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アーティゾン美術館「琳派と印象派 東西都市文化が生んだ美術」

マリアージュ、を実感したことがあるだろうか。ワインと料理のマリアージュ、と一般的にはイメージされるのだろう。この展覧会は、京・江戸とパリを軸に琳派と印象派をマリアージュしようという意欲的なものだと私は感じた。

会場に入ると、まず目の前に迫ってくるのは「洛中洛外図屏風」。単眼鏡を忘れたことを心の底から後悔した。しばらく琳派の京や江戸の図が展示され、次にポンヌフ、モンマルトルなどパリを描いた油彩が続く。ここで私たちは京・江戸・パリという3つの都市の概観を知ることになる。

次いで尾形光琳、俵屋宗達といったいった琳派ビッグネームのボリュームある展示の部屋が待っている。琳派というと絢爛な屏風の印象が強いかもしれないが、実は繊細な草花の図や水墨画もあるのだ。展示期間の短かった「蓮池水禽図」を見ることができたのは僥倖だった。

この展覧会の真骨頂とも言える部分はこの後だ。例えば「水の表現」というテーマを掲げ、琳派なら尾形光琳の「富士三壺図屏風」が、印象派ならモネの「睡蓮」が展示される。俵屋宗達の「舞楽図屏風」とドガの踊り子、セザンヌの水浴図のテーマは「間」。興味深かったのは「注文主」というテーマだ。この発想はユニークだと思う。東洋と西洋、琳派と印象派を行ったり来たりしながら、目も頭も目まぐるしく切り替わり濃密な時間が流れていく。マリアージュ、美酒に酔うような心地良い陶酔感さえ覚える程だった。

その後は、石橋財団の圧倒的な印象派コレクションが続く。これだけでも印象派展を開けるのではないかと思えるほどの充実した展示だった。これは余談だが、個人的には最近の美術展は作品数が多すぎるように感じている。一つ一つをゆっくり味わおうと思うと、こちらの気力体力が持たないのだ。単純に自分が歳を取ったせいかもしれないが。出品数を減らして、その分入場料を抑えることは難しいのだろうか。美術展への敷居の高さを和げることもできるように思うのだが、どうだろう。

最後は展示室の壁一面を使い「都市を離れて」としてセザンヌの「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」、それを挟んで鈴木其一の「富士筑波山図屏風」。六曲一双の屏風をこんな風に使うとは、と最後の最後でまたマリアージュに蕩然とさせられた。

ここから階下へ進むと全く念頭に置いていなかった「石橋財団コレクション選」が開催されていて、「おかわりしてってよ!」「もうお腹いっぱいです!」と心の中で小芝居をしてしまった。そちらはまたいつか、機会があったら書くかもしれない。

今回の「琳派と印象派」、「結局何がしたかったのかよく分からない」という感想もあるかと思う。「そもそも何で琳派と印象派なの?」と。しかし、ほぼ同時代(というにはやや幅は広いが)に世界有数の都市であった京・江戸・パリそれぞれで発展していった表現をひと所にまとめ、やや強引にでも盛り合わせて目の前に見せてくれたおかげで非常に面白い体験ができたと私は思っている。作品と作品のマリアージュ、興味が湧いた方はぜひ。デザートに古今東西の名品(石橋財団コレクション展)もついてきます。

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