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捨てることの苦悩

苦手だ。
粗大ごみを出すのが、である。

お金を払ってシールを買い、そのシールを貼って表に出しておけば、回収しに来てくれるのだが、処理場まで自力で運べば無料なので、車に乗せられるものは搬入することにしている。
しかし、この「粗大ごみの搬入」が私は大の苦手なのである。

粗大ごみの搬入がなぜ苦手かと言うと、一言でいえば、「かわいそう」になるからだ。
さっきまで自宅で我が家の一員として存在感を保っていた物が、処理場についたとたん、ゴミとして扱われる。
それが何ともかわいそうになってしまうからである。

車から降ろした途端、職員の人にガシッとわしづかみにされ、あるいは引きずられ、他のごみの山に放り込まれる様子を見るのがつらい。
そして、悪いことに、遠ざかる時、バックミラーで捨てられたその粗大ごみをもう一度確認してしまう。
他のごみたちと一緒くたになっている我が家の粗大ごみが目に入ると、なんだかかわいそうで泣きたい気持ちに襲われるのだ。

粗大ごみというくらいだから、もう不要のもの、壊れたものばかりなのだけれど、いざ処理場につくと、「ホントに要らないの?ホントに捨てちゃっていいの?もう二度と会えないよ?」という思いが沸き上がる。
「今まで使ってきた我が家の一員を置き去りにした」という気持ちになってしまうのだ。

先日、布団を買いなおしたので古い布団を粗大ごみに出した。
もう乗らなくなって放置したままだった子供用自転車もついでに出した。

布団は結婚した時に実家の親が買ってくれたお高い敷布団だ。いくらお高い布団でも、十数年も使ったので弾力もなくなり、寝ていると背中と腰があまりに痛いのでついに買い替えることにしたのだ。
そして、子供用自転車は、補助輪なしで初めて子供が乗った可愛い自転車だ。練習に練習を重ねて初めて乗れるようになった補助輪なしの自転車。小さかった頃の子どものことが頭に浮かぶ。

ダメだ!
かわいそすぎる。

でも、捨てないわけにはいかない。
いつもは主人に頼むのだけれど、先週も雨で捨てに行けなかったし、先々週も目医者さんの予約があるからと言って捨てに行ってもらえなかった。
もう、早く捨てないと布団が邪魔でしょうがない。
そこまで考えて、「もう使えないし、やっぱり邪魔なんだよねェ」ということに改めて思い至る。

そして、意を決して処理場にいざ入場!
いつもは到着したとたん、職員の方がササっと寄ってきて車から手早く降ろしてくれるのだが、今回は「車から降ろす時に車に傷をつけられたと文句を言う方がいるので」という理由で自分で自転車を降ろすことに。
職員の方が複数見守る中、さっさと降ろさねばという気持ちと、別れを惜しみたい気持ちが交錯して胸が詰まる。

何とか降ろした途端に職員の方がガシッとつかんで…。もう見ない。これ以上どこに持っていかれるのか、どんな扱いをされるのか、もう見ない。そう決めて車に乗り込んだものの、やっぱりバックミラーで確認してしまう私。
ああ、他の自転車と共にフェンスに立てかけられている我が家の自転車が見える。
もう、気分はさながら、子どもを置き去りにする親のようである。

さて、今度は布団だ。
布団はゴミ収集車が待ち構えている場所に車をつけ、これまた待ち構えている職員の方に手渡しで渡す。
いつも燃えるゴミを収集してくれるあの収集車の大きな口に、我が家の思い出の敷布団が放り込まれる。そしてスイッチが入れられると布団が収集車のお腹の中に…。
私は無言で、なるべくそれも見ないように車に乗りこんで、アクセルを踏んだ。

帰ってくると、邪魔だった布団がなくなり、自転車置き場もすっきり。
「これでよかったのだ」「こうするほかなかった」などと自分に言い聞かせる。

そして、今日は下駄箱の中でも片付けようと思い立ち、扉を開けると、そこには主人のもうはかなくなった、いや、はけなくなった古い革靴が…。
これは捨てねばならぬ。だって、インソールがすり減って靴底が上から見えてるんだから。多分、主人は「捨てたくない」というだろうけど。
(主人の靴への愛についてはこちらの記事をどうぞ)

こんどは主人が子どもを置き去りにする気持ちになる番である。


最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!