記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

でも、自家発電ばかりじゃつまらないでしょう?

「女は二度生まれる」(1961、若尾文子、川島雄三監督)の巻。(以下、ネタバレあり、敬称略)

映画って、エッチ。

売春防止法が施行され、赤線がなくなった1960年前後の東京・神楽坂で体を売って暮らしている芸無し芸者、友子を若尾文子が演じている。

「お名刺いただけません? だって、もしもって時、いい訳が利かないんですもの。恋人の名前も知らないんじゃ」
もしも、って時というのは、警察に踏み込まれた時のこと。売春容疑で検挙されるのを防ぐために名前を知っておく必要がある。

「あたし、横になって(ビール)いただいて良くって?」
客の村山聡にそう言って、うつ伏せになる彼女の、二十代後半のもっちりしたヒップにまず目を奪われる。

寿司屋の板前見習い、フランキー堺と寝た彼女は、彼の店にちょくちょく顔を出すようになる。
店の者ともなじみになり、こんな遠慮ない会話をするようになる。
板前「それより吉原がしまっちまいましたからねえ」
友子「でも、どうしてるの、その問題」
板前「ええ、我々チョンガー(独身男)は全く困りますよ」
友子「でも、自家発電ばかりじゃつまらないでしょう?」
寿司屋の従業員たちが爆笑するが、女子従業員に「何がおかしいのよ」と一喝される。
若尾文子がその湿っぽいセクシーな声で「自家発電」なんて口にするから、こっちはピンクな気分になってくる。

靖国神社に近い置き屋で暮らす彼女は、銭湯からの帰りにちょくちょくすれ違う大学生(藤巻潤)を憎からず思っている。
ある日、靖国神社に参った彼とこんな会話を交わす。
「君んとこも(合祀されているの)?」「え? いいえ、うちのお父さんもお母さんも空襲で亡くなったんです。ここへ奉(まつ)らわれる資格なんてありませんわ」

彼女が戦災孤児で、こうしなければ生きていけなかったことが、さりげなく提示される。
「資格なんてありませんわ」というセリフは、国のプロパガンダに盲従し、声を上げることを知らない、無自覚な大衆の、自覚なき諦念を表しているのではないか。

ちなみに空襲などで命を落とし、負傷した民間人に、国は何の補償もしていない。この問題は現在に至っても解決していない。空襲被害者は今も補償を求め続けている。2023年8月9日付の東京新聞が報じている。
「長い間、民間被害者には謝罪も補償もない。国が始めた戦争で、人災であることは明白。もう待てません」(全国空襲被害者連絡協議会)

フランキー堺と酉の市に出かけた彼女は人混みで痴漢に遭う。
「ひゃー、いやらしいわ。お尻触るんですもの。三度目よ」「変なのがいるからなあ。我慢しろよ」「だって、触られる身にもなってよ。気持ち悪いわよ、とっても」「じゃ、俺が先に触ってやろか」「バカ」

フランキー堺も痴漢とほぼ同レベルの品性である。
昔も今も、我慢させられるのは被害者。最近になって声を上げ、糾弾する人が増えてはきたものの、それに対するバッシングがことさらにひどい。これが人間の性(さが)と言っていたら何も解決しない。
アメリカでは『射精責任』という本が売れている。翻訳されて日本でも出版された。望まない妊娠を女に押し付ける男の無責任を追及しているという。
性加害者の逮捕が、政権に近い人物だからといって取りやめになる国がある。妊娠に限らず、痴漢、セクハラ、レイプなどにおいて「ミニスカートをはいていたからだろ」など被害者を攻撃する国がある。性(さが)というより品性が劣化したままなのが男なんだな、と愚考する次第。

あっけらかんと体を売ってきた彼女だが、遊び人の馴染客・山茶花究に箱根で置いてけぼりを食わされ、フランキー堺の入婿に驚き、愛人の建築家・山村聡の死に悲しみ、再会した藤巻潤のぺこぺこ社畜サラリーマンぶりに失望し、映画館で知り合った少年工に童貞を捨てさせると、もう男はいいや、とばかり生まれ故郷に帰っていく。
上高地の駅に立つ彼女の清々しい表情といったら。彼女の未来に光が差し始めるのではないか、と思わせるラストでした。

※参考
「わが青春のアイドル 女優ベスト150」(文春文庫、1990)




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?