私にとって最初の「他人」は母だった。
同時に「女」という性別を意識したのも母だった。
父子家庭で育った私ですが、少なくとも幼稚園時代までは離婚していなかったので、母親との思い出もあるにはあります。
ただし全て、とても距離感が遠いのです。
もともと三歳の頃から不倫をしていた母は、当時単身赴任をしていた父がいない時、浮気相手と会う際は私を連れて行きました。車の中や商業施設、遊園地などでおとなしく座っててね、と食べ物を渡された記憶はたくさんあります。
その視線の先でサングラスをした男の人と手をつないだり寄り添ったりしている母がいて、抱き合う腕は私に向けられたことは滅多にありません。
帰り際に二人になった時、真顔で「パパには内緒ね」と毎回言う母は、まだ物心がつくかつかないかの年齢であった私ですら、「母」ではなく「女の人」でした。なので、ママと呼んでいても母親と思っていなかったように思います。
抱きしめられた記憶も本当になくて、いやでも多分赤ちゃんの頃とかはあった筈なのですが、少なくとも保育園と幼稚園時代に私は祖母と祖父と父の腕の記憶しか残ってません。家にもいなかったし、母の手料理は片手で足りる程度しか見た記憶が残ってません。
そのせいなのか、どうしても母に対して「他人」という認識を強く持っていて、いわゆる「親しい」「身内」「親」だと思えていない。
おかげで「父」という私の「親」を悲しませた人としか思えず、常に父の敵として幼少期から刻み込まれていたフシがあります。
若くて奔放で、最後まで母親になるのを嫌がり、出ていってしまった母ですが、父も祖父母も私には「ママが」「お母さんが」と悪く思うなと接していました。
「仕方ないんだよ」「本当ミナキ(仮)のことを大事に思っているんだよ」と言われたところで「へぇー…そうなんだ…」というのが私の心の本音だった。
なので全く悲しくなかったのです、母がいなくなっても。離婚しても。
寂しいとも思わず、単純に出ていったその日に「あんたはいらないからお父さんにあげる」と言われた言葉に腹がたったのも「いや、いらないのは私だわ」と咄嗟に感じたからで、むしろ父や祖父母が可哀相だ、あんなにママママ言ってたのに、って、そのことだけリフレインしていた。
生んでくれたことに感謝、したことはない。
母の日を祝ったこともない。
ここに存在している以上、母はいた。
母がいなければ私はここにいなかった。
いなくても私はよい。
いなければ父は私に縛られることなく、新しい恋をして、もっと出来の良い子供を持ち、まったく違う少なくとも今よりも素敵な未来を送ったであろう。
小学生の頃、家事をして父を待っている間や、学校でカーネーションをペーパークラフトしたり、お母さんの絵を描いたりする授業の度、ずっとずっとそう思っていた。
先生は「お父さんの絵を描いたらよいのよ」と言ったけど、私は頑として描かなかった。画用紙には「なし」と書いた。
5月になると思い出す。
母親という私にとって人生初の「他人」で、初めて「憎い」という感情を教えてくれた「他人」のことを。
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