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人は見たい世界を見ている

騒がしい世間からは

一歩、いや、2,3歩下がって

物事を見るようにしている


巻き込まれて中に入ってしまったら

自分がどこにいるのか

分からなくなるから


多くの人が

自分に起きることは

コントロールできない

巻き込まれてしまうのは仕方がないと思っているかもしれないが

私はそう思っていない


どんな現実を見るのか

どんな人と付き合うのか

どんな環境に身を置くのか

どんな世界で生きるのか

すべて自分で選ぶことができる


人はみんな、見たい世界を見ている

見ている人の数だけ

世界はあるんだ


若いころは

ずっと教えられてきたように

世の中には常識というものがあって

それから外れると

嫌われたり迷惑をかけたりしんどい思いをする

そう信じ込んでいた


でも

常識の範囲では育てられない息子を授かって

そのあとも

娘を二人授かって

彼らと格闘しながら

自分を形作ってきた常識が

何のためにもならず

私が愛してやまない彼らを否定することになると気づいて

苦しくて切なくて


なんで?なんで?


そんな答えのない問いを繰り返し

誰も答えはくれなくて

もがき七転八倒した私が出した答えは

「常識なんてものはない」

だった


人を縛り苦しめるような常識なら

なくていい

私にはいらない

欲しい人は守ってりゃいい

私はいらないんだ


私は常識はずれな子育てをすると決めた

常識的な子供なんて欲しくなかった

私のように縛られて苦しんでほしくなかったから


何が起ころうと

どんな世の中になろうと

自分自身を信じて生きていくたくましい人に

育ってほしいから

「常識よりも自分の感覚を信じろ」

そう思って子育てしてきた


だから必然的に

私も「常識」に頼らず

自分の感性に従って

「きっとこれがこの子にはいい」

「多分これが必要」

「こっちのほうが生き生きできる」

「これはコントロールだからいやだ」

そんなことを感じ取りながら子育てしているうちに


何が一番すごいって

私が一番変わったってこと


そして

息子がいちばん大変だったころに

何の根拠もなくふと思ったこと

「この子はきっと一人で生きていけるようになる」

という

本当に何の根拠もない思いがずっと揺るがず

彼はもうすぐ27歳

かなり個性的でできないこともあるけど

それよりもできることのほうが多く

ちゃんと自立して生活できていて

私のふとした思いは現実になった


ま、そんなこんながあって

人は自分が見たい世界を見るんだということが

私の中での真実となり

決して人にも世間にも振り回されない

自分自身が見る世界への信頼を築くことができた


だから

私も

子どもたちも

今現在、大変幸せに生きている

それぞれが

自分の好きなことを仕事にして

毎日希望をもって生き生きと生きている

自分の居場所を作り

そこでご機嫌に生きている

それが私の一番の誇りであり

それって何物にも代えがたいものだと思っている

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