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ミッフィーはおともだち(耳男とは何者なのか?)①

僕のペンネームは耳男(みみお)である。これはだいたい20代のはじめぐらいに決まった。

僕が創作活動を始めたきっかけは一番には小学校の時、文集を作るのにクラスの生徒に文章を書かせるよう指導した先生がいたからだ。それでたくさん文章を書いたのだが、先生がよいものをピックアップして、ガリ版で印刷していらっしゃった。たしか小学校2年生の時だ。

それで選ばれるように僕は頑張って書いた。実際いくつか選ばれた。それがとてもうれしかった。

同時に小学校の頃は特にマンガの本をたくさん読んだ。藤子先生のマンガを中心として。コロコロコミックは創刊号から毎月買っていて、本棚がそれでいっぱいだった。

また、大人が読むような小説も読んでいた。特に歴史が好きだったので、本屋に行って歴史小説の文庫本を選んで買ってきた。

その最初がおそらく小学校4年ぐらいだったと思うが定かではない。一番最初に買ったのは、新田次郎の『武田信玄』ではなかっただろうか。

その本は結構最初から大人チックな表現もたくさんあって、えげつない印象もあったが、なんとか最後まで読み通したと思う。

他にも戦国武将の小説を読んだと思うのだが、忘れてしまった。大河ドラマの原作小説の『おんな太閤記』も読んだ。

他にも小説やムーミンシリーズの本とか、偉人の伝記マンガとかいろいろ読んだと思うのだが、さすがに昔のことすぎて、詳細は忘れてしまった。

なぜか家族の中で僕だけが本を読む習慣があった。父も母も妹もほとんど本を読まないのに。これはなぜなんだろう。

だから創作活動をしても、本で読んだいろいろな表現を少し使えるようになっていた。

小学校6年生の時、学校の宿題で、『生い立ちの記』というものを書く機会があった。それまでの人生を振り返って、作文として50枚だったか100枚だったか書くというものだった。それも自分なりには一生懸命書いた覚えがある。

中学生になると、僕は自分の中で勝手に決まりごとを作っていた。それはマンガを読むのはもう止めにして、普通の本を読むということだ。誰に強制されるわけでもなく、中学生になったらそうしようと勝手に決めていた。

それで中学生になって、まず読んだのが、おそらく川端康成の『伊豆の踊子』だったと思う。これは感動した記憶があった。

あとは芥川龍之介の短編をいくつか読んだ。『地獄変』とか『羅生門』とか。独特の世界だったが、短編だったし、何とか読めた。

また、中学1年の時に、母方のおじいさんと母と僕で北大路欣也主演の『空海』という映画を観た。それでその映画に感動して、僕は中学2年生の夏休みの一研究として、『空海と密教について』という研究をした。

それはいろいろと空海に関する文献を集めてきて、空海の生涯と功績と思想をまとめるというものだった。多少自分なりの考えも交えてファイル1冊分の文章を書いた。

今、考えると、ただまとめただけだったなあと思うのでが、当時としてはそのような研究をしている人は誰もいなかった。

また、中学2年の頃から佐野元春や尾崎豊などの影響を受けはじめ、特に中学3年生の頃から少しずつ詩のようなものを書くようになっていった。

決定的だったのは、佐野元春さんの『Electric Garden』という絵や写真などのアート、詩編、ポエムリーディングが一体となったカセットブックに出会った時だ。

この本との出会いによって、僕は自由に表現してもよいのだという免罪符を与えられたような気持ちになった。

それで学校で書くような作文の中でも少しずつ自分の個性を出して表現するようになっていった。

また、前後するが、小学校6年の時に、母方のおばあさんが亡くなったのをきっかけに、『般若心経』を暗唱したり、中学3年の時には、早朝のラジオ番組を聴いたのをきっかけに『聖書』を手に入れたりして、いろいろと精神的な世界や宗教的な世界に興味を深めていった。

また、中学3年生の最後の文集には、父親の話の中でも触れた、『こうもり』の話を書き、その後、1ページ余ったので、尾崎豊の『僕が僕であるために』の歌詞を全文書いた。

その頃にはこれも音楽雑誌の中での佐野元春さんのインタビューなどから、中原中也や立原道造、高村光太郎などの詩をはじめ、現代詩やアメリカのビート詩人の詩も少し読むようになっていた。

高校1年は県下で一番の公立高校に入学し、周りがみんな勉強が出来ることに驚いたのだが、なぜか文章だけは彼らにも負けないということがわかった。それで僕は「小論文の澤田」と言われるようになった。

高校1年で部活を辞めた後、高校2年の時はいつも6人のグループでつるんでいたが、そのグループで、当時誰も部員がいなかった文芸部に入部し、学校に対する不満や短編小説や詩などを書いて、学校に配ろうとした。

そして僕は部長となった。学校に対する不満は配れないということで、生徒指導部長と話し合ったが、嫌なら辞めろということで、辞めるほどではないので、多少妥協して、冊子を作り、学校の全クラスに配布した。

その時の僕のペンネームは、「みるくきゃんでぃー」と「God wanna Rock」だった。

詩を書く時は「みるくきゃんでぃー」。これは当時好きだった戸川純とヤプーズのアルバム、『ヤプーズ計画』の中の「ロリータ108号」という曲の歌詞の中に出てくる「エネルギーはミルクキャンディー」という歌詞にインスピレーションを得たものだ。

また、短編小説を書く時のペンネーム、「God wanna Rock」は当時人気のあった、ブライアン・アダムスの「Kids wanna Rock」という曲にインスパイヤーされたものだ。

ちなみに当時の小説は全くたいしたことはなかったが、詩はおそらく今読んでも面白いものだったと記憶している。が、どこかに行ってしまったので、時間があれば、探してみたいとは思う。

つづく


読んでいただきまして、心から感謝いたします。また、次回お会いできたらうれしいです。ではまた。

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