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私の自伝列伝 2

実は母も、子供の頃からピアノの音が好きで、ピアノが習いたかったらしいが、戦前にピアノを持っているのはある種のブルジョアで、決して貧しい家の出ではないが、学校のオルガンを触るのが精一杯だったようだ。しかし戦争が始まってしまった後は、そんな悠長な事も考えていられない世界に母も放り込まれたのである。

父は、私にピアノを習わせることに、当初から反対した。男の子は柔道か剣道を習わせた方が根性がつくといって譲らなかったそうだが、これも母が作戦をたて、ピアノを練習することが、いかに忍耐と胆力を鍛えるかを父親にうまいこと言って聞かせ、私は晴れてS先生の門下生となったのであった。

私は非常に不器用で、R君がバイエル、ハノン、チェルニーというクラシックピアノを習う上で基礎となる教本をどんどんとこなして行く傍らで、音階を弾くのがやっとという状態から長く抜け出せなかった。これは小学校2年になった頃の出来事で、R君も同級であったから、私は生まれて初めて、自分の内心に劣等感という感情を発見したと言っても良かろう。学校の勉強の成績では決して感じた事がない、何か心のひだがしおれるような感覚であった。しかしS先生は、キリスト者であり、ただ子供にピアノを教えるのが上手いだけではなく、何かしら慈悲の心をお持ちの方だった。無器用な私にいつも笑顔で丁寧に教えてくださるS先生には、同じ先生でも小学校のそれとはずいぶん隔たりがあることにも気付いていた。

ここで話が前後してしまうが、私の本格的且つ始めての、幼稚園初年の時とは比べ物にならないイタ・セクスアリス、つまり性の目覚めがどう私の身体に芽生えたかを書き記したい。

幼稚園も終わりの頃の夏、両親と大叔母、そしてその二人の子供、と言っても長男ヨウちゃん、次女美春さんとも青春真っ盛りの年という事と共に、どこだか大きい高級ホテルのプールに遊びに行ったのである。他にも親戚の誰かが居たような覚えがあるが、つまり、親戚一同で真夏の太陽が照りつける天気の良い日に泳ぎに行った。
ヨウちゃんは、ブロンズの彫刻の様な肉体を持ち、美春さんも今から考えれば美人でプロポーションも良かった。だが不思議なことにお年玉を貰う様な相手は性的な対象にはなりにくい。その事を私の三大欲を通して学んだのはその時であり、また今回の私のイタ・セクスアリスの目覚めに一役買ったのも、この美春さんが居たからこそだ。

今脳裏に浮かぶのは、美春さん以外の妙齢な女の子が大勢そのプールでキャーキャー声をあげており、子供ながらに中々壮観であたった。父は、海軍仕込みの遠泳法でプールの端から端まで行ったり来たりしてきたが、やはり息継ぎをする際に、中々悪くない、といった表情をした事を、私は子供心にもかかわらず見逃さなかった。真面目で、母に一本気な、どこか表情に石部金吉的我が父も、オトコであったのである。しかめっ面ながら周りを見回し、満更でもない様子で、途中から平泳ぎに変えた事で、私の勘が的中したことが証明された。

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