見出し画像

それでも私はコンビニ弁当が食べたい

人間には時折身体に合わない食材、というものがある。

私は人よりもそういったものが多い。

アレルギーとして食べられないものもあれば、アレルギーではないのにどうにも身体に合わないものがある。私にとっては、前者は生の果実、後者はコンビニ弁当やスーパーのお弁当、その他レトルト食品である。


一人暮らし、そして月に1回〜多くて3回程度学校で夜を明かし、平均的な帰宅時間は日付を超えるかどうかという大学院生の一人暮らし生活を一度思い浮かべてみて欲しい。

どうしたら毎食自炊ができようか。

そんな限界大学院生の私が食べられないものが、コンビニやスーパーの出来合いの弁当だ。これはかなり致命的である。

加えて、おにぎりやサンドイッチ、パン等も食べられない。レトルト食品やインスタント食品ですら連続しては食べられず、吐き気を催して運が悪ければそのまま体調を崩す。

まれにデパ地下ですら、身体に合わないお弁当に当たることがある。高い金を払っているのにその見返りが体調不良、というのは控えめに言って最悪以外の言葉がない。

おそらく原因は一部の保存料や着色料なのだろうと推測されるが、

これはある種、現代社会不適合者と言わざるをえない。


よくよく思い出せば、現在のように体質を自覚していない遥か昔からよくコンビニの食品を食べた直後から体調を崩していた。たまごサンド、期間限定おにぎり、からあげ弁当、サラダ、パスタ。どれも全てを食べ切れた試しがない。

現在も、フィールドワーク先で「時間がないからコンビニで各自食事を買ってください」などと言われた日には食べるものがなくなり絶望する。仕方がないので妥協案としてアンパンマンのペロペロチョコを買う20代女性が誕生する。


勘違いされそうだが、私は食事が好きだ。フィールドワーク先が決まればまずは周辺の美味しい店を調べ、一人暮らしを始めた時からたまのオフの日には周囲の店の食べ歩きを一人で粛々と楽しんでいる。時間さえあれば自炊だってする。

スーパーやコンビニで商品を眺めるのだって、大好きだ。

コンビニで並んでいる、季節を取り入れたり、有名店とコラボレーションしたりと工夫を凝らしたお弁当やおにぎり、サンドイッチ。

スーパーで並んでいるがっつりとした食材が入ったボリューム満点の美味しそうなお弁当。

日々デザインや商品が入れ替わるレトルト食品やインスタント食品。

どれも素敵ではないか。

それらがキラキラと陳列されている様子を見るのは楽しい。なんだかとても美味しく食べられるのではないかという気持ちになる。(なお、ここで買ってしまった場合、100%体調を崩す。これは恐ろしいトラップなのだ。)


そしてもう一つ悩ましいのは、この体質があまり理解されないことだ。

正直に、コンビニの食事が身体に合わなくて体調を崩してしまう、と申告すると「甘えなのではないか?」「まずいと思うから体調不良を起こすのでは?」「良いものばかり食べてきたせいでは?」といった声を頂戴する。

いや、私だって食べたいよ。

なんだよその身体に悪そうで美味しそうなご飯。


そんな雰囲気を害するようなことも言えず、とりあえず笑って受け流し、アンパンマンチョコを買う。

いつもありがとう、アンパンマン。


たまの空いた時間には、作り置きをする。ただし、その後6、7食程度は同じものを食べ続けることを覚悟しなくてはならない。一人暮らしの宿命である。

また、ご飯を何も持っていない日は、スーパーとコンビニをひたすら渡り歩き、なんとか身体が拒否しない食料を調達するイベントが始まる。

そんな時は、さくっとコンビニでお弁当を買って食べている同期が心底羨ましい。

ああ、あのパスタ、私も食べてみたい…。


もはやコンビニ弁当は私にとっての憧れなのだ。食べれないからこそ、輝いて見える。


私だって、いつかこんなご飯が食べれるのではないだろうか。

これならばもしかしたら食べれるのではないだろうか。

そんな淡い期待を胸に抱きながら、幾度も裏切られ、それでも私はきっと今日もコンビニに行く。絶対に身体が受け付けないとわかりながら、お弁当コーナーでそれらを見つめている。

そして頭のどこかで「やめておけ」とささやかれる声に仕方なく従い、大人しく家に帰り、何も入っていない冷蔵庫を儀式のように開けてみる。

連続何食か食べて飽きてきた作り置きか、何もないか。究極の二択だ。

オラ、こんな生活いやだ。


※最近はトマトや玉ねぎといった野菜をレンジに入れるとスープができることを発見したため生きるのが少し楽になった。この技はぜひ後世に語り継いでいきたい。

ありがとう、野菜。ありがとう、農家さん。

画像1