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走馬灯をどれだけ彩れるか、のために日々を過ごしている気がする。
死にたいと思ったことはまだないけど、死ぬってどんなことなのかはよく考えてしまう。
なんで私は生きているのか、人生ってなんだ、人ってなんで生まれたんだ、そもそも理由なんてあるのか…みたいなね。
みんなが小さい時に考えてたようなこと、自分はいまだにずっと考え込んでしまう。
そんなこと考えてると、結局意味なんてないんだよなって結論になって全てがどうでも良くなる。
と言っても投げやりな気持ちではなく、今幸せならそれでいいよな、みんな息して二足歩行で頑張って歩いててえらいね、とか。
結局私たちは大きなよくわからない流れの中でただ波に乗っているだけのちっぽけな存在なんだなと。
だったら別に今を私らしく楽しめてたらそれでいいじゃん!と。
私なりに約30年生きてきた中の解は、いまのところそういうことらしい。
ということで私は、自分がいつ死んだとしても、ああ、この人生とても楽しいボーナスタイムだった…と思いながら、これまで経験した美しい風景や楽しい思い出とともに死ねるよう、日々を過ごしていきたいと思う。少なくとも今はそう感じる。
季節は意外と気づいたら過ぎ去ってしまうものなので、きちんと噛み締めて大切に感じていきたいと思うのです。
以前行った印象派展で思ったこと。
印象派って、その物体や景色を脳で理解するフェーズをすっとばして、見たままも表現することなんだと、個人的に解釈したのだけど
誰かが見たままの景色、それがこんなに綺麗なんだ。この人の見ている世界はこんなにも色鮮やかなんだと思って。
私自身が見てる世界も本当に綺麗で、それに心酔してるからかろうじて生きてるとこもあるかも。
なにはともあれ、今の私は
走馬灯をどれだけ彩れるかを、なんとなく心の中におきながら日々を過ごしていきたい。
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