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日記 話せない祖母と花

祖母のお見舞いに行った。
つい2ヶ月前まで元気だったのに。

いつも電話では取り止めのなさすぎる同じような話ばかり何度もしてきていた。

医者から出された薬は飲まないのに健康食品や民間療法には誰よりも詳しくあろうとして、古くは紅茶キノコから、お灸のDVDまで揃えて勧めてきた。

そんな祖母が、些細なことで体調を崩してしまい、それを引きずって話すこともままならなくなっている。

これが「老衰」というものか、と納得する。

どこかがはっきりと悪いわけではないけど様々な問題があり、総合的に状態が良くない。

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先月、祖母の具合が悪いというのでドライフラワーを送った。

それに祖母はひどく感激してくれて、電話で「ほんとうにいいセンスのお花を、ほんとうにありがとう。」と小さい声で何度も言った。

それが祖母との最後と会話。
今日お見舞いに行った時には会話ができなくなっていた。

わたしは、後悔したくないと思っていた。
以前身内を亡くしてから、近しい人が亡くなる前には出来る限りのことをして、自分の後悔をゼロに近くしようと思っていた。

祖母は、
「〇〇ちゃんにもらったお花、こんなに綺麗で、嬉し過ぎて飾ってあると悲しくなってしまうから、外して。」
と言ったらしい。

実際、今日お見舞いに行ったら何もない薄暗い部屋の角に寂しく飾ってあって、少し笑ってしまった。愛が偏屈すぎる。

「あぁ、こういう”無償の愛”というものをこれから次々と失ってゆくんだな」

と寂しくなった。

人は、生まれてから人として出来ることがどんどん増えて、それが当たり前として誰にも褒めてもらえなくなる。
そこからまた一つずつできなくなっていって、最後にいちばん必要なものだけ残るんじゃないか。

話せなくなった祖母は、ご飯はこぼすしトイレも行けないけど、
すごく可愛らしくて神々しい。

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この前読んだ、よしながふみさんの「彼は花園で夢を見る」という漫画を思い出した。
若く美しい主人公は愛する人を失い、また少し立ち直り新しく愛する人ができたらまた失う。その繰り返しに「どうしても慣れることができない」と毎回涙を流し、ついには投身自殺をする。
しかし、その自殺は失敗に終わり腰を打つだけ、という情けない結果に終わる。

最後は、年老いた主人公がこどもに見守られ居眠りをしているページで幕を閉じる。

その姿につい涙が出てしまった。

若い頃の美しさも、身を投げるほどの悲しいという感情も、時が経つにつれてその激しさは薄れてゆく。

そして最後には、ただ素朴で穏やかな生活が訪れる。

わたしがおじいちゃん、おばあちゃんが全般的に好きなのは、この「穏やかさ」だ。勿論穏やかでない人もいるけれど…。

今わたしが感じるこの、心が破れるほど悲しい、悔しい、そんな感情も、いつかそれがあったことも忘れてしまうくらい、穏やかな時が訪れる。

できるだけ沢山会いに行って、祖母もわたしも後悔のないようにしよう。そうして、いまの一番美しい祖母を、目に焼き付けておきたい。



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