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久しぶりに観た「耳をすませば」が、私の大切にしたいことを教えてくれた

ジブリパーク。大好きなジブリの世界がぎゅっと詰まった場所。みなさんがあの場所に訪れて、たくさんの作品に触れている体験を見て、どうにもジブリへの想いが溢れてしまい、私は久しぶりに「耳をすませば」を観ることにした。

ジブリの世界はもともと大好きで、幼い頃、小さな植物の前で「うーん」とうなれば明日には大きく成長しているのだと思っていたし、箒で空を飛ぶ練習をし、空の上には知らない場所や文明があるのかもと思いを馳せ、動物には噛まれても優しい瞳で接すれば心を通わせられることを信じていた。古いビデオテープを何度も巻き戻しては、そこに残された世界浸っていた。

改めて観るジブリ作品に「耳をすませば」を選んだのは、なんとも単純な話で、ジブリパークのお土産として売られていた「ビジュー缶」がとても美しくて、欲しいと思ったから。缶のデザインのモチーフたちを映像でもう一度しっかり観たいと思ったから。


「耳をすませば」を初めて観たのは中学生くらいだった気がする。鮮明には覚えていないのだけれど、当時の私は年頃の女の子らしく恋愛に夢中で、天沢聖司のかっこよさにギュンと心が引っ張られて。「いきなりプロポーズなんてロマンチック!」と、感想はそればかりだった。

きっと『「耳をすませば」観たことないんだよね』という人がいたら、「え!聖司くんかっこいいよ!!観て!!!」という勧め方をしていたと思う。でも、再びいま観て、私の心が動いたのはそこじゃなかった。

子どもでもなければ、大人でもない、中学3年生の葛藤。家族との関係性。家庭の中にある景色の美しさ。夢追い人たちのキラキラした希望と、しんどさ。作中の登場人物の恋心にうっとりするだけでなく、それと同じくらい美しい想いたちに溢れていた。


家の中の描写はどこも結構ごちゃついている

主人公の雫の家のシーンは、積み上げられた本や、台所に重ねられた洗い物と、生活感たっぷり。大人になった今、「こうなっちゃうよね、わかるなあ」と。同時に、家事よりもやりたいことがある人たちが、そして家事よりもやりたいことを応援してあげられる人たちが、集まった家なのだなあと、なんだかグッときてしまった。(あくまで勝手な解釈です。)

そして生活感たっぷりなのに、汚いとか全然思わなくて。懐かしさや、家族それぞれの欲が溢れてていいな、とか思ってしまう。緻密な設計もあるかもしれないけれど、その雑多な様子はもはや美しく感じてしまう。


雫と聖司、おじいちゃんたちのセッション

カントリーロードを劇中でセッションするこのシーン。明るくて楽しいシーンなのに、なぜか号泣する私。

歌い始め、雫(主人公の女の子)は緊張してまっすぐ立っていて、声もなんだか固くって。聖司はその横で、ちょっといじわるそうに、でも優しい瞳で、構わずバイオリンを奏で続ける。そのバイオリンの軽やかな音色に雫もだんだん和らいでいって。

そこにおじいちゃんたちが合流して、にぎやかで楽しいセッションがどんどん作り上げられていくのだけど、その頃には雫はその瞬間を、音楽を、心から楽しんで、身体でリズムを刻みながらのびやかに歌っていくのが、どんどん心を開いていく様子が感じられて、尊い瞬間に立ち会えてしまったと涙。

言葉以上に、心と心をつなぐものだな、音楽は。
私自身もジャズをしていて、セッションでの空気感やアイコンタクトが大好きなので、その体験や高揚感と重ねていた。


物語を書こうと決めた雫

そして雫は、聖司の影響もあり、自分自身の夢である「物語を書くこと」に真剣に向き合う。

「物語を書きたい」「こんなシーンを登場させたい」その思いから、雫は自分の書きたい物語を書くための知識を猛勉強します。物語を書くことだけでなく、クリエイティブなこと全般そうだなあと思うのだけど、なにか自分の理想的なものを作りたいと思ったときに、一見関係なさそうな知識が予想以上に必要になる。

雫はとても「物語」を愛していて。夏休みには30冊「物語」を読むと決めていた。でも、大好きな「物語」を書き上げるには、たくさんの「物語」を知っているだけでは足りなくて。書き上げたい「物語」に登場させるモチーフや町や歴史や自然、たくさんのことを知っていないと書けない。

デザイナーとして活動している私にも身に覚えがある体験。「デザインが好き」だから、デザイナーをしているけど、デザインするためには、作り上げるための技術や、その他の知識がたくさん必要で、「好き」のために「好きではない」部分を学ぶ必要が多々ある。(いまはその工程も含めてまるっと好きではあるのだが。)

その分野が大好きで詳しくても、作り手になったときに、自分の(こんなにもこれが大好きなのに)知識不足で悔しくなる。雫が悔しそうにしているシーンはなかったけれど、うんうん、わかるよ…と思いながら観ていた。


雫の進路を心配する家族

雫は、物語を書き上げるのに没頭して、成績を100番ほど落としてまい(中3なのに!)、家族は雫を心配する。「いま勉強より大事なものがあるなら言ってごらん」と。でも、物語を優先していることを言わない。自分の中での挑戦だから。

そんな中で、雫の覚悟を感じ取ったお父さんの言葉。

「自分の信じる通りやってごらん。 でもな、人と違う生き方はそれなりにしんどいぞ。」

勉強しなさいというのでもなく、ただただ背中を押すのでもなく、しんどさはあるけど頑張りなさいという、愛情たっぷりの言葉。信頼と愛情が、この台詞にぎゅっと込められていて。

多くの人が歩いた道と同じ道に行くのは、決して簡単とは言えないけれど、それでも仲間がいたり、先に道を作った人がいたりする。

でも、人と違う道を歩もうとしたら、そうは行かない。共に歩む仲間は圧倒的に少ないし、時には先人がいない道を一人で切り開かなければいけないときだってある。しんどい。

お父さんは「しんどいぞ」と言った。「大変だぞ」とか「難しいぞ」とか、その生き方への評価ではなくて、雫自身に対しての言葉。表現が難しいけど、脅威を提示するのではなくて、「あなたはきっと乗り越えられるけど、覚悟がいるよ」っていう、信頼と愛情を感じるのだ。


物語を書き終え、おじいちゃんに読んでもらった雫

そうして書き上げた物語を、聖司のおじいちゃんのところに持っていくのだが、雫は自分の書きたい想いをうまくまとめ上げられなかったことに号泣してしまう。

それを聞いて「荒々しくて、とても素敵な原石を見させてもらった」と、声をかけるおじいちゃん。原石だから、これから磨いていく必要があるという時にも、「そのままでも十分私は好きだけど」と言ってくれるのも、あたたかい。

このあたたかいやり取りも好きなのだけど、その後にお手製の鍋焼きうどんを食べるシーンがすごく好き。たくさん泣いた後に、このあたたかい料理が、じんわり雫のおなかや喉を温めて身体と心に染み渡っていく様子。その前に冬のツンとした冷たい空気をバルコニーで感じるシーンがあったので、よりあたたかさが際立っていて。

このシーンの鍋焼きうどんは、ジブリ飯として有名かと言われると、そんなこともない気がする。けれど、雫に手をやさしく差し伸べて、また前に進む活力を与えてくれる料理で、とっても大事な存在。


有名な自転車のシーン。このジャケットがジブリパークで着れるらしい!?

大人になって、フリーランスとして少し人とは違う道を歩んでいる私にとって、何気ないきっかけで観た「耳をすませば」は、これから大切にしたいことを改めて心に刻んでくれた。

雫のように、これからも真剣に夢を追いたいし、そのしんどさとも向き合いたい。
彼女のお父さんみたいに、愛情と信頼を持って人と関わりたい。
大事な人が立ち止まったとき、一緒にあたたかい料理を囲んで優しくそばにいたい。

今なにか、しんどいことと向き合って、未来に向かって頑張っている人。大切な人をもっと大切にしたいと思っている人。恋をしている人。子どもとの向き合い方を考えている人。それ以外の人も、ぜひ「耳をすませば」を観てみてほしい。

きっと、あなたの中のこれから大切にしたいことが、作中にあると思うから。

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