ仁徳天皇陵の存在感が圧倒的。
このほか堺市にある百舌鳥古墳群の古墳のほうが大きなものや量も多く、アクセスも便利なので有名です。そう言う意味においては、古市古墳群は穴場かもしれません。
応神天皇陵の場所・アクセス
画像は夕暮れ時に撮影した応神天皇陵の配所。少し幻想的な夕焼けでした。
最後に応神天皇陵へ場所・アクセスを紹介します。
住所:大阪府羽曳野市誉田
アクセス:近鉄線:古市駅、道明寺駅から徒歩20分程度
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