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美しい川【タケノコ× 歩行者b× ミモザ コラボ短編】

タケノコさん歩行者bさんと私ミモザがプロットを提供し合い、私はタケノコさんのプロットをもとに短い物語を書きました。物語の後にタケノコさんのプロットを載せてあります。
あわせてお読みください。




美しい川の流れの上を、美しい風が渡ってくる
その風を受けて立っていると私の心も美しくなれそうだ
私の姿も美しくなれそうだ
私の人生も美しくなれそうだ
そうだ
この川と共にあろう
私の人生をこの川のように美しくしよう

かつて幾多の美しい詩に詠まれたこの川よ
永遠とわにあれ

* * * * *

川辺で絵を描こうと鉛筆を手にスケッチブックを広げたのに、なぜかこのような詩を書いてしまった私は、はたと考え込んで何度も小声でこの詩を読む。
目の前の川は確かに美しいが、これは私の心から現れた詩ではない。いったいどうしたことだろう?
目を閉じて川風を浴びてみる。
太陽の光の混じったきらきらした空気の流れに水音が含まれている。生き生きした町の気配まで感じられる。
私は目を開き、ふうっと長い息を吐いてみる。
何かが現れる。
小さな、手のひらよりも小さな雲が目の前に浮かび、その上に更に小さな仏様のような姿が見える。私はその雲を動かしてしまわないように息を静かにして、その小さな姿を見つめてみる。
「私は」
その仏様のような小さな姿は話し始めた。その小さな小さな声は耳を通らずに心の中に響いてくる。更によく聞こうと私は目を閉じた。
目を閉じても目の前の川が見えている。
「私は私の人生をこの川に捧げました。この川が美しい姿であることに」
心に響く声はそのように語り始め、再び目を閉じた私の脳裏に遠い日の夢のような映像が流れ始めた。
詩歌に詠まれる美しい川が、町の発展とともに汚れていく様子、それを見て嘆く人の姿、雨の日も暑い日も寒い日も川の清掃を続ける姿、だんだんと老いてゆくその姿、少しずつ手助けをする人々が増える様子、美しさを取り戻す川、それを見る老人の姿、川を楽しむ町の人々、美しい川のある景色、静かに息を引き取る老人が思いおこす川の姿…
そこで私は目を開く。目の前の川は、今みた映像の最後の川の様子につながっていた。
もう小さな雲も小さな人影もない。
ただ美しい川が流れている。

私は立ち上がり少し歩いてみる。
川に向いたベンチの横に小さな石碑があった。
『この川の浄化に一生を捧げた先生がありました
彼の残したノートにはこのように書かれていました
「私はこの川を私の想像なんかよりはるかに美しくしなければいけない。それが私の一生の使命なのだ」
彼は私たちに美しい川を残してくださいました
私たちもこの川を美しくしつづけていきましょう』
私は石碑の前で、スケッチブックに書き留めた詩を読み上げ、黙祷した。
その後で私がスケッチブックに描いた絵は、先生の祝福を受けたのであろう、私の画力以上の仕上がりになった。そこには美しい川がまるで実際に流れているかのように描きだすことが出来ていた。
絵の中、川原に一人の男性が佇んでいる。私にはそれが先生だと分かった。

(了)



タケノコさんのプロットはこちらです

恩師の先生が亡くなりました。 先生は私たちの住む町の河川の浄化活動に尽力した人でした。 先生がこの河川にやってくるまでは川はゴミや排水の影響で汚かったのです。 かつてこの河川は東洋のベニスと言われていたぐらい美しく俳人や詩人たちが川に魅了され多数の優れた文芸作品を残してきました。 しかし高度経済成長による「町おこし」ならぬ「町こわし」によって川はどんどん汚れていきました。 先生は文学に精通しており、かつてこの河川のことを書いた詩に魅せられ訪ねてこられたのです。 そこで変わり果てた河川の現状を目の当たりにしたのです。 先生は地域住民の理解と町の役所に働きかけ長い時間をかけてじっくりと地道に川の清掃をしていきました。 川は美しさを取り戻し始めていきました。 しかし先生はまだまだと言って毎日河川の清掃を高齢になっても続けていました。 先生がご病気で倒れた後も地域住民たちが交代で毎日河川を清掃していました。 先生は病床でも意識がなくなるまで河川のことを案じていました。 亡くなった後の遺品整理で先生はノートにこのようなことを書いていました。 「私の使命はこの河川を私の想像なんかよりはるかに美しくしなければいけない」

タケノコさん

タケノコさん、コラボのお誘いありがとうございました✨

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是非お読みください✨


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