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発達障害ではないけれど【グレーゾーンの人たちの葛藤】

発達障害ブームはまだまだ続いていて、
あの人は、そして自分は?もしかして発達なのかグレーなのか、
気になっている方は少なからずいると思います。
私も実は、そのグレーと呼ばれるに値すると自覚があります。

幼少期からさかのぼると、
未だに続いている、自分でもどうしてこうなってしまうんだろう・・・
という、謎の特性があり。

少しだけ例をあげると、

・失くしもの忘れもの、うっかりミスが多い(対策してもうまくいかない)
・家電に過敏(わずかな光や音が気になる)
・時間の感覚がよわい(遅れないことにエネルギーを使う)
・みんながわかる話がよくわからないことがある(目からの情報もほしい)

自分の話で大変恐縮ですが、
私のように小さい頃から、ADHDの傾向があり、
たんに元気な子の扱いですまされていた子が、
本当は人と違って困っていたけれど、
なんとか平気なふりして学生時代をやり過ごしてきた方って、
けっこういるのだと思っています。

発達障害の診断はないので、
困り度は地味かもしれませんが、
その傾向にある人、その気質の人として、
まったく人種が違うとは思えません。

そして、発達の方同様、
いろんな苦手さへの理解を得たいと思う気持ちが
グレーの人にもあるのではないでしょうか(私はあった)。

障害と診断がつくには、
本人と周りが何かしら仕事や日常生活で困っている・・・という、
実際に、人の手を借りなければならないような、
つらい状況があるかどうかにもよります。
特に『働く』ということが分れ道になってくるかもしれません。
勉強は一人でもできるけれど、
働くことは、人とかかわらずには成り立たないからです。

今までずっと思ってきた「どうしてこうなってしまうんだろう」が、
自分の個性、良さ、強みとして職場で生かせるかどうか。
現実はとてもきびしい。
また、あきらかに仕事に支障があるというとき、
周囲に相談できるかどうか、対策をとれるかとれないかで、
悩みの深刻さは分かれます。
そして、ここから二次的障害(精神疾患)になる方も多いのです。

そう考えると、
グレーの方が就職するときには、
発達障害なのかなんなのか、診断してもらい、
障害者手帳が取れるのであれば取って、
身近に相談できる環境や、
サポートをもらうことはよいことではないかと思います。

でも、グレーの人は、グレーですから(診断はない)。
自分もなにかしら大変なことが多いからといって、
発達障害の方へするようなサポートがほしいとは言えません。
だから、そういう意味では、
発達障害への葛藤、「自分だって、困っていることをわかってもらいたい」
は、あるかもしれません。

そもそも、
発達特性をマイナス、困ること、だめなことと感じてしまうのは、
他人と同じ動きや考え方を、周囲が求めることにあります。

文化の全く異なる外国人が、
周囲の考えと違うことを言ったりしても、
ああ、違うんだな・・・で済んでしまう。
そういうことと似ていると思う。

『自分の知らない文化をもつ人』という捉え方があれば、
価値観の広がりや、その文化のおもしろさ、
異なることへの敬意も感じられるかもしれません。
また、人として違うことへの魅力も感じます。

発達の方やグレーの方から言わせると、
自分と違う考え、
自分と違う行動をとる人たちが世の中にはたくさんいる・・・
という視点なのです。

グレーはグレーで、
発達の方の気持ちもわかるし、そうではない人の気持ちもわかる。
そして、やはりがんばれば何とかなるかもしれないという期待と、
どうしてもこれは無理なんだよなあというあきらめは、
永遠にあるように思います。


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