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創作『猫と魔女の花屋』⑤

黄色のラナンキュラスと言霊

花屋の2階で少し心が落ち着いた頃、丸テーブルの向かいに座るタンゴが横の小窓越しに空を見た。
「ヒナ、ここに長居してはいけないみたいだね」
言いながら向き直る彼は、楽しい時間がお開きになる寂しさからなのか、眉尻を下げて笑った。
「今日は夕立が降りそうだよ」

天気予報では1日晴れと言っていたし、朝も、昼過ぎに店を出てここに来るときも太陽は元気だった。
タンゴの真似をして小窓をのぞくと、今も陽は下がり気味だけれど照っている。
けれどヒナは、素直に「わかりました」と頷いた。
猫が言うのであれば、きっとそうなのだろう。
コロンコロンとドアベルが鳴る。1階でブーケを依頼していたお客さんが帰っていったんだろう。
「あ、」
「どしたの?」
「ペルルさんにおつかい頼まれたんです」
すっかり忘れていた。わたしも切り花を見繕ってもらわないと。

ふわふわなチョコレートブラウンの髪を揺らして立ち上がると、タンゴは階段のほうにヒナを促す。
「それなら早いうちに決めないとね」
「はい」
そうしてヒナも席を立って歩きはじめる。
「ねえ、ヒナ。なんでかしこまった話し方なの?」
え、と彼を見上げる。ああ、なんだかいたずらっ子みたいなふうに口角が上がっているなあと思った。
「そういう気分なんです」
「ぼくと出会ったときはもっと砕けてたのに」
「それはタンゴが猫だったからですね」
うーん?とあごに指をあてて首を傾げる青年。
「ぼくは今も猫のつもりなんだけどな」
人の姿を借りてるだけでさ。
そんなことをつぶやきながら手すりに綺麗な指を乗せる。
そういうものなのか、と言葉にはせずに、ヒナは彼の後について階段を踏んだ。降りる前にちら、と見えた視界には、棚板にきれいに並ばれた新作の帽子たちがあった。


……多くの黄色い花には、あまり良い花言葉がないというのをどこかで聞いたことがあった。
花言葉というものをあんまり気にしてこなかったから、真偽はよくわからないのだけれど。
ヒナはそれでも、黄色の花びらと緑の葉のコントラストがとてもすきだ。ぱっと気持ちを明るく照らしてくれるような。
昼のいちばん高いところにあるお日様のような。

「んー、花言葉ねえ。人間ってそういう"言霊"を過信しちゃうところがあるよね」
そう話すのは、この街で「魔女」と呼ばれる花屋店主のリラだった。

ペルルから花を買ってくるように頼まれてたことを話すと、まずはジュネが訊いてきた。
「お姉さんが好きな花の色は?」
先客のために使ったリボンをしまっているリラの横で、無漂白の包紙を準備しながらこちらを見てくる少年。
彼の黒髪から見え隠れする双眸は、中心が黄緑に変化する黄色で不思議な配色だなと思った。アンバーの要素が強いけれど、中心はヘーゼルのような明るい緑。
目が合った際に色んな黄色い花を頭で連想した。嫌いな花は特にないけれど。
「黄色、の花で、ポジティブな意味の花言葉を持つものってありますか?」
なんとなく控えめに言うと、リラはリボンを持ったまま、横のジュネと一緒にぽかんとしている。自分の背後にいるタンゴからも同じ空気を感じて、すぐに「すみません」となぜか謝ってしまった。
そんなヒナに、リラは「あらあら」といったふうに笑って、それからさっきの言葉を言ったのだ。

「"言霊"ですか」
「そうだね。人は古からそういうものを大切にしてきたの。色んな物事に様々な"言霊"を取ってつけてきたんだよ」
リボンを戻す手を再び動かしながら言う。その声音にはどこか残念そうな空気もブレンドされているように、ヒナは感じた。
「花言葉もね、その花の原産地や用途、色、誰が愛したものかとか、そういうのにちなんでつけられることが多くてね」
例えば薬草に使われていた歴史がある花には「癒やし」とか「治癒」とか。赤い花には情熱や愛にちなんだ言葉が添えられるとか。
そうして片付けを終えたリラは、カウンター越しに向き直る。
「なんでかしらね、黄色い花には怖い意味が込められるっていう話はわたしもよく聞くけれど。ひとつの花には複数の"言霊"がつくものだから、嫌な意味と良い意味の言葉がどちらもつくなら良いほうを信じて欲しいのが本音よ」
そう言って、今度は無垢な笑顔になった。

「ぼくは黄色の花すきだよ〜」
無邪気に弾む声で言う黄色い目の少年。帆布のエプロンの紐を結び直してヒナの前に出ると、そのまま切り花がたくさんある場所へと手招きしてくれる。
ヒナは素直についていって、その後ろをタンゴが続く。
カウンターからリラの声がする。
「ジュネ、ヒナさんはCharlotteに飾る物を探してるから、あんまり花粉が落ちるものは避けてね」
「あ、そうなんです。でも、ユリみたいに凄く落ちやすいものじゃなければ大丈夫です」
すぐ近くに黄色い可愛いユリがあったけれど、これは多分だめだろうなと思って視線を放した。
花を選んでくれるのか張り切るジュネがかわいらしかった。マトリカリアやオンシジウム、カラーを見比べながらうーんうーんと悩む少年に、タンゴが近づいていって、寄り添うように言ってあげる。
「これとか、お前の目みたいできれいなんじゃない?」
そのひと言で、ジュネは黄色の瞳をキラキラさせてタンゴと花を交互に見ながら
「ほんとだ!そうだねえ」
間もなくして彼が、大きなガラスベースからすくい取ったのは、数本のラナンキュラスだった。


黄みがかった鮮やかな緑の茎と葉。幾重もの涼し気なレモンイエローの花びらが形作る、こんもりと丸く可憐で華やかなラナンキュラス。
その花びらの中心は葉に似た緑色をしていた。
「ほんとだ、ジュネくんみたい」
同じグラデーションで同じく丸い双眸は、ヒナのつぶやきを聞いてまたきらきらと輝きを放った。
「お姉さん、他に気になる花はある?」
「……いいえ、この花をこれくらいの花瓶に映えるくらいください」
ヒナは両手で花瓶の形をなんとなく伝える。この明るい黄色なら、店の千歳緑の花瓶にもとても合いそうだ。
ジュネが「じゃああとこれくらいかな」とか小声で言いながら束を作っていくのを、タンゴが手伝ってあげる。この花は茎が細く柔らかいから、優しく持たなきゃだめだよ、みたいなことを話していた。
ヒナはカウンターのそばで待っている。店主はジュネが用意した包紙を弄りながら、ふたりの様子を愛でるように見つめる。親の顔というのはこういうものなのかな、とヒナは考えたりした。

「メディアによって色々あるのよ」
「え?」
「花言葉の言われようのこと。黄色い花はポジティブな言葉が多いっていう記事もあるし、怖い意味合いが多いって書いてあるところもあるの」
「それは、複数の花言葉がついてるからですか」
訊くとリラは「そうだね」とため息混じりに応える。
「どのメディアを信じるか、どの"言霊"を添えるかはその人次第なの。今の時代はね」
だから、ネガティブな言葉に縛られて好きな花や物事を諦める必要はないんだよ。
リラの透明度の高い声は、花が水を与えられたときのようにすっと体に入ってくる。
「人間があまりにたくさん作りすぎた言葉たちに遊ばれずに、ヒナさんはヒナさんの『すき』を淀みなく見てほしいなって。おせっかいなお姉さんは思うよ」

それから彼女は7〜8本の同じ色のラナンキュラスを抱えたジュネからそれを受け取る。下のほうの葉はタンゴが除いてくれたようで、リラはCharlotteの花瓶を思い出しながら適度な丈に切ってくれた。
「毒っていうと大げさだけど、ラナンキュラスの切り口を触るとかぶれたりするから、手袋とかで気をつけてね」
「わかりました」
「お水はたっぷりじゃないほうがいいね、花瓶に浅く水を張って活けてね」
リラは水と希釈した栄養液を含んだコットンを切り口に巻いて、輪ゴムだと柔らかい茎が死ぬからと細いヘンプの紐で固定してくれた。
「それにしてもやっぱりきれいです」
他の花屋で見たことある同じ花より美しいと思った。そういえばラナンキュラスの季節は少し前だったような気がするけれど。やっぱり、Katarinaの花はどこか違う。
アガパンサスのときも思った。こんなにきれいな花なら、わたしだったらどんなふうに繍うだろうか。

……いつか蓋を閉ざしたまま触ることができなくなった宝箱は、引っ越してきた新しいアパルトマンのベッド下に隠してある。開けたいけれど怖い。今はまだ怖い。
けれどまた手に取ることができる日が来るのなら、そのときはこの花屋の花がいい、……。

「ヒナ」
タンゴの声にはっとして顔を上げると、目の前に薄茶の包紙にくるまれた黄色い花束があった。
リラがつくってくれたその包を受け取る。
「どうしたの、ヒナさん」
「いえ、ちょっと昔のことを思い出しちゃってただけで、」
誤魔化すように笑うと、花束の向こうで彼女はふむ、と考えるふうな表情をする。
「あの、こんなにきれいな花を見繕ってくれてありがとう、ジュネくん」
言うと、艶のある黒髪を揺らして少年はにっこり笑った。背丈の割に幼い顔がそれはもう、とても嬉しそうに。

外の自転車までの見送りはリラとタンゴがしてくれる。少年は除いた葉などの片付けを任されている。ドアを開けて外に出るときに振り返ると、ジュネはこちらにお辞儀をして、それから手を振ってくれた。
「帽子の件も、花も、ありがとうございます。ペルルさんが喜びます」
花をそっと前かごに入れて、改めて礼を伝える。重ねることができる帽子入れはコンパクトに後ろの荷台に固定している。
こちらこそ、とリラは口にしてから、帽子を被り直すヒナに告げた。
「ヒナさんの言葉で、ジュネがすごく喜んでいたでしょう。あれも"言霊"だと思わない?」
「……そうなんですか?」
潤ったガーデンの香りが鼻を通る。そういえば、水撒きをしていたらしいクロワというひとはまだ昼寝から帰ってこないんだろうか。
「あなたがさっきジュネに言ってくれた言葉は、あの子にとって良い意味の"言霊"になって伝わったんだと思う」
それから花屋の店主は、白に灰が少し混じりはじめた空の光を受けて、薄く笑った。
「ヒナさんは、どうか"言霊"に縛られすぎず、頭の片隅に置くくらいゆるく捉えてね。きっとそのほうが未来は明るいから」
まるで。まるで昔の自分の心を揺さぶるような、あの頃のわたしに手を差し伸べてくれるような、そんな声だった。
ああ、あのときにこのひとと出逢えていたらどんなに救われたことだろう。
ベッド下にひっそりと隠してある箱に心の中で「ごめんね」と告げた。


そうして彼女とは白い建物の前で別れて、脇道を通り抜けていつもの坂道に出たところまで、タンゴがついてきた。
「帽子、今度は飛ばさないようにね」
「はい、お見送りありがとうこざいます」
「こちらこそ、本来はこっちから品物を取りに伺わなきゃなのに、わざわざ届けに来てくれてありがとう」
そう言って微笑むオレンジゴールド。ヒナはやっぱりこのひとの目がとてもすきだなと思った。
「色々勉強になりました。お花のこととか……あの、リラさんて、」
「うん?」
「すごく"言霊"というものに縛られてるんですか?」
一瞬、タンゴの一重が丸く驚いたように開く。言葉をなにか探すみたいに息を止めた気がした。
「や、すみません。わたしにはとても優しく「縛られないで」って言ってくれてたけど」
何故かそれが、彼女自身にも言い聞かせているような気もして。すごく大切にしているような、すごく恐れているような。

「……うん、そうかも知れないね」
少しだけ間があった後で、タンゴは言葉を選ぶようにぽつりと落とす。
「でも、仕方のないことなんだよ。リラは魔女だから」
魔女はいわゆる魔法使いというよりは、色々な物事の力を信じて扱う。言葉もそのひとつなのだという。
それから、
「ヒナ。カタリーナって知ってる?」
タンゴが訊う。
「Katarina?ここの名前ですよね」
「そう。……すごく昔、花を育てるのが得意な女性がいたんだ。彼女の名前がカタリーナなんだよ」
彼女はある城の主で、城一帯に美しい草花を育てていたのだという。
タンゴが紡ぐ声は少しだけ悲しそうな色が混ざっていた。
「そのひとは、人々から魔女と呼ばれてしまったんだ」

かつて人々がつくり出した「魔女」という"言霊"が、当時良い意味ではなかったことをヒナも知っている。妖しく悲しい歴史があることも、詳しくはないけれどわかっている。
リラの優しい声と優しい眼差しの笑顏。その下にある心を思うと、なんだかとても寂しく苦しかった。どうしてかはわからない。
坂を上がる弱い風は、湿り気を帯びているような気がした。


さあ、今日はもう行って。雨が降る前に。
最後にそう言ったタンゴは、明るい表情に戻っていた。
坂を上りきってまた下りて、帽子が飛ばないように気をつけながら店までの道を進む。
「優しい心」という、リラの人柄のような花言葉を持つ黄色の美しい花が、自転車の前かごの中でカサカサと揺れていた。

『黄色のラナンキュラスと言霊』


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