ペンを持って字を書くことの意味
わたしは、自分の字がすきじゃない。
子供の頃から字が下手だった。ちなみに書道も苦手。とにかく自分の書いた字を人に見られるのが恥ずかしい。学校で書道の作品を展示されるのも、先生にノートを見られるのも、テストの回答用紙ですら、イヤでしょうがなかった。
自分の字がすきになれず、いつしか字を書くこと自体苦手になった。
大学生になった今、ノートは全てパソコンで取るようにしている。これは中学・高校時代、テスト期間にノートを開いたときに自分の字が嫌でノートを読む気になれなかったことが起因となっている。
「あ、この日眠かったんだな〜」とか、「この日はやる気なかったんだな〜」とか、その日の様子がまるまる字に現れるタイプだったから、日によって字が違っているのが見返していて読みづらかったんだ、確か。
大学は課題もレポートもばっちり電子化されているので、安心して課題に励むことができている。ワード、パワポ、エクセル、万歳!
そんなわたしでも唯一、ちゃんとペンを持って自分の字で書こうと思うものがある。それは手紙だ。
お世話になった人に手紙を書くときこそ、本当はパソコンで書きたい。だって、不揃いで下手っぴな字を見られたくない。ワードに文章を打ち込んで綺麗な明朝体を便箋に印刷して、そのままお渡しするのが本望だけど。
でも、印刷された文字にはなんだか温度感がない。せっかくいいことを書いていても、感謝を綴っていても、ちゃんと伝わり切らない気がするというか。あんまり上手じゃない字だとしても、手書きということに意味があると思っているから、手紙を書くときはちゃんとペンを握るようにしている。
手書き、ということにこだわらなくていい場面においてはもうとにかくデジタルに頼る。スマホ、パソコン、タブレット、彼らがいてくれるおかげで最近わたしは字を書く機会が少なくて済んでいる。綺麗だし、早いし、コピペも出来ちゃう。本当にありがたい。紙とペンを触る機会が減っているのはちょっと寂しい気もするけど。字を書くのって、本当に難しい。
ノートも、メモも、極力電子媒体で済ませてしまうわたしですが、この間久しぶりにペンを持って文字を書きました。
学校の課題で「あなたにとって”芸術”とは何か」を考えて単語カードに一枚一枚書き出す、という作業があったのだけど、
自分の中にある考えや想いを書き出す上で、手書きで文字を書くのは結構いいのかもしれない!なんだか自分の心の内が見えたように感じた。
飽きっぽいわたしが気が向いたときにたま〜に書く用の日記帳があるんですが、あれを書いているときも自分の奥底にある想いとか、不安とか、喜怒哀楽を包み隠さず記しているから、字に感情がこもっていて。
自分でも気づかないところで「手書きの文字」の良さに触れていたのかもしれない。こんなにも字を書くのが苦手なのに、日記だけはずっと手書きで書いていた理由はこれだったのかな。
紙に触れて、ペンを持って、自分の手で字を書くこと。そのことの意味というか、子供の頃は当たり前だったその行為から、大人になるにつれて忘れかけていた大切な何かを、少し思い出せたような気がする。
あと、これは余談なのですが、わたしは字が綺麗な人がすきです。ちょっとすきとかじゃなくて、超、超大好き。老若男女問わず。
自分の字を綺麗に書けないという苦手意識がここにも関係してるのかな。書いた字には人間性が出る、なんて言うけど、わたしは字が綺麗な人を見るとその人の人間性まで一気に好きになってしまいそうになる。その人のことをそこまで深く知っていなかったとしても。ちょっとあぶないな、これ。
自分にないものを持っている人は、やっぱりすごく魅力的で、尊敬できて、憧れだ。
字、綺麗になりたいなあ。この歳になってからでも綺麗に描けるようになったりするのかな。ユーキャン、はじめようかな!
最後に、わたしの2021年の目標!
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
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