ずっと小学生の彼のように。
「ずっとパワプロしてる」
そう言いながら、彼は冷めた餃子を生ビールで流し込んだ。
先日、仕事の関係で東京へ引っ越した友だちが、連休を利用して地元に帰ってきた。
「時間が合えば飲みにでも行こう」
そんなやり取りをしていたことなどすっかり忘れていたぼくは、彼から送られてきた「今どこ?何してん?」のLINEで、彼が今大阪にいることを思いだした。
LINEが来たのは、子どものゲームタイムが終わり、やっとこさぼくの番が回ってきたときのことだった。「出てこいゲンガー!君に決めた」と、嬉々としてポケモンと戯れているときだった(我が家にはスイッチが1台しかないので毎日が争奪戦)。
だから、正直に「ポケモンやってる」と彼に返信した。すると彼は、そのことに一切触れることなく、「ほな飲みに行こう」とぼくを誘った。
正直、迷った。さっきも言ったけど、やっと回ってきたところなのだ。簡単にコントローラーを手放せる心境ではない。トイストーリー3のラスト。アンディがおもちゃを譲るときと同じような感情が、ぼくの中で渦巻いた。
でも、「せっかくの機会」というコトバには十分すぎるほど当てはまる状況なのも確かだった。東京へ行ってしまった彼とは、昔みたいにいつでも会えるわけではない。
だからぼくは、そっとウッディに別れを告げたアンディのように、震える親指を何とか制御しながらスリープボタンを押し、この誘いに承諾した。
身支度を整えたぼくは、相棒のBMXにまたがり(もちろん技とかはひとつもできないエセライダー)、馴染みの中華料理屋に向けてペダルを踏んだ。
店先には、これぞ中華料理屋という、年季の入った赤い暖簾がかかっている。当然、店内もオシャレとは無縁だ。それどころか、どう転んでも綺麗とは言えない店だ。
しかし、男2人が酒を飲むのに、オシャレと綺麗は、どちらも全く必要がない。それに、店が小汚くたって、飯はとびきりにウマい。その方がぼくたちにとって、遥かに優先度が高い。以上の事情から、ぼくたちは昔からずっとこの店を愛用させてもらっている。
暖簾をくぐると、奥の座敷に陣をとり、生ビール片手に餃子をほうばりながら、すでに酒盛りをはじめている友人がいた。ぼくたちの飲み会はいつだって相手を待たない。待たれても気持ち悪い。それ以上に、お互い待つことが嫌だからだけど。
「おっす。久しぶり!元気してた?」
「元気やで。そっちは?」
どちらから声をかけたのかは覚えていない。でも、そんなことを言い合って、ぼくたちは久しぶりに対面した気がする。「とりあえず生で」ぼくは店員にそう言って、彼のいる座敷に座った。
「ずっとパワプロしてる」
彼がそう言ったのは、ビールが3杯目ぐらいに突入した頃だった。ふと、「仕事以外の時間は何やってんの?」と尋ねたぼくに対する返答がこれだった。
「うぃ~」とか「ん~」と、意味がよく分からない発声で乾杯をしたぼくたちはまず、それぞれの近況を言い合った。男の近況報告なんて、それこそ、30を超える野郎同士の近況なんて、ほとんどが仕事関連の話しだ。
今はどんな業務をしているのか。コロナの影響はどれほどあったのか。こんな上司がいてウザいとか。ぼくにとって、自分の知らない土地でがんばる彼の話は、何を聞いても新しくて、面白くて、刺激的だった。
東京に行って、彼は着々と成長しているのだなと嬉しくなった。名前を出すのは控えるけれど、彼の働く会社はとても大きな会社だ。ゆえに、このまま頑張れば、彼はめきめきと出世していくのだろうなと、男としての頼もしさを感じたりもした。
でも、同時にすこしの寂しさみたいなモノも感じた。ぼくだけ置いてけぼりにされてしまったような。自分だけが何も変わることなく、成長することもなく立ち止まったままのような。
「仕事以外の時間は何やってんの?」と聞いたのは、そんな不安にも似たモノ寂しい風が、ぼくの胸を通り抜けたときだった。
「ずっとパワプロしてる」
そう言いながら、彼は冷めた餃子を生ビールで流し込んだ。
その一言に、ぼくは思わず笑った。安堵のようなものを含んだ笑みが、自然とぼくの内側から溢れた。そんな自然な笑みが、ぼくの表情を緩んだ形にした。
「まだパワプロやってんのや。昔から好きやったけど、ホンマ好きやな。そんなに面白いの?」
「メチャクチャ面白い。知ってる?今、実況!パワフルプロ野球じゃないねんで。eBASEBALL!パワフルプロ野球なんやで!」
正直、何に興奮しているのかは分からなかった。
けれど、それほど面白いモノなんだなということは、彼の目を見れば簡単に理解することができた。
ひとは、変わる。
それはとても良いことである。と、ビジネス書や自己啓発書にもよく書いている。何なら1ページ目の1行目に書いてある本だってあるかもしれない。
歴史を振り返ってもそうだ。ひとは変わり続けてきたから、今もなおこの地で息を吸って吐いている。
ぼくたちを形作る細胞でさえ、毎日入れ替わっている。そう思えば、変化は人間の構造的な視点から見ても、とても大切なことだと言えるのではないか。
成長しようと思えば、より強く生きようと思えば、変わりつづけていくことは必要不可欠。変化とは、そういうものだと思うのだ。
でも、それでも、少しくらい変わらないものがあってもいいじゃないかとぼくは思う。母親がつくるみそ汁のように。毎日、同じ太陽が空に打ち上げられるように。そして、小学生の頃から、ずっとパワプロに愛をそそぐ彼のように。
変わり続ける「人」という物質の中にも、ひとつくらい、なにも変わることのないものがあってほしいと思う。
変わらないものを愛する。それは、物事を1ミリもまえに進ませない衝動なのかもない。今いる場所に立ち止まって、いたずらに時間を浪費する愚かな行為なのかもしれない。
それでもぼくは、変わらないものに魅力を感じる。変わらないものに触れるひとときに、心が芯から温まるような、安らぎと愛おしさを感じてしまう。
「ずっとパワプロしてる」
そう言った友人が、今後もパワプロを続けていくのかは分からない。仕事に追われて、そのことで結果的に出世して、休日も接待ゴルフで埋まって、パワプロはおろか、ゲームの話すらできなくなってしまうかもしれない。
「いやぁ最近はリザードンが強すぎるのよ」とぼくが言っても、相手にしてくれない日がくるのかもしれない。
それが悪いわけではない。それでも、たとえ出世して大金持ちになったとしても、彼のなかのどこかに、変わらない部分が少しでも残り続けてくれたら嬉しいとは思ってしまう。
「これやから田舎者は嫌いやわ」と、都会へ行った奴が必ず口にする中身のない会話にバカ笑いして、「今のパワプロは球種がクソあって全然打たれへん」とムダな情報を共有して、ふたりとも、がっつり二日酔いになるぐらい酒を煽って。
そうやって、心がめいいっぱい安らぐひとときが、これから先の人生にもあったら嬉しいなとは思ってしまう。
誰かの未来をぼくが決められる。そんな権利は1ミリだってない。それでも、そうあってほしいと願うのは、もう仕方がないことだ。
だって、そう思ってしまうのだから。思考じゃなく、頭ではどうすることもできない、感情の問題なのだから。
さすがにわがまま過ぎかな。
死後は超わがままの刑で地獄に落とされるかな。
地獄って、タバコとビールは持込できるのかな。それならまあ、地獄も悪くないけどな。
へへへ。
我に缶ビールを。