見出し画像

自分へのご褒美。どうしてるかなぁと考えている今日のこのごろ。 その2

このネタで書きたいことが鬼のようにあるわけじゃなくて、

毎日書き続けるって大変だな、をいっ!
ってなっているため、昨日のカレーに水とめんつゆ足して、
カレーうどんにしてみる作戦と同じです。
ネギも足したら、まるで計画的なメニューにみえるだろってことで、
昨日、その1にしておいたので、今日その2。素晴らしい作戦です。


さて、ご褒美談義。なんてったってその2だからね。

昨日、母のことを書きましたが、
母に、自分にご褒美をしてあげて
という提案をしてくれたのは、心療内科の先生だったことだけは確か。
そして、母はその言葉に、ものすごく救われていたことも。


もしかしたら、母が自分にしたご褒美は、ワタシが想像した贅沢なモノではなく、自分を褒めてあげるとか、自分を認めてあげるとか、
そういうことだったのかもしれない。


ワタシも父も、母にあまり

ありがとう

って言わなかった。母のがんばりはいつだって当たり前だと思っていた。
母が私たちを心配してオセッカイするのも、
家のことすべてがバランスよく整っていることも、
母が楽しそうにご機嫌よく暮らしていることも。

「お母さんのおかげで、この家が潤っている」って実感してたわりに、
そのことにちゃんと感謝してなかった。

尊敬だってすごくしていたし、お見事って思っていた。
だけど照れもあったし、家族なのに褒め合うなんて嘘っぽいって思ってたし、なにより、あまり本心を語ったりし合わない家族だったから、お礼を伝えるという大事なことを、しないように暮らすことに慣れ切っていた。

ワタシの本心の中には、親に対していつだって、毒☠とか苦みが含まれていて、だからあまり吐き出したくなかった。


そんなワタシなんだけど、うちの子供たちは、世代が違うからなのか
性質の違いからなのか、

ママ、ありがとね。
とか
ママのこと尊敬してるよぉ。
とか、
ママってママだよねぇ。それでいいんだよ。
とか、ビックリするほどそういうことを、さらりと日常の時間の中で伝えてくれる。

悟り世代、という世代らしいので、きっとブームなのかもしれないw
それでも、ワタシにはとてもありがたいブームだ。

その言葉が支えになってるのは、本当にあるんだろうと思う。
で、いい具合に自惚れて、

じゃ、ってことで、ご褒美にいっとく??

って、ワタシはしなやかに、欲しいものをさらっと手にしているのだろうw

想いももらい、ものも手にし、ワタシはご褒美上手に暮らしていそうだなぁ、となんだか、ちょっとおかしくなった。


久しぶりに母に、ありがとうって言いながら、お線香をあげよう。

クリスマス直前、アドベントカレンダーを埋めていこうイベントに参加しています。
3人でこのカレンダーをめくるように、書き埋めていくのです。

みなさまも、クリスマスカウントダウン楽しんでくださいね!!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?