見出し画像

”好き”を否定しない

好きなものを悪く言われると、怒りを通り越して悲しい。

先日、わたしが心から愛してやまないものについて友人と二人で熱弁していたとき、間から入ってきたもう一人の友人に「それの何がいいのかわからない」「時間の無駄じゃない?」と言われて心底傷ついてしまった。

「なんでそんなこと言うんだろう?」と。

楽しく話していた空間に魔が差してしまって、思わず言葉が詰まってしまった。悔しかった。言い返してやればよかったのか。いや、「そんなこと言わないでよ」って言えばよかったな。言えなかったな。

わたしはそれに時間をかけているし、時にはお金だって払う。心の軸であり、生活の一部であり、なくてはならないものだから。何度も何度も救われてきたものだから。きっと、この先もずっと好きでいるものだから。

”好きなもの”には途轍もない思い入れやエピソードなど、その人だけのバックグラウンドがある。物語がある。わたしはその物語を聞くのがすきで、「それ、詳しく聞かせて!」と深掘りしてみたりする。

アイドルが好きな友人は「友達に勧められて動画を見たら、(のちに推しとなる人物の)踊り方がどツボにハマってファンになった」といい、いつか推しくんに会うためバイトを頑張っていると話してくれた。彼女が推しくんに会えますように〜〜!と念を送っておきます。

わたしと同い年にして、莫大な数の映画を鑑賞している映画好きの友人は「映画好きが高じて、いつからか映画を作る人になりたいと思うようになった」と話してくれた。う〜〜ん、めちゃめちゃかっこいいな。最高だなあ。絶対叶えて欲しい。

二人とも、話しているときに表情がワクワクしていて、目がキラッキラに輝いていた。人の”好き”に触れると、”好き”がもたらす力は半端じゃないといつも思い知らされる。

”好き”の存在によって「これに出会ってなかったら、もしかしたら今頃死んでたかもしれない」なんてこともザラで、それに救われていまここに居たり、夢を見つけたり、知らない世界に出会ったり、新しい感情を知ったり。

その全てを他人が知る必要なんてないけど、知らないからこそ尚更、簡単に踏みにじれないということを忘れないでいたい。

そして、”好き”と言う気持ちはすごく、繊細なものだと思う。

あなたが「時間の無駄」だと一瞬で振り払ったものが、その人にとってどれだけ大きな存在で、大切なものなのか。知らないなら、知らないままでいいよ。知りたくないなら、知らないでいいよ。無理に好きになって欲しい訳じゃない。嫌いでもいい。受け入れてくれなくたっていい。

だけど、否定だけはしないで欲しかった。心から好きだという人の前で、ネガティブの塊をぶつけるなんてしないで欲しかったよ。

熱量を込めているからこそ、否定されると倍傷つく。

「好きなものをそんな風に言われたら、すごく悲しいよ。」って、あのとき伝えていれば彼女は分かってくれたのかな。

わたしは過去にも今回と似た経験をしたことがあって、その日から「人の好きなものを絶対に否定しない」ということを心に決めている。理由は本当に単純で、「自分がされた時に本気で傷ついたから」。人が嫌がることはしてはいけません、というのはまさにその通りだ。

たとえ、その人の好きなものが自分と関わりのないものであったり、苦手なものであったとしても、絶対に否定しない。その人にとってそれほど好きになれるものがあるということが、その事実が、素敵だから。

その対象が音楽でもアイドルでもアニメでも映画でも恋人でも友人でも、なんでもいい。時間と想いと、時にはお金もかけたりしながら、何かをずっと好きで居続けるということは簡単じゃない。だからこそ良い!

何かを本気で好きになることを楽しんだり、”好き”に本気で向き合って生きている人が、すごく好きだなあ。わたしもあんな風になれているのかな。

わたしもみんなに負けていられないので、ずっと自分だけの”好き”を好きでいようと思います。突き詰めます。誰に何と言われても、ね!



クリエイター活動をサポートしてくださる方を募集しています。読んでくださる方の感情を動かせるような素敵な文章を書けるように日々努力します!︎☺︎