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最近の“ヲタ活”

こんにちは。
突然ですが、みなさんは“ヲタク”ですか?
それとも“ヲタクをするほど何かに没頭していない”ですか?

“ヲタク”という単語には深い歴史があり、
私が中学生の時は『ヲタク=2次元が好きなだいぶ変わった人』とマイナスなイメージを持たれていましたが、
今では捉え方が180度変わって
本来の意味である『何かを愛好している人』と使われて
ここ数年ではプラスのイメージで“ヲタク”という単語が使われていると感じています。
『ヲタ活』『推し活』『推し事』など
そういった単語が老若男女問わず使われているのが、その証拠だと思います。

かく言う私もヲタクです。
なんのヲタクかと言うと
ディズニーヲタク、アニメヲタク、ネット音楽ヲタク、ゲームヲタク、漫画ヲタク、洋画ヲタク、ボカロヲタク、海外俳優ヲタク、海外ドラマヲタク、歌い手ヲタク、建築ヲタク、旅ヲタク、猫ヲタク、同人音楽ヲタク、
と言ったところでしょうか。
ヲタクと書きすぎてNieRも驚くほどゲシュタルト崩壊しています。

14のヲタクをしていると、かなり忙しいです。
仕事と睡眠以外の時間は、何かしらしている。
つまり毎日毎週毎月『ヲタ活』をしている…

と思っていました。
『ヲタ活をしていると思ってた』のですが、
どうやら私の活動は『ヲタクじゃない』らしい
というのを最近発見したので、
遺したいと思います。

  • みんな持っている『チェキ』と『ぬいぐるみ』

基本的に『作品そのものを楽しむヲタク』なので
私はグッズを買う習慣がありませんでした。
原作を読む・見る、実物を楽しむ、など
そういうヲタクで、それを『ヲタ活』と呼ぶ
と思っていました。

昔はいったい何をもって『ヲタ活をしている』と言えるかわかりませんが
最近目立っているな、と思うのが

なんでもチェキ風カードを出す

なんでもぬいぐるみになる

ディズニーのキャラクターがぬいぐるみになるのはある意味“宿命”だと思うので
逆にぬいぐるみにならないディズニーのキャラクターがいたら
それはそれとして驚くのですが、
最近特に驚いたのは、某波紋やスタンドを使って奇妙な冒険を繰り広げる作品のキャラクターのぬいぐるみ、しかもデフォルメで。
魂を抜かれた彼ならわかるのですが、
主要キャラはもれなくぬいぐるみになっているのを知って驚いています。

また、最近笑ったのは
ただいま劇場版が絶賛公開中の国民的人気見た目は子供の頭脳は高校生な名探偵のキャラクターのチェキがとある雑誌の付録についていたことです。
主人公やヒロインのチェキならわかります。年齢的にも世界観的にも、チェキは撮りそうですよね。
しかし、そこにあったのは黒ずくめの組織の大幹部のチェキ。
彼の姿を残したカメラマンは、もうこの世にはいないー

SNSや民放のニュースでヲタ活の様子を見ると
透明なスマホケースの裏にはチェキ風カードが差し込まれてて
みんなぬいぐるみを持っている。

別にそれが悪いと言いたいわけではなく
節操ないなかわいいなと思いました。

  • 同じ絵柄の缶バッジ(大量)の痛バ

これはもう数年前からアイドル系2次元コンテンツが流れを作っていますが
これも不思議だなぁ…と思っています。

私はどうしても「色んな絵柄のキャラクターが見たい」と思ってしまい
最近のヲタ活で覇権を握っている同じ種類の缶バッジで埋め尽くされた痛バを作れる気がしないのです。

これも悪いと言いたいわけではなくて
純粋に「よく集めたな…すごいな…」と思っています。
どうやって集めるんですか?
交換だとしても1つ作るのにどれくらいの取引をするのだろう

  • 生誕祭でよく見る、どこかのホテルのスイートルームの一室に、机に並べられた缶バッジとアクリルスタンドとバルーンとあとなんだっけ、なんかとにかくものすごい情報量がある生誕祭の写真

Twitterで『# 〇〇生誕祭2023』というタグを追うたびに出てくる
高級そうな部屋の一室で撮られたであろう
推しをコンセプトとしたデコレーションをしたデスクの上とソファに座っているファンであろう人の写真。

これも悪いと言いたいわけではなくて
むしろ一度でも良いから私も推しの誕生日を
推しイメージのケーキを頼んで、高級ホテルのスイートルームに推しのグッズを並べて、背景にバルーンで英文字で名前なんか飾ったりして、自分も可愛い服を着て、ちょっと恥ずかしそうに俯いて顔は見せない、そういう写真でお祝いしてみたいですよ。
どうやるんですか?何から始めれば良いんですか?

でもそうなったら私には『推しと定義できる』キャラクターや人物が30人くらいいるので
毎週生誕祭になります。財布が追いつかない。


ここまで、「今の推し活、面白いな〜」という所感を書いてきました。
本当に、色んな意味で選択肢が増えて良い時代になったな、と思います。

それと同時に、「なんで?」と思うことも増えました。

例えば、知人Aとアニメイトに行った時。
知人Aと一緒にグッズコーナーを見てたら
そこに私が最近推している3人組がデフォルメされたステッカーが売られてました。
私はその3人が一緒にいる所が大好きなので、思わず3人それぞれのステッカーをカゴに入れました。
しかしその3人組は、別の2人を加えると5人組のユニットになり
当然別の2人組のステッカーも売られてました。(厳密に言うとそのうち1人は"卒業"してしまったので実際に売られていたのは1人でした)
私は逆に別の2人についてはよく知らないのでスルーしてたら
知人Aが「ねえ、2人のほうも買うでしょ?」と、勝手に欲しくもない2人のステッカーをカゴに入れられました。
私は「いや、私その2人よく知らなくて…」とやんわりスルーしようとしても
知人Aは「買わないの?買うでしょ??」と勧めてきました。

なんで知らない人のグッズを買わないといけないの?

例えば、知人Bとのラインで。
突然、『〇〇の香水、買った?』とラインが来ました。
私は、香水の存在も知っていたし発売日も知っていたし、買う予定でしたが、欲しい種類が複数あったので給料が入るまで買わない予定だったので
「これから買おうと思います!」と返事をしました。
そしたら知人Bは、「私は〇〇(同じキャラ)の香水3つ買った(ドヤ顔のスタンプ)」と返ってきました。

…………だから?????

例えば、知人Cは
「〇〇が大好きだからボイスも全部買ってるし缶バッジも〇〇個積んだしCDも〇〇枚積んだし、こんなに推し活してるのに“コスプレしてないから〇〇を愛してない”って言われるのは嫌だ。」と言っていました。

もしかして、今の推し活は物量が正義なんですか?

推しのぬいぐるみやアクリルスタンドやチェキを持っているのは当たり前。
推しなら同じ缶バッジで痛バ作るのがステータス。
推しが絡んでいるなら知らないキャラでも自分が苦手なキャラでも好きであるべき。
推しのグッズを何個持っているという報告。
推しのグッズを発売初日に買ったという報告。
そのような情報で溢れかえっているSNSじゃないですか?最近。
先程私は『選択肢が増えて良い時代になったな』と思っていました。
実際に現在の社会も“多様性を認めよう”、“多様性になろう”としています。
一昔前のアニメイトのグッズコーナーは閑散としていました。
今は物資も充実しすぎて、種類も潤沢で、時には「これもグッズになるんだ?!」と驚かされるばかりで
そういう変化も楽しんでいます。

でも「推しているならこれをやれ」と無言の圧力をかけられている気がします。
正直言って怖いです。
『多様性のほうが良い』と言っている人ほど、実際やっていることは周りと同じだったりするんですよね。でもそれは人間の動物的本能からくる行動だと考えるので、否定はできません。
自然に対して弱い人間は、群れを作ること、つまり集団行動をしていかないと生き残れない動物なので、最終的には同調圧力からは逃れられないんだなと思いました。
そういう“同調圧力”から、私は「〇〇推しなんだよね」と素直に言えなくなり
逆に「〇〇を推しているから、今のヲタクに擬態する」ために、とある推しのチェキ風カードをスマホの裏に仕込んで、ぬいぐるみを買っている、そういうアプローチの仕方もしています。

ここまで思ったことを書いてきましたが、
結論、「想いの数だけ"推し方"はある。」と思いたいです。
”私は○○を推している”という”真実は一つ”ですが、推しへの愛の形は多様でありたいです。

貴方のその"布教"、"命令"になって誰かを脅かしていませんか?




完全な推し方なんて、ゼロなんですよ


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