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日本の子どもが幸福度が最低だったことから、日本にうずまく「闇」を勝手に紐解きたい

※大幅に修正・追記しました(9月11日)

こんにちは、みなみです。
下記記事に、ツイートを引用いただきました。

(いいね、RTしてくださった皆さん、ありがとう!)

痛いくらい、興味深いテーマ。

上記の野本さんのnote、参考になる具体的なアクションについて書かれています、ぜひ読んでね!

そんで、こちらの記事では、
❶このニュースへのモヤモヤをひもとく
❷日本の息苦しさのルーツを追い
❸「自分ができること」の視点を書く

めちゃ長文なりましたが、みなさんがこれまで日本で経験してきたモヤモヤを一緒に昇華できれば幸いです。

「日本で幸せになるってそんなカンタンじゃないよ」


先日「日本の幸福度は世界最下位」というニュースが発表されましたhttps://news.yahoo.co.jp/pickup/6370048

そして、それについてのふじむらさん野本響子さんのtweet。

「一般的な幸福度の低さについて、アレコレいっても仕方がない」
「まずは自分が幸せになり、そこから周りの人も幸せにするのが第一歩」

この論に、一ミリの批判もありません。
お二人のおっしゃる通り、草の根的にこれをやるしかありません。

正直こんな、幸福度調査とか、「幸福なんて人それぞれじゃ!」フンって鼻で笑いたくなるくらいです。

ただ一方。

日本が最下位って…なんか、マジ、当たってね…?

いまやカナダナイズされつつある、スーパーチルな自分。その背後に、ふと突然現れた「日本人みなみ」。彼女に服のすそをギュッと引っ張られ

「まず自分が幸せになる? この日本で、そんなカンタンじゃないよ」
「この国の子どもの自己肯定感の無さに対峙せず、この”闇”を語れるの?」

ささやきが。
ささやきが聴こえます…!

スーパーチルみなみも、冷静に応戦します。

自由人風情が急に何をおっしゃる…
「親になったことすら、無いくせになあ…」

でも、どこかでウッスラ。

「でも、君がいうことも、たしかに一理ある」と思ってしまったのです。

幸せになる方法は、非常にシンプル。
やれ。やるだけなんです。

でも、「平均的な日本人」がそれを実現するには、それなりの覚悟と行動力が必要で、ひっじょ~~~~~~~にハードル高めです。

「おらよっと」で、できるものではない…そんな気がします。

ダレが悪いという問題ではない。
かといって、コレが悪い!と言えるほどシンプルでもない。

すごく根深い問題。

だから、ある意味、おのおのが、問題の犯人捜しをちゃんとした方がいいと。それを自分の中でしっかり整理してかみ砕いて、今後日本のこどもにどう向き合っていくかを考えていかねばと思うのです。


ひとまず、このニュースへの私の視点

「身体的健康」では1位で、経済的にも比較的恵まれていたが、学校のいじめや家庭内の不和などを理由に幸福を感じていない実態が明らかになった。
 教育評論家の尾木直樹さんは、日本の学校現場を「いじめ地獄」と表現、偏差値偏重による受験競争過熱も相まって「子どもの自己肯定感が低く、幸福感が育たないのは必然的だ」と指摘した。
(記事より引用)https://news.yahoo.co.jp/pickup/6370048

尾木ママ!

私の論点はいじめでも、偏差値偏重でもない。
自己肯定感、ただ一点です!

いじめに関しては過去ツイしましたが(見つからず汗)
いじめは、お互いの陣地とり合戦なので、ある意味生存本能というか、もう一定の集団で活動する限り、防ぎようがなく、移動教室をわざと多くするとか、クラス制をなくすとか、集団が一つの場所に長時間滞留しないように、学校の閉鎖的なシステムごと変えるしかないというのが私の論です。

それよりも、よ。
この圧倒的低い、自己肯定感。
これこそ、どうすりゃいいのよ、と思う。

日本は「オトナも子どもも、自分のポジション(という謎のレッテル)でやるべきことを全うして、組織や他人に評価してもらうことがフツーの社会」なので、

だれかに認められなくても「オレって最高!」と肯定してあげられない、そんなことしてたら、「おまえ変な奴だな」とおもわれてしまう


【歴史的にみた日本】自己犠牲が、マジでカッコよき時代


話がそれますが!
先日、ダンナが面白いゲームをしているのを観戦し、すっかり私もハマってしましました。

ゴーストオブツシマ。PS4最後の良作になるだろうと言われている作品です。

【雑なあらすじ】
時代は鎌倉。元寇を受けた、対馬が舞台。「名誉」を重んじ、誇り高き武士として生きてきた対馬の武士、境井仁。しかし蒙古の多勢かつ非業な戦い方に、一度は生死の淵をさまよった所、盗人ゆなに命を救われる。蒙古に勝つには手段など選んでいられない…「黄泉の世界から帰ってきた”冥人”(くろうど)」という名を借り、蒙古を撃つべく再び戦場に立つ。

このゲーム中、「武士とはどうあるべきなのか」など、いわゆる武士道論が随所に出てくるんですが

唯一の身内である叔父・志村を助けた後、策略会議で境井仁と志村は意見がまっぷたつに・・・

仁は、多少汚いやり方を使ってでも、味方の無駄死にをださず、蒙古に確実に勝つ方法を模索します。

そんな仁を、志村は「殺しや狩りを楽しむ賊と同じ」と激しく非難、あくまで武士のやり方を貫き、そのためには仲間や部下の死(名誉の死)もいとわない・・・

ふむ。

こんなに昔から、「自分の死」「合理性」よりも「名誉ある生き方」「こうするべきを貫くこと」を大事とされていたんだな~と。

そして、この時代多くの人がその考えに誇りや充足感をもち、百姓さえも、身の丈に合った誓いの立て方をわきまえていたりするワケで。

平たく言うと「自己犠牲、めちゃカッコよくね?」な時代です。ある意味この時代の幸せですよ!

武士の時代が終わっても、戦争を迎え「お国のために!」

戦争が終わっても高度経済成長を迎え「日本を盛り上げろ!」

なにかと、一致団結が大好きな国。

となると、歴史上でもかなり長い時間、同じ国のもとで「ある大きな使命のために」それぞれの役割と義務を果たすべきだ、という社会風潮が強かったということですよね。

そしてその空気感だけが、現代にもスライド。

「親だから」「子どもだから」「男だから」「女だから」「先生だから」「生徒だから」「上司だから」「部下だから」と何かのポジションラベルを貼られて(もしくは自分で貼って)は、その集合体である組織(家族や学校や会社)の規律を守るべく、責務を引き受けさせられているような感じになっています。

まず、この意識が、自分の首を絞めてるんですよね。

だけど、カンタンには抗いがたく、自由人風情の私も、自己犠牲的な感動エピソードを見ると、「美しか~」とか思っちゃいます。ワンチャン、DNAにも刻み込まれてるんじゃないかな(汗)

炎天下で白球を追う甲子園の高校生たち、送りバントの名手を讃えまくってた過去の自分。思い出すとちょっぴりゾゾゾとします。

もちろん、その「自己犠牲マインド」で、チームや組織で成功をおさめ、ある種の幸せや充足感を感じられる方。それはそれでいい!

そのプレイスタイルで、かつ、きちんと結果も出せる方、日本では間違いなく絶賛されるので、超絶幸せになれちゃいそうです!

しかし。みんながそうじゃないんです。

しかも、日本もそこそこ裕福になって、命をかける戦争もない。かつては誰しも共通にもっていた「ある大きなロールモデル・使命」など完全に失いつつありますので・・・

そんな中。

「~すべき!」と言い続ける年配層。「私もそうされたから」「今のシステムを変えたくないから」と思考停止になってしまっている中間層。

一方、若年層は、ますますそのポジションを全うして何の意味があるの?と。

母はこうあるべき?嫁はこうあるべき?は、なんじゃそら?もう今のメインストリームじゃないんです、そういう生き方。自由に生きさせろ!

でも、どんなにそう思っても。

学校でも家族でも会社などの組織に一度入ると、この自己犠牲のしがらみループが意外に強すぎる。「はい、わたし、そのループ抜~けた!」ができない。

だって、長い歴史で根付いた屈強のシステムで「あ、悪いけどわたし、その世界線で生きてないから」とキッチリ線をひかないといけないからです。

これができるのは、相当ハートが強い人か、もしくは相当な切れモノだとおもうんですよね。ね、すがまり姉さん・・・。


日本の子どもに何が起こってるのか


私はカナダ在住です。

現在は、カナダから日本の子どもたちに、時々ゆるゆるっとオンライン家庭教師をしています。

https://www.manatera.com/

===「オンライン家庭教師 まなぶてらす」をちょこっと説明==

カリキュラムも、先生選びも、自分次第・無限大!
定期的に受けるもよし、時々聞きたいことだけ受けるレッスンもよし。登録無料、1コマから受講可能。バリバリの受験指導のプロから、課題や宿題のサポートレッスン、発達系のご相談もできる先生も在籍。学生講師~プロ家庭教師、また教育界以外のプロたちも在籍(弁護士さん、ライターさん、まんが原作者さん、絵描きさんなど)魅力あふれるメンツがお待ちしています。
代表が「自分の子どもに教えてほしい」思える先生のみ、採用しています!

日本でも、数年ほど対面で子どもたちに何人か勉強のサポートをしており、これまで、いろんなサバイバルスキルをもった子に出会いました。

・自分の意見をガンとして言わない子
・逆に大人の意見をそのままコピーして自信満々に話す子
・大人が期待している答えを言おうとする子

(注)これは必ずしも悪いこと!ではなく、↑で言及したシステムの中のサバイバルスキルといえます。こどもたちなりに「察する力」「自分を無にして他を意識する力」「とりあえず年上を立ててみる力」をめきめき伸ばしているのです。少なくとも日本社会のど真ん中で生き伸びるのに彼らが得てきたスキルたちであることは、事実です。

もりこさんのとても興味深いツイート。

「でもそれじゃ追い付かない」って部分、分かる気がするんです。

これから、勝手な私見を述べます。

まず第一に、もりこさんもいっていますが、日本だと子どもを一人の人として全くリスペクトしないですよね。

日本の子どもたちは、「子どもだから」という理由で侮られ、その意見や行動の価値を過小評価され、大人が自分の考えや正論で子どもの意見をねじ伏せる場面によく出合います。

「良い子」とは?

親御さんからすると躾の対象だから、ある程度は致し方ないですが、大人の考えに否定せず素直に従っている子が「良い子」。つまり、大人の言うことをよく聞いて、大人の都合よく動く子が「良い子」。

お勉強をしっかりする子が良い子?
目標に向かって努力する子が良い子?

しかし、子どもは気づいています。「その役割をこなし、しっかり勉強しても」その先に必ずしも旧来の魅力的なロールモデルや大義名分がないことにも。

自己犠牲の鑑である武士なんて当然いない、命をかけるべき戦争も、爆発的な国単位の経済成長も(今のところ)なさそうですし。今の勉強を一生懸命しても、「幸せ」になれる保証なんてどこにもない。

ただその違和感を、理論武装力がないので、説明できないだけです。


日本の子どもたちに、自分を支えるだけの「言葉の力」がない


この言葉の力の大きな欠落が、この闇を深くする理由の1つです。

日本だと、理論立てる練習や、主張をする練習を全くさせないので、子どもはただ大人の意見を「年上の人が言ったこと、尊重スベシ」と機械的に受け止めるしかなくなる。

もちろん、理屈がなくても、ガンとした「オレは間違ってない」「オレには価値がある」と思えるならそれはそれでいいですが、日本は洗脳レベルで『~すべき』の言葉が多すぎて、普通に生きてたらその洗脳ワードのシャワーを浴びまくります。ワタシ自身、それを一つ一つ理屈で否定していくことが、とても自分への助けになりました。

一部の大人には、理屈や主張をこねない子の方がとっても好都合なのですよ。やんや言われると正直、面倒なんですよね。実は大人たちも大して理論を立ててディベートする練習なんかしてないですから、理論武装されると理屈で負ける可能性があります。

だから日本で、誰も教えないのかな。理屈の立て方。ヘンに頭良くなられても困るんですよ。

そして、子どもたちが口を開いた!と思えば「自信がない」「自分なんか」「もっと~しないと・ならないといけない」と、自分の過小評価祭り。

まあ、日本だけじゃなく世界各国、子どもたちはその圧倒的な経験値の少なさから、そういう類の悩みって尽きないものです。

ただ、日本だと、大人や他人の一方的な理屈の押し付けや否定にも慣れ過ぎてしまって、自分の価値を正当化するための言葉がけや論理武装もできないもんだから、「自分なんて」と自己肯定感の低さに拍車をかけてる気もします。

ちなみに個人的に、西洋社会の教育を完コピして、小さいころからゴリゴリに論理的思考力とか批判的思考とかやってもやらんでもいいかなと。実は批判的思考って育てなくても、もともとあるんですよ。
子どもってちっちゃい時によく言いません?「なんで?なんで?」って。実はそれを否定しなければ(激ムズそうですが)、ヘイいっちょ上がり!だったりします。

「人格と意見を切り離す」とかその類も、後々SNSや多文化社会で生きたい人がサバイバルスキルとして習得すれば自分的にはOKかなと

本当、日本の子ども生きづらいってか、息もしづらいですよね。思考停止したほうがラクに生きられる・・・という思考にいくのはそのためかと思います。


自信や主張をかくす子どもたちも


実は日本にも「自分が好き、かつある程度自信を持っている子」もいないわけではないんです。いや、結構います(!)

でも、その子はそれを「必死で隠そうとする」んです。なぜか?

日本は生きづらいからです、自信や主張がある子どもは。「アイツ調子乗ってる」と言われたら、最後。集団からはじかれ、変わり者扱いです。

だから、分かってる子は、一生懸命自信や主張がないフリをする。(もたいえみちゃんも、そう言ってましたね)

自己主張を素直に出すのは気を許せるごく少数のみ、もしくは自分が組織の社会的な地位がある程度築けている場合のみ。しかも、その地位も、チームや組織のパワーバランス次第で非常に不安定になるので、本当に慎重に行動する必要がある。

でもちょっと間が悪かったり空気が読めなかったりで、「調子に乗ってる」(ホント何様なんだ、この言葉は)の餌食になるわけです。

よくも悪くも「自己犠牲文化=自分のことばかり考えること・自分の幸せを第一にするのは許せない文化」は子ども社会まで着実に下りてきています。

だからますます自分に自信をつけたいのに、シンプルにそれにシフトできない。という訳わかんない事態が起こるのかなあ・・・と。


【まとめ】自分がコツコツしてること


みなさん、、長文おつかれさまでした。

ともすると、人の幸せというか、選択権や自由を、なかなか認められない社会です。それは身内に対してもそう。

私は、こども自身の幸せは、自己肯定感(今の自分のままでも認める、価値があるという気持ち)をちょっとずつ育てていくことが先決だと思ってます。

でもそんな、大それたことできないので、私が先生として、子どもに実践していることはシンプルで

こどもに対して「もっとあなたの意見聞かせて!」の姿勢をとり続けることです。

そして、その子が無意識に自己否定を始めたら(その否定したい気持ちすら否定せず)「そうよね~」「なんかしんどいよね~」と寄り添うことです。

これが大事なんです。

自分を否定したい気持ちを否定してしまうと、「もっと前向きにならないと」とか言い出すんです。だから、絶対に120%、気持ちや思いのクセに関することは否定しません。

「そうよね~しんどいよね~」から入って、子どもが何を考えているかに注視し、その子がある程度安心してなんでも言える環境づくりをします。

私ができることは、そういう子どもが安全を感じて自由に話せる場づくりです。このファーストステップがないと、その子の言葉の力、自己肯定感、伸びないと本気で思ってます。

これで信頼関係ができてから、ようやく「なんでそう思ったん?」と一歩踏み込んで聞けるようになります。

なーんだ、そんなことか。と思われるかもですが、これが毎回神経スリスリなのですよ!

ちょうど先日同テーマのポッドキャストを撮りました。もうタイプ疲れたので、つづきはポッドキャストで・・・

その1「いかに子どもから言葉を引き出すか?」の回

0:00 オープニングトーク
3:44 どうして国語力?
11:20 「意見を言える」ことが、常に正解じゃない
17:10 指導者側がいかに生徒の「言葉」を引き出すか


その2 「消えたい」と毎日言っていた私が、言葉の力を身に付け、自己肯定感を爆上げした話

0:00 オープニングトーク
4:57 「〜すべき」「〜しなきゃ」をやめた
18:13 どうしてそう思うの?と考えるように
26:56 自分の言葉を出す前に、一度よく考える
30:25 結果、自己肯定感アップ!

その3 ことばの力で自分の思考が勝手にどんどん研ぎ澄ませていった

0:00 オープニングトーク
4:32 曖昧なことばを吟味して使えるように
8:14 他人の理解できない言動には「仮説と検証」
16:58 「自分自身」と「自分の意見」を切り離す
24:22 さいごに言いたいこと

チャンネルページ
https://www.youtube.com/channel/UCV6hicnxvUv3jHn3DEeql_g

宣伝失礼しました!


【さいごに】自己肯定感ゼロのあなたへ


子どもうんぬんではなく、まず「自分が」幸せになるにはどうしたらいいか?

「お前サイコー!」って認めてくれる人、一緒にして安心できる人をたくさん配置してください。

私は「私単独で」私自身を変え、幸せになるのは無理でした。

ポッドキャストでも言っていますが、最初は姉を頼り、その次にカウンセラーさんを頼り、自分はそんなに悪くなかったんじゃないか?と気づき始め、居心地の悪い人や環境は私の人生からどんどん退場してもらうことから始めました。

居心地のいい場所と人に、遠慮なく寄生して生きてきました。自称・幸せで明るいコジキです。

自己犠牲・周りを察してしまう悲しい性(さが)から逃れられないなら、選ぶべきは「自分の環境」一択です。

自分が「居心地のいい場所」「居心地のいいひと」絶対います。まずは、そこから離れないようにしてください。

私は現在、カナダで居心地最高ですが、日本でも最終的に居心地のいい場所を見つけて、それを実現しました。みなさん、日本でもできる可能性、十分にあります。

たぶん、日本人は環境への適応スキルの平均値がバカ高いので、周りの環境さえ変われば「自分を変える」必要がないんじゃね?と言うのが私の仮説です。

そこに入って、ただその環境の波に漂っておけば、勝手に人生の急上昇する。

批判する人とは、ウソでもいいから理由を作って、物理的、精神的距離をおきましょう。ウソをつかずに生きるより、自分の幸せの方が大事です。逃げるのです。

それが無理で今しんどすぎるなら、カウンセラーさんを頼ってください。

私はもっと身近にそういうプロの力を借りてもいいと思ってます。まずは自分の気持ちの声を整理することから始めましょう。

私もウツっぽかった昔、まずは自分の気持ちをちょっとずつ喋ることから始めました。今はおかげさまで、肯定感120%です。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

またこれを考える機会をいただけた、野本さま、ありがとうございました。感謝です。おかげでスッキリ、モヤモヤが排泄されました。

みなみ



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