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ちいさな革命を起こすこと。

豚汁がでかいアジフライ定食なのだけど

世の中がコロナ禍になって以降、近所を出歩くことが増えた。理由は単純に都心や遠くに行きにくくなったからなのだけど、電車を避けて自転車で移動したり、細かな道を徒歩で探検するようになった。人間本来の自然な速度での移動は発見をくれる。今まで見逃していた「ご近所」の魅力に気づいた人、改めてお気に入りのお店を見つけた人も多いのではないだろうか。

ご多聞に漏れず、僕にもコロナ禍をきっかけに存在を知り、通うようになったお店がいくつかある。今回ご紹介する「ごちとん」もそのひとつ。ごちとんが普通の定食屋と違うのは主役が「豚汁」なところにある。システムは最初にメインとなる豚汁をいくつかの種類から選び、次にサブとしてアジフライやコロッケなどのおかずを選ぶというもの。ご飯はオートマティックでついてくる。そうしてできあがった定食は、明らかに「豚汁がでかいアジフライ定食」なのだけど、これは紛れもない「とん汁定食」なのだと納得させるパワーがあった。だって、名前が「とん汁定食」なのだから。

健康的な気がするとか、コスパがいいとか、そんな実利とは全く別のところで、とん汁定食には僕を引きつける魅力があった。下北沢で作業をする時の昼食に毎回この店を選んでしまうぐらいには。それは大げさに言えば、定食というとても日常に根ざした舞台において、これまで疑いようがなかった「おかずが主役」という既成概念に抗い、ちいさな革命を起こそうとする気概を感じたからだ。

コロナ禍によく通っていた「ごちとん 下北沢店」。残念ながら2023年現在は閉店

中身をガラッと変えなくても

すこし真面目な話になるが、マーケティングや広告の現場でよく使われる言葉に「戦略」がある。そう聞くと難しく捉えがちだが、要はどこにお金をかけるか、パワーをかけるか、という資源の配分である。そしてその配分を普通とは違うものにすれば、変わった企画になりやすいというのが定説だ。

前奏が8割の音楽。背景に全身全霊を注いだ絵画。炭酸が主役のハイボール。サッカーの2-4-4という超攻撃的フォーメーション。想像してみるだけで普通と違う何かが生まれる気がしないだろうか。映画とお酒の話ばかりで恐縮になるが、実際の例も枚挙にいとまない。

例えばドゥニ・ヴィルヌーブ監督の「メッセージ」は120分のほとんどが起承転結の「起」でできていて、ラストシーンが本当のスタートシーンであるような奇妙な構造を感じずにはいられなかったし、ロバート・ロドリゲス監督の「フロム・ダスク・ティル・ドーン」は普通最後の最後に持ってくる「オチ」を中盤に持ってきたがゆえ、後半の60分間ずっとオチが続くような強引な分断が記憶に残る。スティーブン・キング原作の「ミスト」があんなに救われない結末なのは、通常スポットライトの当たらない脇役の人生と主役の人生を逆転させて描いたからだという解釈もある。

中野にある中野麦酒大学は同じビールを注ぎ方の違いで飲み比べるお店。そのうちのミルコは、通常「ビール」と思われている部分と「泡」のバランスを逆転させたものだ。ジン専門店は数あれど、中目黒にあるという「トニックウォーターにこだわったジントニック専門店」はそれだけで行ってみたくなる欲をそそる(まだ行けていない)。ホッピーの「中」と「キンミヤ」は実体としてはどちらが主役だろうか。あるいは急に映画とお酒の話から離れるが、マーケターっぽくもう少し大きな潮流を語ると、近年流行しているサブスクリプションなんて概念もメーカー主体から顧客主体にScript(文脈)の比重を書き換えるというコンセプトだから、広義ではこれらの映画やお酒と同じカテゴリーにあるかもしれない。

革命とは、その語源が「Revolve(回転させる)」にあるように「何かを逆転させる」こと。ではあるのだが、平和な国の平時に暮らす人間は、そんな風にいつもパンクには生きられない。そんなとき、実は中身を劇的に変えなくても、「バランスを変える」だけで世界は変わって見えてくることに気づくと、なんだか勇気が湧いてこないだろうか。

「とん汁定食」の概念

ちいさな革命を起こすこと

広告やブランドのコンセプトを考える。誤解を恐れずに言えば僕らの商売も、日々ちいさな革命を起こすことが目標であり目的だ。二番手以降の企業がシェアを逆転させるには?寂れた場所に人を呼び込むには?つまらないと思われている行為に価値を見つけるには?普通のことを言っても仕事にならない。常に必要とされるのは何かしらの逆転や逆説。ただしそれは世間やクリエイティブの神様が求める理想であって、プロジェクトに関わる個々人の現実としては、毎回そこまでのことを求められなかったりする(だし、予算やスケジュールがそれを許さないケースも多々ある)。

そうした現実と直面とするたび、つい日和りそうになる自分にとん汁定食は問いかけてくるのだ。「普通はそうだよね?でも我々は違うんだ」「せめてバランスだけでも、今回は狂ったものにしてみようよ」と。中身は普通でいい。バランスがおかしければ、それは新しい。それだったら、スーパークリエーターじゃない自分にもできるかもしれない。とん汁定食は栄養だけじゃなく勇気をくれる。同じものづくりをする存在(?)として。とん汁定食のおかげで、今日も僕は飯が食えている。

とん汁定食の内装
問いかけてくるとん汁定食


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