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授業はどの国でも授業である | アイルランド留学日記 4

大学に通っていた人は、どんなように授業を受けてきたのだろうか。

「単位を落とさずギリギリまで休むのが大学生の醍醐味やん。」
「大教室での講義は内職(他の授業の課題など)ができるから楽!」
「学期末のレポートを頑張る・・・。」

私が通っていた日本の大学で、たくさんの友人からよく聞いた言葉たちだ。
(なかなか・・・不真面目、なのか、今時の大学生、なのか。)

そんな環境の中、私自身は割ときちんと授業に出席し、課題もこなしていた。
必修科目を担当していたガーナ出身の先生から、「Super student」と呼ばれたこともある。だいぶ恥ずかしいニックネームだが。


私からすれば、授業は新しい発見ができる場所だった。授業を飛んでいる友人は「もったいないことをしてるな。」と感じていた。むしろ授業が好きで、時々自分が受講していない授業に、「友人の付き添い」という謎の理由で潜り込んでいた。
(ここだけ見ると、少し怖い気もする。)

アイルランド留学でも、この「授業が好きです」感はなくなることがなかった。

授業を選ぶ上で私が押さえたポイントは2つ。

1. 英語スキルを磨く、いわば語学向上系の授業を避けること。
大学で英語専攻だったため、「英語で別の分野を学びたい。」という思いを持っていたからだ。

2. 卒業論文のテーマである「英国の女性参政権運動とメディア」に活かせる授業を選ぶこと。
卒業論文を深掘りするためにも、①メディアの働き、②ジェンダーへの固定概念、③両者の関係性、を学ぶ必要があったためである。

これらを踏まえていただいた上で、今回は私が受講していた授業4つを紹介する。

◯メディアの歴史

アイルランドとイギリスで発展してきたメディアの歴史を辿る授業である。
メディアは新聞から始まり、その後ラジオやテレビが登場してきた。
この授業では現在台頭しているメディア(InstagramやTwitter、インターネットなど)には触れず、テレビの登場と世間への浸透までを扱っていた。

授業のメインは、Webで発表される質問へ回答することであった。
授業では教授の講義を聞き、ノートを取る。そして教授は事前の質問について、生徒たちに問いかける。これで1時間。

雰囲気はというと、「できる生徒」と「その他生徒」に分かれていた。つまり、教授の問いかけに対して回答する生徒はいつも同じで、その他生徒はただそれを見ている。
今になって思うと、この構図は、なかなか日本の大学の授業に近いのではないだろうか。

◯民主主義と現代メディア研究

メディアの授業2つ目は、現代の政治や社会と、ソーシャルメディアと総括して呼ばれているTwitterやInstagram、Googleなどのプラットフォームの関係性を論じるものだった。
名前に「民主主義」と付いているのは、民主主義に重きを置く社会の中で、という意味なのだろう。社会がどのような思想に染まっているかによって、メディアの影響もまた変わってくる。


夜19時から始まる授業で、周りの留学生たちからは「なぜそんな遅い時間なの?」と不思議がられた。後から分かったが、社会人向けのカリキュラムに組み込まれている授業であったらしい。なるほど、だから日中の勤務を終えた社会人の方々が集っていたのか、と納得した。

時折かかってくる職場からの電話に出るために、一部の生徒が教室を抜け出しているのを見て、「社会人になって忙しくても学ぶ姿勢を持ち続けるのって、かっこいい。」と密かに憧れていた。


スペイン語訛りが強い教授が、プロジェクターを使ってゆっくりとメディアの仕組みを解説するというスタイルで行われていた。これも日本の授業によく似ている。

ただこの授業では、少しだが他の学生とディスカッションする時間があったため、毎度緊張していた。というのも、日本人は私ひとり、他はほとんど現地の学生か社会人だったためである。


「しっかり学ぼう!」という気風がその授業内では広がっていたので、雰囲気は明るかった。学期末にはグループでプレゼンテーションするという課題が出て、同じグループの生徒と仲良くなれたことは良い思い出だ。

◯ジェンダー研究

別キャンパスまで講義を聞きに行った唯一の授業が、このジェンダー研究である。1日に2回の講義があったため、昼食をそこのカフェテリアで食べて、図書館かスタバで過ごすのが定番だった。


1回目の授業はアイルランド出身の教授が担当し、2回目の授業はフランス出身の教授が担当していた。フランス人教授の英語の訛りがきつすぎて何を話しているのか聞き取りづらく、なかなか大変だった。

大教室で講義を聞き、成績は学期中に2回提出するレポートで評価、というスタイルは、まさしく私の日本の大学でいう「カモ授業(楽で単位を取るのがカンタンな授業)」に当てはまるかもしれない。


だが、私にとってはこの授業が最も楽しく、やりがいがあった。
文学作品や映像作品に隠れたジェンダーの固定された役割やイメージを紐解く講義は、私が卒業論文のテーマとしていた「メディアの中のジェンダー」を探る方法とリンクしていた。

授業終わり、教授(1番目の授業の方)に「『色』という要素もジェンダーの固定概念を論じる上で重要ではないか?」と質問をしに行ったこともある。話している間に、授業では触れられなかった新しい発見もできた。その日1日は、身体中わたあめになったような、ふわふわとした充実感があった。

◯言語学

最後に紹介するのは言語学。週2回朝9時から、学生寮から少し遠めの教室で行われたため、早起きも頑張った記憶がある。
(ギリギリまで寝るために、よくノーメイクで出席していた。)


英語という言語の構造を理解するこの授業は、他国からの留学生と現地の学生たちで埋め尽くされていた。
教授の講義、短めだが毎回行われる隣同士のディスカッション、2回の試験、で構成されており、雰囲気から少し日本の高校時代を思い出した。

授業内容の例として、英単語の規則性が挙げられる。
例えば「play(演奏する)」という単語に「er」を加えると「player(演奏者)」になることから、「er」は「prefix(接頭語)」に分類される。

英語を勉強してきた者にとって、今まで触れてきた言語を構造から学ぶのは面白かった。記述問題が多い試験に、「Oh, gosh…」と心の中で思ったが。

◯やっぱり、授業が好き

アイルランドの授業はいかがだっただろうか。

実際に経験してみた結果、自分が学んできた言語で新しい知識を得ることは新鮮な喜びだけでなく、私の一生の宝物となった。

一方で、日本の授業風景とアイルランドの授業風景は、わりかし似ていると思う。私にとっては良い意味で馴染みやすく、勉強と卒論を頑張ることができた環境だった。

それもそのはず、授業は世界共通で、誰もが学ぶことのできる場所だから。

今振り返ってみても、アイルランドにいた時も、日本にいる時も。
変わらないのは、私は授業が好きだということだ。

(上写真:メディアの歴史のノート。黄色ペーパーにときめいた。)

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